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2020/02/09 韮崎市で出張トークを行いました

 令和2年2月9日(木曜日)、韮崎市民交流センターニコリで出張トークを行いました。市民の皆様約100名を前に「大人の日常会話~変化する日本語~」と題して講演を行いました。打ち解けた雰囲気の中でトークが弾みました。


話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 今日は、会話、おしゃべりするとはどういうことかについて話したい。

 大体、この年になってくると病気の話しかしない。女性はお孫さんや子どもさんの話が多いと思うが、男同士だと時事問題の話もするかもしれない。

 話題、トピックというか、会話にはいろいろな要素があり、言語学でも会話の研究がされていて何について話すかが重要な項目になっている。

 また、例えば学校の合宿で夜、一緒に寝たときに真っ暗になってからするおしゃべりはどういうものになるか。そういう時にはどういう声でしゃべるのかといったしゃべり方の研究がある。怖い話の場合は、おしゃべりが無声化する。こういうことも会話するときには大切な要素となる。

 皆さんは外国の人達との交流会みたいなものに参加したことはあるか。そういう時に日本人は疑問文ばかり発している。どこから来たのか、食物は何が好きか、いつ帰るのかなど。外国人からしたら、日本人は聞くばっかりで警察のようだとなる。会話がなかなかできない。自分も他の人としゃべることが苦手である。

 無駄なおしゃべりをしなければならない時には話題をどうしたらいいかがまず問題で、我々は会話で時間を潰すのがとても苦手にできている。

 北海道の人を喜ばせる会話は、「寒いですね」で「寒くないね」と言うとたぶん怒る。反対に熊谷の人に「あんまり暑くないね」と言うと喜ばない。そういうふうに何をトピックにして無駄話をするか、そのことをどうしたらできるかが大切。質問ばかりしていると相手をどんどん追い詰めることになってしまう。

 日本人にとって知らない人同士の会話は難しい。自分も人見知りだからしゃべれない。よく言われるのは、知らない所に行ったときに外国人は現地の人に道を聞くが、日本人は自分で地図を見る。地図がないと地図はどこですかと聞く。

 会話をするためには会わなくてならないが、今、話をしている金田一と会っていると言えるか。家に帰ってから金田一に会ったと言えるか。また、一緒に住んでいる家族に会ったと言うことは難しい。会うとはどういうことか。答えはあるが、家に帰ってから考えてもらいたい。

 勉強は知らないことを覚えることではない。知識はすぐにインターネットで分かる。知識を増やすことは何でもないことになってきている。それよりも、考えることができた方がいいし大切である。

 大学で朝、学生に会って「おはよう」と言った後、昼に「こんにちは」とは言えない。 その日、一度でも会った人には「こんにちは」は言えない。同じように「さようなら」ももう一度会ったときには言いづらいし何を言ったらいいのか、何となく気恥ずかしい感じがする。日本語の挨拶には、相手に対して敵意がないことを示し合うことの他に時間を区切るという意味がある。相手と会っていない時間とこれから会う時間を区切るということがある。

 「いただきます」、「ごちそうさま」は食事を区切る。「行ってきます」は家にいない時間が始まる、「ただいま」は家にいる時間が始まることを示す。「おはようございます」は本来的には、「朝早くからご苦労さまです」という意味で、仕事が始まることを区切っている。これから仕事をするという気合が入る感じがする。だから、夜の仕事でも「おはようございます」と言う場合がある。挨拶も極々日常的に使っているが実は会話として案外難しい。

 日本人は無駄話(ファティック)は好きであるが、知らない人と会話することをしたがらないし、パーティートークなどの愚にも付かないような話をすることが不得手である。一方、明石家さんまさん、永六輔氏や黒柳徹子氏など職人的に上手な人はいるが、普通はネタが無くて時間を潰すことができない。ネタをうまく活用できることが会話上手になるコツである。自分もこういう仕事をしているといろいろなネタを覚える。

 小ネタを知っておくと割といい。ひとつ紹介すると、語源が素敵なものとして「桜(さくら)」がある。「さくら」の「さ」は神様のこと、「さおとめ」とか「さつき」の「さ」も同様。「くら」は場所を表すので、「さくら」は神様のいる場所という意味になる。「うぐいす」を分解すると、「うぐい」と「す」になる。「す」は鳥の名前に多い。「からす」とか「かけす」などで「す」は鳥の意味。

 「こたつ」は禅の言葉だというが、柳田国男に言わせると脚立の意味であるという。昔、牛車というものがありそれに乗る木の台がこたつと似ていたことに由来するという。落語では、こういう話が好きでよく小話にある。

 仲間が集まってジョークを言う時に下ネタなどになったりするものもあり、外国人はよく使う。そうではなくておしゃれな会話ができることが大切だと思う。日本人はそういう会話は苦手であり、気の利いた言葉がなかなか出てこない。国会中継を聞いていると、聞かれたことに少しも答えられない。自分の言いたいことを言っているだけで聞くことができない。

 ラジオ深夜便という番組に出ていて著名な作詞家と話す機会があり、今までに、なかにし礼氏、井上陽水氏、秋本康氏とも対談させてもらった。自分はしゃべるより聞く方が好きで、林真理子氏や阿川佐和子氏との雑誌の対談でも聞いてばかりいた。日本にはしゃべることが好きで上手な人もいるが、聞くことが上手な人はあまりいないのではないか。

 大学受験で英会話の試験をするというが必要ないと思う。英語をしゃべらなくてはならない状況になる日本人の割合はとても低いし、自動翻訳機もある。むしろ日本語会話の試験をすればいいのではないか。

 もっと違うことを勉強してもらいたい、考えてもらいたい。日常の中から謎を見つけることが面白い。勉強は何か知らないことを覚えることではなく、知ったつもりになっていることに対して違う見方ができるようになることの方が魅力である。

 敬語に関して言うと敬語はあまり大げさに使わない方がいい。「です、ます」程度でいいし、それで充分に綺麗である。言葉をどんどん丁寧にしていくと断ることができなくなる。断ることのできないお願い、依頼は命令となってしまい相手が縛られてしまう。とても失礼である。また、敬語は実は、上の人に使うもので下の人には使わないというものではなく、もっともっと複雑なルールがある。

 




会場の様子
(会場の様子)
  

 最後に数人の方から質問が出ました。甲州弁で気になっている言葉はあるかとの問いに対して館長は、自分が大学生の時に長坂町の自動車教習所に通い、教官から「ブレーキふんじょ」と言われ、踏んでいいものか、踏んではいけないのか分からくて困った。家に帰ってから父の春彦に聞いたら、それは古語の「ふみなそ」からの言葉だと思われるから禁止の意味であろうと教えてくれたことを話しました。