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館長ギャラリー

令和4年7月24日(日曜日)、当館1階イベントスペースにて、講演・鼎談「障害者の表現活動の可能性」を開催いたしました。

 昨年の東京パラリンピックを契機に高まった障害者に対する理解や関心を共生社会の実現につなげていこうと、障害者の創作活動を支援する山梨学院短期大学教授の伊藤美輝氏、絵画制作で活躍する県ボッチャ協会副会長の田中千晶氏、金田一秀穂館長によるトークが繰り広げられました。

 県障害者福祉協会と当館が連携し開催したもので、障害者の表現活動について考える機会となりました。あっという間の2時間でした。

 令和4年7月23日(土曜日)、当館1階イベントスペースおよびオンラインにて、館長企画事業・坪内稔典氏講演会&金田一秀穂館長とのトークショー「金田一秀穂は もも だよ」を開催いたしました。

 坪内氏はご自身の俳句などをテーマにご講演いただき、言葉や表現、作者と読者の関係について語っていただきました。金田一館長とのトークショーでは、軽妙な俳句談義を披露して聴衆を沸かせました。

 本事業のイベントはやまなし読書活動促進事業の一環で開催したもので、会場とオンラインあわせて約90名が聴講しました。

イベントの様子

イベントの様子

 令和4年2月20日(日曜日)、午後2時~4時、当館1階イベントスペースをサテライト会場にして、オンラインにて館長企画事業「マーシャ・クラッカワー氏講演会&金田一秀穂館長とのトークショー」を開催しました。

 現在、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が放映されていますが、三世代の女性たちが紡いでいくファミリーヒストリーで重要な役割を果たすのがラジオ英語講座です。そのラジオ英語講座で講師を務めていたマーシャさんの講演会ということで、とてもタイムリーな企画となりました。

 マーシャさんには「ハイテク時代でもHow to よりWhat to say」と題してお話しいただきました。はじめにジェンダーの問題について、言語、非言語コミュニケーションの両面からお話しいただきました。そして、世界共通語となった英語の背景やAIが発達したハイテク時代における英語の必要性についてのお話しがありました。現代では、英語は学ぶものではなく、使うものであり、何を伝えたいかを重視する必要があると強調し、平常心で英語が使えるように場数を踏むことが大切であるとのことでした。

 後半には金田一秀穂館長とのトークショーが行われましたが、偶然にも同時期にコロンビア大学に在籍していたということが分かり、終始和やかなムードで、言語やAIについて幅広いお話しが繰り広げられました。最後には、参加者からの質問に丁寧にお答えいただきました。

 来年度も県民の皆様に喜んでいただける企画となるよう準備していきますので、ご期待ください。

イベントの様子

イベントの様子

令和3年11月21日(日曜日)午後2時~5時、当館1階イベントスペースにて、館長企画事業「いとうせいこう氏×金田一秀穂館長トークショー」を開催しました。テレビ等でもご活躍のいとうせいこう氏のトークショーということもあり、予約がすぐにいっぱいになり、満席でのトークショーとなりました。

 第一部では、著書「『国境なき医師団』を見に行く」にまつわるエピソードなどをお話しいただきました。海外ではNGOの存在感が日本と比べ物にならないくらい大きいことや、近年、作家によるルポルタージュが少なくなったが、医師や看護師、現地の人の思いや自分が感じたことを熱を込めて伝えたいと語っていました。

 第二部では、リモート会議についてお二人で語り合いました。クロストーク型の日本語とターンテイキング型の英語の違いといった言語学的な側面からオンラインとの親和性を語るなど、言葉の専門家同士の興味深いお話し聞くことができました。いとうせいこう氏の「世の中を変えるのはアイデアだ。できないことを考えるのではなく、できることを考えよう」という言葉はコロナ禍の現代社会に響く言葉に思えました。

 来年2月にも金田一館長のトークショーを計画しております。県民の皆様に喜んでいただける企画となるよう準備していきますので、ご期待ください。

イベントの様子

イベントの様子

 11月22日(日曜日)、金田一館長ことば学講演会(第2回)を開催しました。
 第2回は、第1回の参加者から寄せられた質問についての回答とそれにまつわるお話のあと、奈良田に残っていた古い音やアクセントについて触れ、今後の講演や講義で「音声学」を取り上げていきたいと語りました。


(質問)「見られる」のような動詞の可能形を、「見れる」とするら抜き言葉を日常的に聞くが、文法的に問題はありませんか。

 上一段・下一段活用(否定形で「る」が取れ「ない」がつく動詞)の可能形には、「られる」をつけるのが文法的には正しい。五段活用の動詞では、「る」が取れて「れる」がつく。一段活用の動詞が五段活用の動詞にひっぱられ、「られる」でなく「れる」をつけてしまうと、「ら抜き」になる。五段活用も昔は「られる」がついたが、現在は「れる」という「ら抜き」が普通になった。一段動詞も大正時代から変化が始まっており、いずれ「ら抜き」が普通になる。文法として間違いといえば間違いではあるが、変化の過程のことである。問題となるのは、言葉として通じなくなったときだろう。

(質問)辞書にないような若者の言葉をどう思いますか。

 いいと思う。若者たちの言葉はたくさんある。彼らが高齢者になったときに、次の時代にどうやってつなげていくのか興味がある。若い頃に覚えた言葉は世代が上がっても使うので、各世代でミルフィーユのように重なって言葉は変化していく。

 「やぶさかでない」「気が置けない」など、言葉の意味が本来のものと正反対になって使われていることがある。変わっていくのは仕方がないが、誤解を用心して使われなくなるので、どんどん古くなって本来的な日本語が消えていく。そうやって、若い人が言葉を変化させていく。


(質問)日本語はいつの時代に完成されたんですか。

 完成することはない。甲府の町が完成しないのと同じで、永遠に変化し続ける。ラテン語など、今その言語で話す人がいない書き言葉としての言語は変化しない。話し言葉は永遠に変化し続ける。

※第3回以降の講演会については、中止となりました。

 
 

 令和2年11月19日(木曜日)、甲府昭和高等学校で出張トークを行いました。1年生2クラスの約80名を前に「言葉、日本語」について講演を行いました。生徒達は館長の質問に頭を悩ませながら、話についてきてくれました。

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(話をする館長の様子)
  

 

 皆さんは、本を読むのが好きか、読書感想文を書くのは好きか。自分は読書感想文があまり好きではなかったが、読書そのものは好きだった。

 実は、小学校の2,3年生の2年間は病気で入院していたので全然学校に行っていなかった。入院中は、ラジオを聴くか本を読むしかやることがなかった。退院して国語の授業で読書感想文を書くことになったが、小学校4年生にしたら、かなりの量の本を読んでいたので、簡単に書けると思っていたが書けなかった。理由は、読書感想文を書くような本を読んでいなかったから。

 自分が一番好きだった本は、地図帳、汽車の時刻表、観光案内書でそんな本ばかり読んでいた。さすがに地図帳では感想文は書けない。物語を読めと言われても当時の自分は物語を面白いとは思わずうんざりしていて、まっとうな、例えば「はだしのゲン」などの類の物語は読んだことがなかった。

 皆さんは真面目だと思うが、自分が高校生の時はどうやったら学校をさぼれるか、そんなことばかり考えて暮らしていた。学校は少しも楽しく感じられず、いけない高校生をしていた。皆さんは真似をしないでもらいたい。

 若い人の中には、何か毎日いやだなあと思いながら暮らしている人がいると思うが、年を取ると楽になるので慌てないで安心してもらいたい。心が焦っていて、将来どうしたらいいのか、役に立つ人間になれるかどうかも分からないと思うかもしれないが、あと10年くらい待って大人になると楽になる。大人になるとだめになる、汚くなると思っているかもしれないが、そういうことはない。きちんと大人になることができる。

 若い時は、自分の中に力が無いので分からないことが多いが、体力や記憶力は皆さんの年代が一番いい。心理学から言うと、記憶力は20歳を過ぎると衰えてくる。例えば、トランプで神経衰弱などのゲームをすると分かる。だから記憶力がピークに近いうちに、なんでもいいから覚えた方がいい。例えば、歴代天皇のお名前、英単語など。

 記憶力がいいことと頭がいいこととは違う。関係ないことを結びつける、覚えているいろいろな情報をつなぎ合わせる能力、柔軟さは、年を取った人の方がある。若い時に覚えたことはそれぞれがばらばらになっているが、それらを有機的に結びつけること、これが頭の良さだと思う。

 皆さんの年代は、とりあえず情報を貯めておく、そういう時期だと思う。今のうちにつまらないことと思われることでも覚えておくと後々役に立つ。大人になったら覚えるのが大変になる。覚えるのは今でいいが、結びつけるということがとても大切で、このことがいわゆる考えるということである。

 読書感想文は考えることであるので大切であり、つまらないと思うかもしれないが、でも面白い。本を読むと頭の中がぐじゃぐじゃになる。しかし、その時に、こうだった、こうだったと文字に書き表すと自分はこういうことを考えていたのかと分かる。考えてから書くのではない。書くということは実は考えることであり、書きながら考える。言葉にすることで考えることになる。書いたことで考えたことが分かる。

 小説家の村上春樹氏などは長い長い小説を書くが、最初から全部考えていたのかというとそんなことはない。書きながら考えている。書くことで自分はこういうことを考えているのかと分かり、次にまた書いていく。書くということは考えるためのとてもいい手段である。書くことで自分の考えが"外在化"し、客観化でき、言葉として形になる。人は自分が考えていることが実はよく分かっていない。考えることがこれからの皆さんの一番の仕事である。覚えることは今できるが、覚えたことを結びつけること、考えるということ、このことをこれから一所懸命やってもらいたい。

 考えることは面白い。皆さん国語が好きか。難しい言葉を知っているか。例えば、四文字熟語で「山紫水明」などの難しい言葉などは勉強しなくてはならないが、易しい言葉はあまり勉強しない。自分は日本語の教師で大学生に日本語を教えているが、実は日本語は案外できないということが分かる。

 例えば、「窓がある」と言う場合の窓の定義は? 開け閉めできることか、でも新幹線の窓は開けられない。窓を数える場合の基準は? 

 「入口」、「出口」と言う場合の違いは何か。「廊下に出る」と言うが、中庭の場合は、「出る、入る?」。中国の人は、「社会に入る」、「宇宙に入る」と言う。

 「机の前にいる、後ろにいる」と言う場合の違い、「椅子の上にいる」と言う場合はどういう状態か。

 「一日おき」と「24時間おき」とは違うのか、「一週間おき」とは、来週のことか、再来週のことか。 オリンピックは、「3年おき、4年おき?」などなど

 普段分からない国語の問題について、金田一が教えてくれると思って参加してくれているのかもしれないが、自分は答えを知らない。皆さんの頭の中をぐじゃんぐじゃんにすることが自分の仕事であり、趣味である。皆さんは自分自身で考えてもらいたい。

 窓はどうして数えることが難しいのか、例えば、英語ができる人に聞いてみたらいい。可算名詞、不可算名詞があることを習うと思うが、シュガー、ウォーターなどは不可算名詞、アップル、オレンジは可算名詞、ウィンドウは可算名詞であるが本当にそう言えるのかどうか。特定の言語に限らず、言葉というものはぐじゃぐじゃなものであり、そこに気付いているところから世の中は始まっていく。

 "孟母三遷の教え"は漢文で習うかもしれない。孟子のお母さんは、お寺の傍に住んでいたが、孟子がお葬式ごっこばかりしているので、市場の傍に引っ越した。そうしたら、今度はお商売ごっこばかりするようになり、次に学校の傍に引っ越した。そうしたら、お勉強ごっこを始めた。これで、この子は勉強が好きになると思い安心したという故事である。この場合、引っ越したの3回ではなく2回ではないか。ではなぜ3回引っ越したような気がしているのか、そういうことをこれから皆さんには考えてもらいたい。良く分かっているような言葉をもう一度考え直すことをしてもらいたい。例えば、「右」、「左」をどうやって定義するのか、「前」、「後」という言葉などはとても難しい。よく分かっているつもりの言葉をもう一度考え直すことをしてもらいたい。探求していくと大変である。もし、そういうことが楽しいと思ったら学に勤しんでもらいたい。父の春彦は、「勤しむ」という言葉が大好きであったが、要するに楽しんで勉強すること、楽しんで向かうこと、それを勤しむという。

 勉強がいやだなあ、つまらないなあと思っていたら、それはやめた方がいい。でも、何か今考えていることが面白いと思う人は勤しむことができるはずである。いろいろ覚えて、それらをつなぎ合わせて考えること、これが皆さんのこれからの勉強であろうと思う。コロナに負けずにがんばってもらいたい。

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(会場の様子)
  

 令和2年10月30日(金曜日)、甲府第一高等学校で出張トークを行いました。1,2年生、約500名に「ことばの再発見 ~日本語を見つめ直す~」と題して講演を行いました。落ち着いた雰囲気の生徒達に、時折問いを投げかけながら、言葉の持つ役割、日本語の特徴などについて話しました。


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(話をする館長の様子)
  


 今年はみなさんもコロナ禍で大変だったと思う。せっかく高校に入学したのに入学式もなかったし、クラスも始まっていなかったし、いまだに家でリモートの授業を受けたりしている。リモートの授業はテレビの通信教育みたいなものだから、やっぱり面白くない。教師の側もつまらない。実際に生徒の顔を見て話すのはとても嬉しい。情報を伝えるだけならリモートで困らないはずであるが、こうやって一緒の空気を吸ってお互いの顔を見ながら、体温を感じながらやる授業は全然違うものである。

 昔のお釈迦さまや孔子、キリスト、ソクラテスが話をする時には、弟子達が回りに集って、話を聞いていた。そうやって、「ああそうなんだ」と思いながら教えてもらうと、教える人のオーラみたいなものがビンビンに伝わってくる。そういう状況下でないと人は本当に影響されない。こういうことはリモートでは実現できない。

 お父さん、お母さんが常に離れていて、テレビ電話から子育てしても、子どもは育たない。やっぱり、傍にいて抱っこしたり、触ってくれたりしないと人は成長できない。友達同士でも、メールとか電話とかではつまらないし、会わないといけないんだろうなという気がする。そういうときに言葉が役に立つ、今日はそういう話をしたい。

 自分の出身高校は、自由な雰囲気がありやさしい高校だったが、ほとんど学校に行っていなかった。朝、ちょっと顔を出して、あとは抜け出して新宿に行っていたが、ホームルームの時間には帰ってきていた。修学旅行にも行かなかった。まして文化祭などは嫌いだった。その期間はひとりで旅行していた。大人になってから同級生の集まりに呼ばれて行ったら、だれも自分のことはほとんど憶えていなかった。

 若いときにはつらいと思うこと、そういう時期があると思う。年を取ると分かるようになる、楽になると言う大人がいたが、本当にそうなった。今皆さんが悩んでいることも、30歳くらいになると当時は若かったんだと思い、当時のいやなことが馬鹿々々しく思えるようになる。それは、今の自分の方が成長しているからである。

 教育はその時々によって変わる。文部省の意向によって時代によってどんどん変わっていく。戦争時には、国のために死ぬということがとても大事なこととされたが、それは兵隊さんになって人を殺しに行けという意味である。国の命令で人を殺せという教育をされていた。みんな同じ考え方で、ヒトラー、毛沢東万歳となっては困る。

 だから、自分で考えて判断してこれが正しいということを、社会が何と言おうと個人個人がそれぞれの見解を持つことが大事である。実は、正しい答えはない。世の中には答えの無いことが多い。センター試験やクイズ番組には答えがあるが、どんなに頭のいい人にも分からない答えがある。自分で考えて自分で判断して表現できるようになってもらいたい。このことがとても大切である。

 こういうことを言うと先生達に怒られるが、努力は裏切る。本当の努力は、努力ではない。卓球の愛ちゃんはきびしく指導されても卓球をやめられなかった。傍から見ていると努力しているように見えるが、愛ちゃん自身は、やりたくて好きだからやめられない。

 やりたいことを見つけられた人が成功する人である。イチロー選手は好きで野球をやっている。持続する志でも探究心でもない。どうしても諦められないということ。日本人のノーベル賞受賞者の話を聞くと、やりたいから好きなことをやっただけだと言う。結局、運である。でも肝心なことは、自分の好きなことを見つけられるかどうかだ。そういうことを"グリット"という。

 モーツァルトはどうしても音楽がやめられなかった。ピカソはどうしても絵を描くことがやめられなかった。そういう人は運さえよければ成功する。努力していると思ってやっていると実はあまり伸びないという気がする。いやだけれどがんばるんだと思って無理矢理やっていると、ある程度までは行くがそんなに成功はしない。

 校長室に飾ってある石橋湛山(甲府第一高校出身者)揮毫の額を拝見させてもらったが、そこに札幌農学校クラーク博士の「Boys, be ambitious!」の言葉があった。おそらく、博士が学生達に「君たち、希望があるか?」と聞いてみた時に、彼らは「決まっていない」と答えたに違いない。たぶん、在学した新渡戸稲造も同じではなかったか。

 日本人は謙虚でなくてはならないと教えられているので、大きな希望、野望を抱くこと、大言壮語を日本人は恥ずかしいことだと考えていた。アメリカ人は文化が違う。なにせアメリカンドリームの世界で育っているから、謙虚なおとなしい学生は博士から見たら、なんて意気地のない学生だと映った。その後、日本は大志を抱いて帝国主義政策を進めた。そういうことを皆さんには考えてもらいたい。良い子でそのまま受け取るのではなく、まず教師の言うことを疑ってもらいたい。自分で考えてもらいたい。

 言葉の話に戻ると、この中にも英語の好きな人がいると思う。現在は自動翻訳機ができてきて、英語が喋れなくても翻訳機があれば用が足りてしまう。機械の翻訳では心が伝わらないという人がいるが、そんなことはない。機械だから心が通じない、人が喋るから通じるとは言えない。充分に伝わる。機械もどんどん翻訳が上手になり進歩している。

 そうなると英語の勉強は要らない。電卓があれば割り算、掛け算は要らないと同じことである。日本人同士が日本語で話していても時にはケンカになる。まして英語で話せば心が通じるとは思えない。その分、もっと違う勉強をしたほうがいいと思う。

 これからの世の中、英語を学習することは本当に必要なのか、学習する意味は何なのか、ちょっと考えてみてもらいたい。自分は外国語を勉強する意義はあると思う。どういうことかというと、言葉というものは、その人の考えを伝えるものであり、考えることができるのは言葉があるからである。地球上には様々な言語があるので、それぞれの言語で色々なことを考えられることが分かる。

 英語がどういう構造になっているのか、また、例えばフランス語では、「どうして」と言う場合、「何のために」、「どういう原因で」という二通りの考え方をする。こういうことは自分で言語を勉強しないと分からない。

 日本語では、例えば「机の上にコップがある。床にほうじ茶が置いてある。ハンカチが床に落ちている。」という言い方をする。英語ではすべて「ある(there is)」で済むが、日本語では面倒くさい色々な表現がある。どちらがいいのか。このようにそれぞれの言語の中の世界をみることで、例えば日本語と英語ではその世界が違うことが分かる。世界中にはいろいろな形でのものの見方がある。それを知ることが外国語を勉強することの意味である気がする。ひとつの可能性として、私たちは日本語という中に閉じ込められているようなところがある。それこそ、井の中の蛙大海を知らずと言うように。

 皆さんは日本語に関しては、お母さん、お父さんが喋っているのを聞いて、いつの間にかできるようになった。そういうことを「学習」ではなく「獲得」、「暗黙知」ともいう。習っていないということ。英語は学校で習っていて、be動詞の変化などを習う。日本語では、「友達がいる」、「試験がある」と言うように「ある」と「いる」を使い分けなくてはならない。甲府駅のホームに特急あずさが「いる」、「ある」、どちらが正しいか。自分が日本語の教師として言うと、正解は無い。皆さんは日本人で日本語を母語としているので、その人の答えが正しい。国語の教師はどれが正しいかは決められない。言葉はそうなっている。皆さんの判断が正しいことになる。

 この間、「外出自粛」という言葉がはやり、テレビで戸越銀座商店街に買物に来ているおばあちゃんに聞いたら「外出自粛だからここに来た」と言っていた。そのおばあちゃんにとっては外出ではない。また、「不要不急」の時とはどんな時か。正しい答えがどこかにあるわけではない。言葉というものはそういうものである。数学の問題のように自分で考えなくてはいけない。自分で考えられるようになることが大切である。

 成長するとか、大人になるということは、分からないことが自分の中でどんどん増えて積み重なっていくこと。優柔不断、不得要領というか、そういうものの中で生きていくこと、それを我慢できることが大人になるということである。変に新しい答えに飛びつかない方がいい。何か目立つような言葉などはだいたいインチキ、うそである。危なっかしくてしょうがない。自分で考えて、答えがなくても仕方がないなあーと思い、じっーと我慢する。

 それが大人になるということだと思う。


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(会場の様子)
  
  

 10月25日(日曜日)に、金田一館長「ことば学」講演会(第1回)を開催しました。
 例年の連続講座の形ではなく、単独の講演会としての開催となりました。



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(話をする館長の様子)
  


 新語・流行語大賞の審査員をしているが、今年の候補のうち三分の二がコロナ関係である。コロナ関係の言葉には外来語が多い。コロナはユニバーサルであるということが問題で、コロナ対策をしている各国の言葉をそのまま持ってきている。本来であれば行政や官庁がわかりやすい日本語におきかえるべきところを、とにかく急いで国内に持ちこむからだ。

 こうしたコロナ関係の新語の中で、唯一好きなのが「三密」だ。日本語は、この「三密」のようにたくさんのことを一つの言葉にすっとまとめるのが得意である。日本は他の国と比べて被害が少ないようだが、その原因の一つに「三密」という簡単な言葉が僕らにあったからではないかと思う。

 言葉自体が増えたり変わったりということだけでなく、人と人とのコミュニケーションの形態も、コロナの影響を受けた。コロナ禍でZOOMなどのリモートでの会話が増えたが、会議後「退出」すればそれで終わりになる。時間が短くできるのはいいが、用件以外でのムダ話やつまらない話をする時間がなくなってしまって、味気なさ、素っ気なさを感じる。そうした用件外のやりとりの時間が人間的だったのにと思う。そういう部分がリモートワークで変わっていくのだろう。かつて手書きからワープロ、PCに変わっていったように、ZOOMなどもコロナ後の時代には新しく違うツールがでてくるのではないか。

 コロナ禍で、普通に生活していることがどんなに幸せか認識することができたように思う。元に戻れば我々はすぐこの憂鬱な世界を忘れてしまうだろうが、今の若者にはこの時代をよく見て、年を取ってからもずっと話せるように、覚えていて欲しい。

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(会場の様子)
  

 令和2年2月16日(日曜日)午後2時から4時、当館1階イベントスペースにて「館長企画事業 羽田圭介氏講演会&金田一館長とのトークショー」を開催しました。

 テレビ等でもご活躍の人気作家羽田圭介氏の講演会ということもあり、約250名の皆様方のご来場を賜りました。前半の講演会では学生時代の思い出を交えての少年期・青年期の読書体験、また作家を心ざした契機などについて楽しく語っていただき、テレビ等とは違った印象を多くの方々が受けられたようでした。

 金田一館長とのトークも羽田氏の人柄が参加者との距離感を縮めてくれ、最新作の裏話などを聞くまたとない機会となりました。

 来年度も県民の皆様に喜んでいただける企画となるよう、なお一層努力してまいりたいと思います。

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(羽田圭介氏)

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(会場の様子)

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(羽田氏と館長の様子)

 令和2年2月15日(土曜日)、山梨市民会館で出張トークを行いました。市民の皆様約70名を前に「令和の時代におけることば」と題して講演を行いました。参加された皆様は関心を持って熱心に聞いていらっしゃいました。



0215kancho01.jpg(話をする館長の様子)
  

 自分は日本語の研究をしてきたが、研究範囲には非常に狭いセクションがあり、あまり万葉集は研究していない。祖父の京助は本当はアイヌ語の研究を続けたかったが、身過ぎ世過ぎとして国語をやった。父の春彦は歌をやりたくてアクセントの研究を続けていたが、基本的には現代の日本語をやっていて、古い言葉を読むのは難しいと言っていた。それで自分は今でも万葉集は大変だと感じている。

 皆さんは「令和」という元号をどう思ったか。自分は発表を聞いた瞬間に気が抜けた。街の声も「はぁー」と言ってどうしたらいいのかという感じだった。「令」は命令の令だからなんとなく怖い気がする。「令和」は日本の古典である万葉集から選んだと安倍首相は言ったが、実は残念ながら中国語である。漢字であるから当たり前である。『文選』という詩を集めた本があり、当時の日本の知識人、柿ノ本人麻呂や山上憶良などは皆読んでいた。その文選の中にある言葉である。

 万葉集、歌そのものは日本の歌だが、取った言葉としての「令和」は歌と歌との間の解説であるから違う。おお、今まさに令月である。2月だから。韻文は五七五七七、散文は普通の文章であり、それは残念ながら中国語でしか書けなかった。なぜなら文字は中国語だったから。読み下しは日本語でできるが、中国語で書くことが教養ある人の当然の務めだった。

 万葉集は当時、歌としては存在していたが本になっていなかった。つまり書き言葉ではなかった。万葉集の時代には話し言葉しかなかった。書き言葉はおそろしく難しい。漢字が入ってきて話している言葉が書き言葉になり、当時の人は驚いたに違いない。

 歌というものは、耳で聞いて口で言う。だから覚えてしまう。「久かたの光のどけき春の日に...」。それを文字にしておこうという人達がいたが、文字にするにはどんな漢字を使えばいいのか分からない。中国の人からどうしたら文字にできるか、例えば「あ」だったらこの字がいいと教えてもらい漢字を勉強した。

 中西進氏(教育者・文学者)の万葉集の本は文庫本で出版されていて、一番分かりやすいし簡単で正確なので買って読んでもらいたい。当時、古事記は稗田阿礼という語り部が喋ったことを文字化してできた。喋るということはかなりの言葉を記憶できるらしい。文字は最初何のためにできたと思うか。例えば歴史を書くためとか。文字は残るから残ることが大切だと思われているが、残るだけなら口で言うだけで残る。耳や頭の中に残る。様々な考え方があるが、カレンダーではないかという説がある。カレンダーは口では言えない。文字で書かないとわからない。日付の順番を示すことが口ではできない。分数も同じで、「1/2÷1/3=3/2」は文字で書くから分かる。口で言っても分からない。 以前、盲学校を訪問させていただいたが、目の不自由な人はどうして勉強するのだろうか。どうやって分数を理解するのか。彼らには全然違う感覚があるのでは考えてしまう。

 以前、自動車を運転していたとき、目の不自由な人に道を譲ろうとして声を掛けたら、「金田一先生ですか」と言われてしまいびっくりした。声だけで分かってしまった。

 文字を見て物事を理解する、そういう意味では文字の役割として残せるということの他に、結局文字があることによっていろいろなことを考えられるようになることがある。

 学生に作文を教えているが、彼らの書くパターンは同じで読む前から結論が出るような書き方をする。それはつまらない。推理小説で最初から犯人がわかるようなものである。村上春樹氏、ドストエフスキー、トーマス・マン、カミュなどは長い小説を書いた。岡倉天心も茶の本を書いたが、やはり長いものだった。それだけ書かなくていけなかったからだ。書くことが考えることだった。

 自分も講演する時は、その場の雰囲気を考えながら喋っている。考えていることを口に出して言葉に変えていくとはっきりしてくる。書き言葉に変えるともっとはっきりしてくる。最初はこのテーマで書こうということくらいは分かっているだけで、後は言葉を使うことで次の言葉が生み出されてくる。そうやって深い考えに導かれていく。

 日記も、その時に自分がどんな状況だったのか、何を考えていたかが分かる。自分が何かを好きだと書いたら、なぜ好きなのか言葉で書いていって自分自身をはっきりさせていく、見つめ直すことはとても大切である。小学生、中学生、高校生、大人になってからでもいいが、自分とは一体何者だろうかということを問うていく。学問の最終的な目的は己を知ることである。己を知ることで明日からもうちょっと違う自分になれる。学問をすることで知識が増えること自体は大したことではない。そうではなくて、今まで普通に思っていたことが違って見えてくるようになる。それが学問の魅力である。例えば、文字というものは、唯々記憶の道具と思われているが、実はそうではなく考える道具なんだと気付いてもらえればそれで充分だということ。

 文明史の軸となる時代に登場した、2千年前のキリスト、その前後5,6世紀の間の孔子、マホメット、ソクラテス(~プラトン)、釈迦、この5人に共通することがある。彼らは文字を書いていないということ。孔子だけは例外で小さい本を書いているが、影響力のある『論語』、『大学』は弟子が書いた。キリストは自分で本を読んで勉強していないし、学校にも行っていない。自分で文字を書いていない。人の話を聞いて勉強したと思われており、文字とは無縁の人である。釈迦の時代はあまりに古いからまだ文字がよくできていない。弟子のアーナンダという記憶力がいい人がいて、彼が憶えていたことを他の弟子たちが文字にしていく。

 マホメットはコーランを歌い、自分の考えを伝えた。現代のシンガーソングライターのように。とてもいい声でその歌はとても素敵だったから、みんなが教えになびいた。だから長いこと本にはならなかった。口伝えがイスラムの本質だった。ソクラテスは、はっきりと文字はつまらないと言って書かなかった。弟子のプラトンが聞いて文字にしてくれた。どうしてつまらないかというと、文字は記憶するからその分人間は記憶しなくなり、人間をバカにしてしまうからということ。

 私たちも、携帯電話にいっぱい電話番号が入っているが、ほとんど覚えていない。もっとも自分の彼女の電話番号だけは覚えていたかもしれないが。

 また、文字は質問に答えないと言う。生きている人間なら答えることができる。ソクラテスにとって学ぶということは、質問に答えてくれて教えてくれるということで、それが学習であった。文字以前と文字以降の境目にキリストなり孔子なりがいる。文字のなかった時代の知恵をたくさん持っていて、文字を使う我々に残してくれたという説がある。中沢新一氏(宗教史学者・山梨市出身)がそのようなことを書いている。『カイエ・ソバージュ』(5冊)が面白いのでお薦めする。

 今は、言葉がものすごく軽くなっている感じがする。特に政治の世界で言葉の価値が低くめられている。以前に、「女性は子供を産む機械だ」と言った大臣がいて、本人は国語が苦手だと言っていたが、大臣が国語が苦手では困るのではないか。

 言葉を大切にすることがすべてのことの基本にあるような気がする。孔子はある弟子から、ある国に行って政治をするときに一番大切なことは何かと聞かれ、名を正すこと(正名という)だと答えた。言葉を正確に使うことにより、臣民は為政者を信じることができる。それで国はうまく治まる。言葉をきちっと使っていないというのが令和の時代の特徴と言われるのはいやだなあと思う。言葉がめちゃくちゃな時代に入ってしまうことは心配でしょうがない。その時に言葉を正しく使っていくことが、豊かに暮らすために、騙されないために大切になっていくのではないか。

 太平洋戦争があり、殺された戦争は大変だったという話は聞くが、人を殺した悲惨な話は聞かない。そういう悲惨なことはなぜ起きたかというと、考えられなかった、言えなかった、何となく黙っていて流されてしまったからではないか。それでは危ない。温暖化についても同じだ。議論にならないでいつの間にか温暖化はけしからんとなっている。

 日本は特に議論をしない国である。議論はA、Bとあったときに、AとBのいいところを足してCを作ろうとするものであるが、日本人の議論はどちらかが勝って、Cということが出てこない。どちらかが勝ったか負けたかではなくてCを作る、弁証法のアウフヘーベンで違うものが出てくることが正しい議論で、これがソクラテスの言う美しい対話、生産的な対話である。

 お互いに譲らないで落としどころを探す。それはすでにあるから、いい議論ではない。ないところを探す。そうでないと生産的ではない。日本人としてはいいのかもしれない。昔からそういうやり方をしてきたが、勝ち負けではない。 本をたくさん読んでもらいたい。中国の本はいい。孔子、老子、荘子、また聖書、般若心経など、古い書物は昔から伝わっているだけあって価値が高い。もちろん、万葉集などもいい。日本人のインデックス、索引みたいなもので美しいものを美しいと感じるための辞典みたいなもの。春と言ったときに春はうきうきして楽しいということがあるが、憂鬱、悲しみみたいなもの、大人の感覚みたいなものも万葉集を読むと分かる感じがする。そういう感じは今も昔も変わらない。柿元人麻呂の「~なびけ この山」は、要するに恋しい女性が見えないからこの山は邪魔だと言っている。そんなモダンな言い方ができてしまう。天才としか言いようがない。大岡信氏(詩人)の『折々のうた』もいい本である。現代の万葉集と言えるかもしれない。いろいろと活用してもらいたい。

 





会場の様子
(会場の様子)
  

 最後に、国語の教科書に文学作品をあまり載せない方向と英語の早期教育についてどう考えるのかとの質問が出ました。

 それに対して館長は、「文学と論理を分けるということについて、基本的に言葉は両方でできているから分けることはできない。文学としての国語は恐ろしく論理的であるので、論理のない文学はありえないし、文学的でない論理も実はありえないので、その二つを分けることは破綻をきたしている。あと5年くらいしたらそれができなかったことが分かるのではと思っている。

後半に関しては、異文化理解という意味では悪くないと思うが、今はほとんど自動翻訳機で足りてしまう。公文式に捉えるのであれば、例えば数字、計算は電卓の方が早いことと同じである。勉強したい人がいるのであれば特殊な教育としてやればいい。

それより哲学、考える方法をやったらいい。倫理学、道徳ではなく、これをすべきなのはどうしてかという理由を突き詰めていくような、あなたがここに存在するのはどうしてかみたいな哲学をきちんとやった方がいい。それは、言葉、我々の場合は日本語でやる、日本語を一生懸命勉強することがすべての学問の基礎になると思う。と答えました。