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2020/11/22 金田一館長「ことば学」講演会(第2回)を開催しました

 11月22日(日曜日)、金田一館長ことば学講演会(第2回)を開催しました。
 第2回は、第1回の参加者から寄せられた質問についての回答とそれにまつわるお話のあと、奈良田に残っていた古い音やアクセントについて触れ、今後の講演や講義で「音声学」を取り上げていきたいと語りました。


(質問)「見られる」のような動詞の可能形を、「見れる」とするら抜き言葉を日常的に聞くが、文法的に問題はありませんか。

 上一段・下一段活用(否定形で「る」が取れ「ない」がつく動詞)の可能形には、「られる」をつけるのが文法的には正しい。五段活用の動詞では、「る」が取れて「れる」がつく。一段活用の動詞が五段活用の動詞にひっぱられ、「られる」でなく「れる」をつけてしまうと、「ら抜き」になる。五段活用も昔は「られる」がついたが、現在は「れる」という「ら抜き」が普通になった。一段動詞も大正時代から変化が始まっており、いずれ「ら抜き」が普通になる。文法として間違いといえば間違いではあるが、変化の過程のことである。問題となるのは、言葉として通じなくなったときだろう。

(質問)辞書にないような若者の言葉をどう思いますか。

 いいと思う。若者たちの言葉はたくさんある。彼らが高齢者になったときに、次の時代にどうやってつなげていくのか興味がある。若い頃に覚えた言葉は世代が上がっても使うので、各世代でミルフィーユのように重なって言葉は変化していく。

 「やぶさかでない」「気が置けない」など、言葉の意味が本来のものと正反対になって使われていることがある。変わっていくのは仕方がないが、誤解を用心して使われなくなるので、どんどん古くなって本来的な日本語が消えていく。そうやって、若い人が言葉を変化させていく。


(質問)日本語はいつの時代に完成されたんですか。

 完成することはない。甲府の町が完成しないのと同じで、永遠に変化し続ける。ラテン語など、今その言語で話す人がいない書き言葉としての言語は変化しない。話し言葉は永遠に変化し続ける。

※第3回以降の講演会については、中止となりました。