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館長ギャラリー

 令和2年2月9日(木曜日)、韮崎市民交流センターニコリで出張トークを行いました。市民の皆様約100名を前に「大人の日常会話~変化する日本語~」と題して講演を行いました。打ち解けた雰囲気の中でトークが弾みました。


話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 今日は、会話、おしゃべりするとはどういうことかについて話したい。

 大体、この年になってくると病気の話しかしない。女性はお孫さんや子どもさんの話が多いと思うが、男同士だと時事問題の話もするかもしれない。

 話題、トピックというか、会話にはいろいろな要素があり、言語学でも会話の研究がされていて何について話すかが重要な項目になっている。

 また、例えば学校の合宿で夜、一緒に寝たときに真っ暗になってからするおしゃべりはどういうものになるか。そういう時にはどういう声でしゃべるのかといったしゃべり方の研究がある。怖い話の場合は、おしゃべりが無声化する。こういうことも会話するときには大切な要素となる。

 皆さんは外国の人達との交流会みたいなものに参加したことはあるか。そういう時に日本人は疑問文ばかり発している。どこから来たのか、食物は何が好きか、いつ帰るのかなど。外国人からしたら、日本人は聞くばっかりで警察のようだとなる。会話がなかなかできない。自分も他の人としゃべることが苦手である。

 無駄なおしゃべりをしなければならない時には話題をどうしたらいいかがまず問題で、我々は会話で時間を潰すのがとても苦手にできている。

 北海道の人を喜ばせる会話は、「寒いですね」で「寒くないね」と言うとたぶん怒る。反対に熊谷の人に「あんまり暑くないね」と言うと喜ばない。そういうふうに何をトピックにして無駄話をするか、そのことをどうしたらできるかが大切。質問ばかりしていると相手をどんどん追い詰めることになってしまう。

 日本人にとって知らない人同士の会話は難しい。自分も人見知りだからしゃべれない。よく言われるのは、知らない所に行ったときに外国人は現地の人に道を聞くが、日本人は自分で地図を見る。地図がないと地図はどこですかと聞く。

 会話をするためには会わなくてならないが、今、話をしている金田一と会っていると言えるか。家に帰ってから金田一に会ったと言えるか。また、一緒に住んでいる家族に会ったと言うことは難しい。会うとはどういうことか。答えはあるが、家に帰ってから考えてもらいたい。

 勉強は知らないことを覚えることではない。知識はすぐにインターネットで分かる。知識を増やすことは何でもないことになってきている。それよりも、考えることができた方がいいし大切である。

 大学で朝、学生に会って「おはよう」と言った後、昼に「こんにちは」とは言えない。 その日、一度でも会った人には「こんにちは」は言えない。同じように「さようなら」ももう一度会ったときには言いづらいし何を言ったらいいのか、何となく気恥ずかしい感じがする。日本語の挨拶には、相手に対して敵意がないことを示し合うことの他に時間を区切るという意味がある。相手と会っていない時間とこれから会う時間を区切るということがある。

 「いただきます」、「ごちそうさま」は食事を区切る。「行ってきます」は家にいない時間が始まる、「ただいま」は家にいる時間が始まることを示す。「おはようございます」は本来的には、「朝早くからご苦労さまです」という意味で、仕事が始まることを区切っている。これから仕事をするという気合が入る感じがする。だから、夜の仕事でも「おはようございます」と言う場合がある。挨拶も極々日常的に使っているが実は会話として案外難しい。

 日本人は無駄話(ファティック)は好きであるが、知らない人と会話することをしたがらないし、パーティートークなどの愚にも付かないような話をすることが不得手である。一方、明石家さんまさん、永六輔氏や黒柳徹子氏など職人的に上手な人はいるが、普通はネタが無くて時間を潰すことができない。ネタをうまく活用できることが会話上手になるコツである。自分もこういう仕事をしているといろいろなネタを覚える。

 小ネタを知っておくと割といい。ひとつ紹介すると、語源が素敵なものとして「桜(さくら)」がある。「さくら」の「さ」は神様のこと、「さおとめ」とか「さつき」の「さ」も同様。「くら」は場所を表すので、「さくら」は神様のいる場所という意味になる。「うぐいす」を分解すると、「うぐい」と「す」になる。「す」は鳥の名前に多い。「からす」とか「かけす」などで「す」は鳥の意味。

 「こたつ」は禅の言葉だというが、柳田国男に言わせると脚立の意味であるという。昔、牛車というものがありそれに乗る木の台がこたつと似ていたことに由来するという。落語では、こういう話が好きでよく小話にある。

 仲間が集まってジョークを言う時に下ネタなどになったりするものもあり、外国人はよく使う。そうではなくておしゃれな会話ができることが大切だと思う。日本人はそういう会話は苦手であり、気の利いた言葉がなかなか出てこない。国会中継を聞いていると、聞かれたことに少しも答えられない。自分の言いたいことを言っているだけで聞くことができない。

 ラジオ深夜便という番組に出ていて著名な作詞家と話す機会があり、今までに、なかにし礼氏、井上陽水氏、秋本康氏とも対談させてもらった。自分はしゃべるより聞く方が好きで、林真理子氏や阿川佐和子氏との雑誌の対談でも聞いてばかりいた。日本にはしゃべることが好きで上手な人もいるが、聞くことが上手な人はあまりいないのではないか。

 大学受験で英会話の試験をするというが必要ないと思う。英語をしゃべらなくてはならない状況になる日本人の割合はとても低いし、自動翻訳機もある。むしろ日本語会話の試験をすればいいのではないか。

 もっと違うことを勉強してもらいたい、考えてもらいたい。日常の中から謎を見つけることが面白い。勉強は何か知らないことを覚えることではなく、知ったつもりになっていることに対して違う見方ができるようになることの方が魅力である。

 敬語に関して言うと敬語はあまり大げさに使わない方がいい。「です、ます」程度でいいし、それで充分に綺麗である。言葉をどんどん丁寧にしていくと断ることができなくなる。断ることのできないお願い、依頼は命令となってしまい相手が縛られてしまう。とても失礼である。また、敬語は実は、上の人に使うもので下の人には使わないというものではなく、もっともっと複雑なルールがある。

 




会場の様子
(会場の様子)
  

 最後に数人の方から質問が出ました。甲州弁で気になっている言葉はあるかとの問いに対して館長は、自分が大学生の時に長坂町の自動車教習所に通い、教官から「ブレーキふんじょ」と言われ、踏んでいいものか、踏んではいけないのか分からくて困った。家に帰ってから父の春彦に聞いたら、それは古語の「ふみなそ」からの言葉だと思われるから禁止の意味であろうと教えてくれたことを話しました。

  
 1月19日に館長連続講座「寺子屋ことば学」の第5回講義を行いました。
 ※館長連続講座「寺子屋ことば学」第2回・第6回は休講となりました。


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(話をする館長の様子)
  

 

 言葉の機能というのは伝達したり、人と人とをつなげたり、仲良くするようなコミュニケーションの機能も大切だが、何かを感じたり考えたりすることはさらに大切で、最も大切なのはファティックである。ファティックは"つなげる力"に近い意味で、生物は「鳴き声」で配偶者を探したり、遺伝子を残したりすることが一番大切であり、人間だと「鳴き声」が「言葉」に変化し、「無駄話」がファティックにあたる。「無駄話」によって、少なくとも相手に敵意を抱いていないことを示すことができる。


 また、「おはようございます」を家族間で言うかどうかについて、以前「おはようございます」は家族には言わないという人がいた。「こんにちは」「さようなら」は言わないと思うが、「行ってきます」は言うと思う。家族どうしの会話は無駄な部分が多いと思う。顔を見ていれば「忙しそうだな」や「ありがたいな」など、わかったり感じたりすると思う。ファティック、おしゃべり、無駄話は大変難しいと話しました。


 そして外国の方は道を聞くが、日本人は地図を見る。地図が見当たらない時には、地図はどこですか?と聞き、そのくらい人に聞こうとしないと言われている。日本では「便利になる=話さなくてよいこと」になる傾向があり、電車では料金などもすべて書いてあり、コンビニエンスストアでも話さずに済んでしまうことなどをあげました。

0119kancho02.JPG(会場の様子)
  
 12月15日に館長連続講座「寺子屋ことば学」の第4回講義を行いました。
 ※館長連続講座「寺子屋ことば学」第2回・第6回は休講となりました。


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(話をする館長の様子)
  

 

 金田一館長が自動翻訳機はどうなるか、言語学習はこれから必要かどうかというのを大学の学生に聞いた際の話として、「もう言語学習は必要ないのでは?」と言ったところ、30人中28人は必要だと答えたと話し、学生は外国語を教えている教師である自分が外国語は必要ないと言うはずがないと思っていると話しました。学生たちは自分で考えているのではなく、教師がどう考えるかを一生懸命考えようとして教師の思っている答えを書こうとするのだと語り、そうすると当然必要だと答えてその理由を述べることが多いと話しました。


 また、なぜ作文や感想文、日記を書くように言われるのかということでは、「書く」ということで自分の考えていることを整理するためではないかと話し、自分が考えていることがわからないから書くのであって、自分のことを客観化できるのが、書くことの効用だと語りました。

 そして、意見文や論文を書きなさいという場合「人にわかるように書きなさい」と言われることが多いが、考えているのではなく、決まっている答えに理由を引っ張ってくるような形になってしまっている。そうではなく、いろいろなことが考えられたうえで最後に結論が来るのが正しい形ではないかと話しました。考えようとしないことは意味がなく、英語教育が必要かどうかはいろいろな人が考えているが、そう簡単に答えられるものではなくわからないのではないか。「機械翻訳では気持ちが伝えられない」などとも言うが、日本語や英語でも自分の気持ちを伝えられるほど話せるのか、ことばではなない部分で伝えているのではないかと話しました。

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(会場の様子)
  
 令和元年11月24日(日曜日)、やまなし読書活動促進事業「第6回贈りたい本大賞表彰式」に続き、館長企画事業「なかにし礼氏講演会&金田一秀穂館長とのトークショー」を開催しました。
 
会場の様子(会場の様子)
 
 歌謡史に輝く数々のヒット曲を生み出した作詩家、小説家なかにし礼氏の講演会ということもあり、多くの県民の皆様にご来場いただきました。 講演は「生きながら考えたこと」と題し、幼少期の満州での戦争体験を経て、作詩・作曲家として歩んでこられた人生における読書の意義や大切さ、価値について語っていただきました。二度の闘病生活では、読書から得られた知恵により助けられ、今まで生き続けられていること、また、現在も読書を欠かさず、映像に触れながら毎日新しい刺激を受け、さらなる高みを目指して勉強を続けていることを強調され、聴衆の皆様に大変励みとなるお話でした。
 
なかにし氏の様子(なかにし礼氏)
 
  続くトークショーでは、金田一館長とともに、詩や小説を生み出すエネルギーや創作上の工夫、苦心、作品に対する想い、ヒット曲誕生のエピソードなどについて語り合いました。


なかにし氏と館長の様子(なかにし氏と館長の様子)
  


 令和元年11月23日(土曜日)、身延町総合文化会館にて、館長出張トークを行いました。約70名の市民の皆様に、「言葉発見! 金田一秀穂先生のおもしろ日本語ゼミナール」と題して話しました。小学校低学年生からご年配の方まで楽しそうに熱心に耳を傾けていただきました。


話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 書くことは考えることである。考えるための手段として書くということ。たぶん、日蓮さんでも、お説教しながら考えていたと思う。大江健三郎、村上春樹、ドストエフスキー、トルストイなどはどうしてなんなに長い小説を書くのか。それはたぶん、書き初めは、唯々書きたいだけで、それが書いていくうちに自分が考えていることが分かってくる。大抵の人は書き終わってから、こういうことを書きたかったのかと分かる。文字にすると考えがモノとして離れていく。言葉を重ねることで自分の考えや感じたことがクリアーになっていく。言葉にするとはそういうことである。何かを考えるために言葉を使う。

 読書の話をすると、本は是非本屋さんで買って読んでもらいたい。図書館で借りてもいいが、本屋さんと競合したくはないし、町の本屋さんはとても大切である。その地域の文化的な中心になっているのでなくなってはいけない。文化の衰退につながる。

 最近読んだ本を紹介すると、『神々の明治維新』(安丸良夫著)が良かった。廃仏毀釈で、以前はお寺だったものを神社に変えなければならなかった。お寺さんはどう思ったのかというようなことが書かれている。明治になった時に政府が、国民の心をどうケアしていったらいいかを思案し、天皇を中心にして国民の心をひとつにしたいと考えた。それまでは、天皇は仏教などといろいろな関わりを持っていた。お寺もやるし神道もやる。ここ身延町の久遠寺を開山した日蓮さんは皇室(後光厳天皇、大正天皇)より諡号を贈られたと聞いている。

 私たちが考えている神道は明治政府が作った国家神道と言われるものであり、150年の歴史しかない。伊勢神宮に入ったのは明治天皇が最初であり、ごく最近のことである。

 神道以前に民間信仰があった。『先祖の話』(柳田国男著)がある。東京には神田明神があり、平将門を祭っている。それは、天皇に反逆した将門の怨霊が恐いから怨霊を退治するためである。民間信仰が神道とは別に存在した。神道以前にあった、例えば富士山などの自然に対してみんなが持っている信仰、そこに仏教が入り明治になって神道ができた。日本の歴史はそう簡単には表現できない。

 お彼岸や13回忌などは宗教の都合でできている。自分は祖父の50回忌をと言われ、そんなのいやだと思ったが、柳田国男氏によれば、先祖を祭る心は我々が元々持っていたもので、それを仏教が取り込んだにすぎないということである。柳田氏が書いたのは昭和20年の終戦の頃で、戦地で死んでいった若者たちの魂はどうなるのかを考えた。この本を書いた原因の一番大きなものはこれだった。

 「大器晩成」は老子の言葉だが、最近わかったこととして、正しくは「大器免成」という。 B.C.350年くらいに老子の本が作られた。B.C.200年くらいに作られた馬王堆漢墓が発見され、帛書に「大器免成」と書いてあった。大器は完成しないという意味である。

 80歳の時に「富嶽百景」を書いた葛飾北斎は、90歳の時に「あと10年生きていたら、もっと絵が上手になるのに」と言って死んだそうである。"もっと、もっと"という志向、これが大器である。ルネッサンスの天才ミケランジェが、最後(89歳)まで製作を続けたが完成しなかった彫刻「ロンダニーニのピエタ像」がミラノにある。高田博厚(彫刻家、思想家)は「世界中の彫刻が滅んでもピエタ像が残っていればいい」と言った。完成できない、大器とはそういうものである。皆さんも完成していない。やはり、勉強は続けざるを得ない。

 この間、賞を取ったラジオの番組が沖縄戦の話だった。中学3年の生徒が兵隊として招集され作戦本部に行かされた。そのうち司令部から陥落の連絡があり、他の隊員と一緒に逃げ状況が分からないから洞窟に隠れていたら、戦争が終わったので投降を勧告しに日本兵が来た。そうしたら、一緒に隠れていた人がその人をスパイだと疑って殺してしまった。日本人が日本人を殺した現場を見て同胞を殺す戦争とは何なのか、悩みながら生きてきた。殺された、死んだということは言えるが、人を殺した経験は堪らない。人を殺さなければならない方がよっぽど辛くきつい。戦争の恐さである。

 近年、AI、ロボット技術が進歩している。戦争がいやだということを分かっている、人を殺すことをしたくない人達はロボット、ドローンなどを使うようになってきた。 AIの話をすると、病院に行っても医者はモニター、数字しか見ていない。検査の結果しか見ていないし、そういうことしか言わない。聴診器も持っていない。それだけだったら医者は要らない。

 これからは、日本語や英語の教師は失業する。語学教師は要らなくなり、語学を勉強する必要がなくなる。自動翻訳機ができているから。小学生が英語を勉強すること、はっきり言って無駄だと思う。英語と言うよりは、異文化を勉強することの方が大切であり、外国の人が自分達と違うことを考えている、そういうことを知っておく経験は必要である。

 また、道徳・倫理より哲学を教えるべきであると思う。道徳には価値観が入ってくるが、それは時代によって変わってしまう。これからどんな時代、国になるか分からないので、その時に対応できるような能力を身に着けてもらいたいからである。物事を考えるための方法で、問題をどのように捉えたら解決できるかを考える技術、手段ということ。どんなところにいても通用する人間になってもらいたい。フランスでは哲学、論理学を教えている。英語に重点を置くよりその空いた時間でするべき、教えるべきことはたくさんあると思う。

 古事記、風土記、万葉集、古今和歌集といった古典を読むことはとても大切である。やさしく読める形のものがあればいいが、例えば、池澤夏樹氏の『現代語訳古事記』は読み易い。橋本治氏の『枕草子』など有名なものもあるが、変に古文で読もうとするから抵抗があり、みんないやになるのかもしれない。原文で読むことを薦める人もいるが、自分が面白いと思ってから原文に当たればいい。

 自分が好きな本に大岡信氏の『折々のうた』がある。読んでいたら、このまま生きていていいか、日本ていいなあと思った。

 便利になることはいいことなのか。AIや技術の進歩そのものはいいことだが、果たして 私達を幸せにするのか。リニアモーターカーは甲府から品川まで15分位で行けるが、やはり時間を掛けて身延にやって来るような、多少不便でも人間的であるほうがいい。幸せになることと便利になることが逆転している。私たちの心の中には、"交換の原理"ではなく、便利さを追い求めるのではない"贈与の原理"ギフトがある。

 その例として、お金ではないこと、子どもを育てることがある。やりたくてやっている。イチローはヒットを打ちたくてやっている。一般的には、医者も教師も人に喜んでもらいたくてやっていて、贈与の原理が行動の原理となっている。AIはこれを認めない。どうしたら勝てるか、便利になるかだけを考え、スピード、お金を追求する。「情けは人のためならず」と言い、人にかけた情けはいつか自分に返ってくるという。何となく功利主義的だが、ボランティア精神でやって感謝してもらう。こういうことでこれから生きていけばいい。 農業は何か違うということを感じている。大地から自然の恵みで作物を作ることは、何か特別の喜びがあるのではないか。また、食べるということが必要だから、農業は存続すると思う。世の中には、いろいろな本があるので読んでもらいたい。図書館にもたくさん蔵書があるので来て読んでもらいたい。

 



会場の様子(会場の様子)
 11月17日に館長連続講座「寺子屋ことば学」の第3回講義を行いました。
 ※館長連続講座「寺子屋ことば学」第2回・第6回は休講となりました。


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(話をする館長の様子)
  

 

 館長は体調不良時に感じた、人に説得力のある答え方と不安にさせる答え方について、"わからないことがわかっているか"、"わからないということがわかっていないか"の違いではないかと語りました。ソクラテスではないが、"わからないこと"と"わかることがきちんとわかっている"人は、"わからない"と答えても説得力があると語りました。また若い方は、質問されると困ってしまう人もいるようだが質問されることにビクビクしないでほしいと語り、教師は質問されることを面白がってほしいと話しました。たとえば以前、学生に「犬とネコがいますという言い方はするが、ネコと犬はいますとは言わない、なぜか」と聞かれたことはある。本当に難しい質問であり、自分もわからなかった。わからないことはわからない、面白いねと言って一緒に考えれば良いのではないか、そういうことで信頼関係を作れるのではないかと語りました。


 また発話のテクストと会話の意味については、意図した意味と解釈した意味が一致していれば問題ないが、一致していないこともあり、誤解を生むことがあると話しました。たとえば「What is this?」「This is a pen」もそのままの意味ではなく、「これはなんだ?」「なぜここにあるのだ」の意味になり、教師が「これはなんだ?」と言って生徒が「スマホです」と答えるのでは怒られると話し、自分たちは言葉どおりの意味では話をしていないと語りました。言葉どおりの意味と実際に使われている発話の意味は違い、その発話の意味のことを語用論(pragmatics)と言うと話し、外国語にも語用論的意味はあるが、"日本語はあいまいだ"と言われるのは、このような部分から来ていると話しました。


1117kancho03.JPG(会場の様子)
  
 令和元年11月9日(土曜日)、都留市まちづくり交流センターにて、館長出張トークを行いました。約280名の市民の皆様に、「心を通わす言葉~言葉の真ん中には何がある?~」と題して話しました。館長の楽しく軽妙な語り口で会場は終始笑いに包まれていました。

話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 自分は今年の流行語大賞の選考委員の一人で、他の委員の皆さんとこの間の委員会でご一緒させていただいた。今年はなんと言っても改元した「令和」が一番大切なことで、それこそ寿ぐべきことで、しかも生前退位という特別な形でおめでたく代替わりされたが、皆さん、もう忘れている感がある。ラグビーワールドカップが開催されたので、そちらの方の言葉に注目が集まっている。

 実は、「流行語大賞」は本当の流行語ではない。本来は何度も普通に使う言葉を流行語というが、「流行語大賞」はイベントとして使われるものとなっている。例えば「軽減税率」とか。

 自分が推した言葉で「肉肉しい」がある。美味しさ、味とかはなかなか言葉に代えられない。美味しさだけでなく、肉の臭み、灰汁、固さというか、何かじわーっとするようなものを含んでいる。如何にもという感じがする。応用して「芋芋しい」などもいいではないか。

 言葉の真ん中には何があるか。言葉の"へそ"の部分を考えてみると、言葉の中心にあるものは、一般的にはコミュニケーションであり、情報伝達が言葉の役割であるという考え方がある。

 もう一つ、もっと大切な役割がある。それは、言葉を使って考えるということである。私たちは普段、言葉を使って考えるということをしている。言葉がないと考えることができないし知恵が出てこない。言葉は考えるための道具であると言える。

 しかし、もっともっと大切な言葉の働きがあり、それは、人と人とを繋なぐ道具ということ。動物同士は、言葉ではなく鳴き声で様々なことを伝えている。私達も同じ言葉を使うと仲良くなる。日常何気なくする挨拶としての会話もそれであり仲間意識が出る。

 最近、正しい日本語、美しい日本語を使わなくてはいけないと言われている。例えば、「今日は全然寒い」という言い方は、けしからんと言う人がいる。しかし、明治の頃には、森鴎外や夏目漱石は、「今日は全然暖かい」という言い方をしている。「全然」には強める意識しかなかった。それが昭和になって「全然」は否定形と繋がるようになり、私達の意識がいつの間にか変わってしまった。

 また、「とても寒い」という言い方は、昔はだめだった。芥川龍之介が怒っている。「とても」は今と同じように「~ない」と繋がらなければならなかった。しかし、芥川龍之介と同じ時代にそうでない使い方をする人が沢山出て来ていた。「鳥肌が立つ」という言い方を嬉しい時に使うとは何事かという人もいる。本来は気持ちが悪いとか恐ろしいときに使うべきである。 吉田兼好は「徒然草」の中で、若い者は言葉の使い方が分かっていないと書いている。昔からそうであり、諦めるしかない。言葉は変わっていくから仕方ない。

 谷川俊太郎氏(詩人)と話をした時に、「言葉は無力だ。音楽は自由にいろいろな表現ができるが、それに比べて言葉は何もできない」とおっしゃっていた。言葉はどうしても変わっていってしまうが、人と人を結びつける会話、何気ない会話が私達にとってとても大事である。

 私達はホモ・サピエンスとして、言葉を5万年前に獲得したと言われており、脆弱な動物だが頭だけは発達し考える力がある。言葉があることでみんなで協同して働くことができるようになる。1匹のライオンを1対1では殺すことができないが、10人ならできる。言葉で10人の役目を説明できるから生き残って文明を持つことができた。

 仲間、グループ、集団を作ることに役立ったのが言葉であるが、逆に敵を作ってしまうことにもなる。違う言葉を使う連中は、違う連中だと思ってしまう。例えば、ユーゴスラビアは7つの言語に分かれていたが、言葉が原因で殺し合いを始めることになってしまった。そういう恐ろしさがある。

 今、機械(コンピュータ・AI)の言葉がある。外国語の翻訳機が登場して、英語などはかなり相当良く翻訳でき、中・高校レベル以上である。私が教えている中国からの留学生は、皆持っていて作文を書くときも中国語で書いたものを日本語に翻訳してすぐ提出してくる。もっとも機械で翻訳したことは分かる。ファティック(人と人を結びつける言葉)まで完璧に翻訳はできない。

 AIができることと人間ができることの境目はどこなのかよく分からない。囲碁などでは、AIは短時間で何十万回も対局して戦術的データを蓄積してしまう。人間にAIの戦略は説明できないが、それで勝ってしまう。AIは、目標がはっきりしていることについては得意だが、目的がないことについて答えを出すことはできないし、ファティックな言葉に関して言えば無理がある。

 今後、医者がいなくなることは想像できる。今も検査データしかみていない医者が多い。それならば、診断を下すのはAIの方が正確にやってくれる。でも、病気になった時にやさしく接してくれる医者は必要。やさしさみたいなものを評価できるのは人間である。AIに俳句は作れるかもしれないが、人間の心を動かせるかどうかの判断、評価は人間にしかできない。介護の仕事なども、やっぱり機械では無理がある。子どもを育てること、教育などもAIはある程度できるかもしれないが、人間が習うにはAIではだめである。

 効率は悪いかもしれないが、それが人間の世界である。能率良く、安くしよう、早くしよう的にやることはAIに任せればいい。

 リニア新幹線ができて東京まで15分で行けることになるかもしれないが、それが嬉しいかと言われると、逆に忙しくなるだけである。昔は道中を楽しむこともできた。費用対効果、コストパフォーマンスみたいなことばっかり考える世界は決して人を幸せにしていない。人と人との繋がりのある世界の方が幸せである。それこそが人間の生きる道のはずである。家にいてコンピュータを操作してもっともっと進歩することがいいのか、人の世の中にいい未来があるとすれば、たぶんそれは逆の方向に向かうのではないか。 普段は都会に住んでいる人間で田舎に畑を持ち作物を作っている人がいる。大地から自分の手で世話をして収穫することがとても嬉しい。そういう世界の方が人間を幸せにする。若い人達(高校生)はこれからあと80年位生きなければならないから大変だ。数字、効率、競争、優勝劣敗みたいな、そういう世界になったらだめだと思う。

 ラグビーで示された、仲間意識をもってお互いの足りないところを補い合い、文化を尊重し合う「ワンチーム」、「フェアプレー」、「ノーサイド」精神などに象徴される仲良くやっていくような、また、無駄なことをするような世界の方が人間を幸せにするのではないか。行くべき未来はそこら辺にあるのではないか。

 



会場の様子(会場の様子)
 9月22日に館長連続講座「寺子屋ことば学」の第1回講義を行いました。
 ※館長連続講座「寺子屋ことば学」第2回・第6回は休講となりました。


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(話をする館長の様子)
  

 館長は、最近テレビなどで耳にする「スピード感」という言葉について、"感"という言葉が気になると語り、童謡の「汽車ポッポ」で歌われている「畑もとぶとぶ 家もとぶ」のように、汽車に乗っている子どもが"汽車は速いな、スピードがあるな"と感じるのがスピード感であり、自らが動いて何かしなければいけない場合に使うものではないと話しました。使うとしたら「ただちにやります」、「すみやかに行います」などと言うべきではないかと指摘しました。

 また「肉々しい」「芋々しい」という言葉も気になると語り、牛肉のうまみや硬さなどの表現としてわかるような気もするが、「魚々しい」「桃々しい」などとは言わないと話し、今までうまく言えなかった独特な「肉っぽさ」を表現できるため、新しく出てきた言葉なのではないかと語りました。オノマトペや擬音語、擬態語に近い言葉であるため初めて聞いた言葉でもすんなり入ってくるのではないか、今後もそういった言葉は出てくるのではないかと指摘しました。


 そして軽減税率に伴う、「中食(なかしょく)」について。「外食(がいしょく)」は2字とも音読み+音読みであるのに対し、中食は訓読み+音読みであるため、湯桶読みという本来はしない表現であると語り、「中食(ちゅうしょく)」としてしまうと、「昼食(ちゅうしょく)」と間違ってしまうからではないかと言い、お弁当のようなものを買ってきて家で食べる言葉として1980年代にはすでに使われていたようだと話しました。


0922kancho02.JPG(会場の様子)
  
 令和元年7月30日(火曜日)、県学校図書館司書夏季学習会(県男女共同参画推進センターぴゅあ総合)で出張トークを行いました。県内小中学校の図書館司書の皆さん約150名を前に、「学校図書館へのメーセージ」と題して講演を行いました。ユーモアを交えた楽しい話に聴衆の皆さんは熱心に耳を傾けてくださいました。


話をする館長の様子
(話をする館長の様子)
  

 自分が小さい時から本はとても身近なところにあった。家にはたくさんの本があったので図書館にはあまり行かなかった。 小学校2、3年生の時、病気で入院していて学校には行っていなかった。病院ではラジオを聞くか本を読むしかなかったので、いつも本を読んでいた。父(春彦)が遠くの仕事の帰りに病院に来て、週刊誌(週刊文春、サンデー毎日等)を置いていった。自分はその週刊誌を読むのが面白かった。4年生になって退院したら、みんな読書感想文を書いていた。自分は読書量が多かったので平気だと思っていたら書けなかった。それは、推薦図書がつまらなかったからである。そういう本には多くの場合、うそっぱちばかりの物語が書いてあり、幼稚過ぎて面白く思わなかった。当時、一番好きだった本は汽車の時刻表、地図帳、年表、人名辞典、百科事典などである。これらの本には本当のことが書いてあるから楽しかった。

 自分の病気の治療に有効だとされる温泉を調べたら、全国に2か所増富温泉と下部温泉しかなく、そこにはどうしたら行けるか調べたりしていた。どこで降りて、何を食べるかなど考えて、そういうイマジネーションを膨らませられるものが好きだった。 国語教育の話をすると、娘は国語が苦手で学校で自分の考えを書くように言われて書いたら30点だった。こういう時には、自分の考えではなくこの本を読んで先生がどう思うか先生の意見を書くということ。そうしたら60点もらえた。日本では、教師の考えをコピーすることに長けた人間が一番良い成績を取り、そういう人間が出世してエリートになれる。自分はこの辺の要領が分かっていたので、時にはわざと先生を怒らせようと思い、違ったことを書いたりした。

 現在、大学で学生に論文の書き方を教えている。書き方としては、最初に結論があって その後、その理由を書くことがあるがそれでは面白くない。書くことは考えることであり、書くことによって考えをまとめて言葉に変えていくことである。自分が何を考えているのかが分かり、頭の中だけに留めておくのではなく"外在化"させる。そういう意味で作文は人間にとってとても大切なことで、とても良い教育である。

 大岡信氏(詩人)は、「自分が当初考えていたこととまったく異なる結論になるくらいでなければ書く意味がない」と断言している。

 先週、仕事で沖縄に行って来た。当時14歳で招集されて通信兵をしていた人の話を聞いた。終戦間近に連隊が壊滅して逃げ回り、最後に洞窟で身を潜めていた時に戦争が終わったから出てこいと言われたが、一緒の大人たちはその人がスパイだと考え殺してしまった。

 戦争の不幸をたくさん聞くが欠けていることがひとつあって、それは相手を殺した話である。ベトナム戦争や中東地域の戦争に行って敵兵を殺し、多くの兵隊が精神異常をきたした。日本では先の戦争でそういう加害者としての話を聞いたことがない。そういうことを少しは知っておいてほしい。いつも被害者意識からの話である。加害者側からの話を知らないからまた戦争をしようという人が出てくる。

 作家の鶴見俊介氏が、子どもに「自殺はいけないことか」と問われて、「たったひとつだけいい時があり、それは人を殺さなければならない時だ」と答えている。

 議論をしないから戦争を始めたときに他の道を考えることができなかった。それは教え込まれた力が染み込んでいて騙されていたとか愚かだったと簡単に済ませてしまう。次代を担う子どもたちには、もっと違うことを自分で考えてもらいたい。さまざまな考えがあって結論があることを子どもたちに教えてあげたい。最近の学生は素直だと思うが、自分で考えることができないと危なっかしい。学校には文科省からの通達に基づいた強化、科目があるが、図書館は教室とは違うことを考えられる独立した自由な空間であってほしい。図書館にはいろいろな本があるので本を読んで知ってほしい。本には様々な事を考える材料があるので、自分で考えられるようになれる基礎づくりをやってもらいたい。建前だけで言っているところがあるが、もっともっと風通しのいい場所であってもらいたい。   

 今はいろいろな情報が溢れていて学生達は何を信じたらいいのか分からなくなっている。まず、否定しろ、疑えと言っている。最近の若者は考えることを面倒くさがっている。考えることの喜び、楽しさ、面白さを知ってほしい。考えることによって「分かった」という解決が出てきて頭の中に"内在化"する気がする。考えた途端に調べて「知った」という形で終わってしまう。知るということは何でもない。大学時代に学友から「会津八一の雅号は?」と聞かれたことがあるが、今ならインターネットで調べればすぐ分かる。そういうレベルの知識は必要なくなっている。幸田露伴、二葉亭四迷、田山花袋等々、文学史の年表の一部分として知っているにすぎない。樋口一葉は面白いという人が多いが、実際に読まないとわからない。ついつい知識だけで終わっていて危なっかしい。薦める、ガイドする立場としては、もっと知識を血肉化しておかないといけない。

 内田樹氏(文学者)がこれからの指針、何を信じたらいいのかを考えるときに、だれかいい人を選ぶよう書いている。ちょっと前まで自分の世代には、例えば安部公房氏、鶴見俊介氏などがいた。今はどういう人がいいか分からないが、この人がスタンダード、本物だと言える人、そういう人を探し出すことが大切だと思う。 偽物が多すぎるが、それを指し示すことができるのは皆さんである。学校の教師ではないと思う。図書館の司書ならこれおかしい、もっと違うことや他の意見があることを教えられる。自由な立場を使って考えることをさせてやってもらいたい。

 





会場の様子
(会場の様子)
 最後に感想や質問がありました。「今の子どもたちは自分で考えることをしないという指摘は、私達も常々思っている。図書館は様々な考えがあっていい場所、子供の心を揺さぶるような本に出合わせる司書でありたいと思った。」、「先生のユニークな話の中に確固たる哲学を聞かせてもらった。図書館は教室とは違い独立としての場であり、本のガイド役としてこんな本もあるねと言ってやれるようになりたい。」といった感想がありました。
 また、「本物と偽物という話しがあったが言ってみれば偽物が多いという気がする。 選書する段階で偽物が増えてきてしまうがどう考えたらいいか。」といった質問が出ました。
 それに対して館長は、「例えば『飛ぶ教室』や『君たちはどう生きるか』などがあるが、それよりも古くならない本がいい。例えば、柳田国男の『遠野物語』など。あと、いつの時代でも正しいと思うものとして古典がある。大人も騙されないように読むことができる。近松門左衛門も面白い。江戸時代の『しんとろとろり』という表現、その辺の感覚は現代的であり時代を超えている。そういう本物に触れてもらいたい。海外の本では、翻訳者のいい人のものを選ぶ。例えば『ドリトル先生航海記』は井伏鱒二が翻訳していて、日本語がじょうずな人が手掛けたものは質が全然違っていて言葉として本物である。 谷川俊太郎氏(詩人)の『スヌーピー全集』の一連の翻訳もすばらしい。きちんとした日本語を使える人の本を読んでほしい。その意味では、谷川氏は今生きている日本人では最も優れた人だと思う。『どうしたらそんなにいい言葉が使えるのか』と聞いたら、『正直であることかな』と言っていた。いい日本語の本に触れさせてもらいたい。」と返答しました。

 令和元年7月15日(月曜日・祝日)午後2時~4時、当館2階多目的ホールにて「館長企画事業 中島京子氏講演会&金田一館長とのトークショー」を開催しました。

現代を代表する人気作家中島京子氏の講演会ということもあり、会場満席のご来場を賜りました。「読むことと書くこと」では、幼少期の体験に始まりどのように読書とかかわってきたか、それがその後の作家人生に影響を及ぼしてきたのか、大変興味深いお話を聞かせていただきました。本を介しての作家と読者という間接的な関係が直接的なものとなり、新たな読書の喜びを見出し、読書活動の幅をさらに広げる契機となったことと思われます。金田一館長とのトークも中島氏と参加者との距離感を縮めてくれ、作品の背景にあることなどを知りうるまたとない機会となりました。

 次回は、11月24日(日曜日)に作詞家、小説家など幅広い分野でご活躍のなかにし礼氏の講演会が予定されています。興味深いお話がうかがえるものと今から期待に胸を膨らませています。


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(会場の様子)

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(中島氏と館長の様子)