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2019/11/09 都留市まちづくり交流センターで出張トークを行いました

 令和元年11月9日(土曜日)、都留市まちづくり交流センターにて、館長出張トークを行いました。約280名の市民の皆様に、「心を通わす言葉~言葉の真ん中には何がある?~」と題して話しました。館長の楽しく軽妙な語り口で会場は終始笑いに包まれていました。

話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 自分は今年の流行語大賞の選考委員の一人で、他の委員の皆さんとこの間の委員会でご一緒させていただいた。今年はなんと言っても改元した「令和」が一番大切なことで、それこそ寿ぐべきことで、しかも生前退位という特別な形でおめでたく代替わりされたが、皆さん、もう忘れている感がある。ラグビーワールドカップが開催されたので、そちらの方の言葉に注目が集まっている。

 実は、「流行語大賞」は本当の流行語ではない。本来は何度も普通に使う言葉を流行語というが、「流行語大賞」はイベントとして使われるものとなっている。例えば「軽減税率」とか。

 自分が推した言葉で「肉肉しい」がある。美味しさ、味とかはなかなか言葉に代えられない。美味しさだけでなく、肉の臭み、灰汁、固さというか、何かじわーっとするようなものを含んでいる。如何にもという感じがする。応用して「芋芋しい」などもいいではないか。

 言葉の真ん中には何があるか。言葉の"へそ"の部分を考えてみると、言葉の中心にあるものは、一般的にはコミュニケーションであり、情報伝達が言葉の役割であるという考え方がある。

 もう一つ、もっと大切な役割がある。それは、言葉を使って考えるということである。私たちは普段、言葉を使って考えるということをしている。言葉がないと考えることができないし知恵が出てこない。言葉は考えるための道具であると言える。

 しかし、もっともっと大切な言葉の働きがあり、それは、人と人とを繋なぐ道具ということ。動物同士は、言葉ではなく鳴き声で様々なことを伝えている。私達も同じ言葉を使うと仲良くなる。日常何気なくする挨拶としての会話もそれであり仲間意識が出る。

 最近、正しい日本語、美しい日本語を使わなくてはいけないと言われている。例えば、「今日は全然寒い」という言い方は、けしからんと言う人がいる。しかし、明治の頃には、森鴎外や夏目漱石は、「今日は全然暖かい」という言い方をしている。「全然」には強める意識しかなかった。それが昭和になって「全然」は否定形と繋がるようになり、私達の意識がいつの間にか変わってしまった。

 また、「とても寒い」という言い方は、昔はだめだった。芥川龍之介が怒っている。「とても」は今と同じように「~ない」と繋がらなければならなかった。しかし、芥川龍之介と同じ時代にそうでない使い方をする人が沢山出て来ていた。「鳥肌が立つ」という言い方を嬉しい時に使うとは何事かという人もいる。本来は気持ちが悪いとか恐ろしいときに使うべきである。 吉田兼好は「徒然草」の中で、若い者は言葉の使い方が分かっていないと書いている。昔からそうであり、諦めるしかない。言葉は変わっていくから仕方ない。

 谷川俊太郎氏(詩人)と話をした時に、「言葉は無力だ。音楽は自由にいろいろな表現ができるが、それに比べて言葉は何もできない」とおっしゃっていた。言葉はどうしても変わっていってしまうが、人と人を結びつける会話、何気ない会話が私達にとってとても大事である。

 私達はホモ・サピエンスとして、言葉を5万年前に獲得したと言われており、脆弱な動物だが頭だけは発達し考える力がある。言葉があることでみんなで協同して働くことができるようになる。1匹のライオンを1対1では殺すことができないが、10人ならできる。言葉で10人の役目を説明できるから生き残って文明を持つことができた。

 仲間、グループ、集団を作ることに役立ったのが言葉であるが、逆に敵を作ってしまうことにもなる。違う言葉を使う連中は、違う連中だと思ってしまう。例えば、ユーゴスラビアは7つの言語に分かれていたが、言葉が原因で殺し合いを始めることになってしまった。そういう恐ろしさがある。

 今、機械(コンピュータ・AI)の言葉がある。外国語の翻訳機が登場して、英語などはかなり相当良く翻訳でき、中・高校レベル以上である。私が教えている中国からの留学生は、皆持っていて作文を書くときも中国語で書いたものを日本語に翻訳してすぐ提出してくる。もっとも機械で翻訳したことは分かる。ファティック(人と人を結びつける言葉)まで完璧に翻訳はできない。

 AIができることと人間ができることの境目はどこなのかよく分からない。囲碁などでは、AIは短時間で何十万回も対局して戦術的データを蓄積してしまう。人間にAIの戦略は説明できないが、それで勝ってしまう。AIは、目標がはっきりしていることについては得意だが、目的がないことについて答えを出すことはできないし、ファティックな言葉に関して言えば無理がある。

 今後、医者がいなくなることは想像できる。今も検査データしかみていない医者が多い。それならば、診断を下すのはAIの方が正確にやってくれる。でも、病気になった時にやさしく接してくれる医者は必要。やさしさみたいなものを評価できるのは人間である。AIに俳句は作れるかもしれないが、人間の心を動かせるかどうかの判断、評価は人間にしかできない。介護の仕事なども、やっぱり機械では無理がある。子どもを育てること、教育などもAIはある程度できるかもしれないが、人間が習うにはAIではだめである。

 効率は悪いかもしれないが、それが人間の世界である。能率良く、安くしよう、早くしよう的にやることはAIに任せればいい。

 リニア新幹線ができて東京まで15分で行けることになるかもしれないが、それが嬉しいかと言われると、逆に忙しくなるだけである。昔は道中を楽しむこともできた。費用対効果、コストパフォーマンスみたいなことばっかり考える世界は決して人を幸せにしていない。人と人との繋がりのある世界の方が幸せである。それこそが人間の生きる道のはずである。家にいてコンピュータを操作してもっともっと進歩することがいいのか、人の世の中にいい未来があるとすれば、たぶんそれは逆の方向に向かうのではないか。 普段は都会に住んでいる人間で田舎に畑を持ち作物を作っている人がいる。大地から自分の手で世話をして収穫することがとても嬉しい。そういう世界の方が人間を幸せにする。若い人達(高校生)はこれからあと80年位生きなければならないから大変だ。数字、効率、競争、優勝劣敗みたいな、そういう世界になったらだめだと思う。

 ラグビーで示された、仲間意識をもってお互いの足りないところを補い合い、文化を尊重し合う「ワンチーム」、「フェアプレー」、「ノーサイド」精神などに象徴される仲良くやっていくような、また、無駄なことをするような世界の方が人間を幸せにするのではないか。行くべき未来はそこら辺にあるのではないか。

 



会場の様子(会場の様子)