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2020/02/15 山梨市民会館で出張トークを行いました

 令和2年2月15日(土曜日)、山梨市民会館で出張トークを行いました。市民の皆様約70名を前に「令和の時代におけることば」と題して講演を行いました。参加された皆様は関心を持って熱心に聞いていらっしゃいました。



0215kancho01.jpg(話をする館長の様子)
  

 自分は日本語の研究をしてきたが、研究範囲には非常に狭いセクションがあり、あまり万葉集は研究していない。祖父の京助は本当はアイヌ語の研究を続けたかったが、身過ぎ世過ぎとして国語をやった。父の春彦は歌をやりたくてアクセントの研究を続けていたが、基本的には現代の日本語をやっていて、古い言葉を読むのは難しいと言っていた。それで自分は今でも万葉集は大変だと感じている。

 皆さんは「令和」という元号をどう思ったか。自分は発表を聞いた瞬間に気が抜けた。街の声も「はぁー」と言ってどうしたらいいのかという感じだった。「令」は命令の令だからなんとなく怖い気がする。「令和」は日本の古典である万葉集から選んだと安倍首相は言ったが、実は残念ながら中国語である。漢字であるから当たり前である。『文選』という詩を集めた本があり、当時の日本の知識人、柿ノ本人麻呂や山上憶良などは皆読んでいた。その文選の中にある言葉である。

 万葉集、歌そのものは日本の歌だが、取った言葉としての「令和」は歌と歌との間の解説であるから違う。おお、今まさに令月である。2月だから。韻文は五七五七七、散文は普通の文章であり、それは残念ながら中国語でしか書けなかった。なぜなら文字は中国語だったから。読み下しは日本語でできるが、中国語で書くことが教養ある人の当然の務めだった。

 万葉集は当時、歌としては存在していたが本になっていなかった。つまり書き言葉ではなかった。万葉集の時代には話し言葉しかなかった。書き言葉はおそろしく難しい。漢字が入ってきて話している言葉が書き言葉になり、当時の人は驚いたに違いない。

 歌というものは、耳で聞いて口で言う。だから覚えてしまう。「久かたの光のどけき春の日に...」。それを文字にしておこうという人達がいたが、文字にするにはどんな漢字を使えばいいのか分からない。中国の人からどうしたら文字にできるか、例えば「あ」だったらこの字がいいと教えてもらい漢字を勉強した。

 中西進氏(教育者・文学者)の万葉集の本は文庫本で出版されていて、一番分かりやすいし簡単で正確なので買って読んでもらいたい。当時、古事記は稗田阿礼という語り部が喋ったことを文字化してできた。喋るということはかなりの言葉を記憶できるらしい。文字は最初何のためにできたと思うか。例えば歴史を書くためとか。文字は残るから残ることが大切だと思われているが、残るだけなら口で言うだけで残る。耳や頭の中に残る。様々な考え方があるが、カレンダーではないかという説がある。カレンダーは口では言えない。文字で書かないとわからない。日付の順番を示すことが口ではできない。分数も同じで、「1/2÷1/3=3/2」は文字で書くから分かる。口で言っても分からない。 以前、盲学校を訪問させていただいたが、目の不自由な人はどうして勉強するのだろうか。どうやって分数を理解するのか。彼らには全然違う感覚があるのでは考えてしまう。

 以前、自動車を運転していたとき、目の不自由な人に道を譲ろうとして声を掛けたら、「金田一先生ですか」と言われてしまいびっくりした。声だけで分かってしまった。

 文字を見て物事を理解する、そういう意味では文字の役割として残せるということの他に、結局文字があることによっていろいろなことを考えられるようになることがある。

 学生に作文を教えているが、彼らの書くパターンは同じで読む前から結論が出るような書き方をする。それはつまらない。推理小説で最初から犯人がわかるようなものである。村上春樹氏、ドストエフスキー、トーマス・マン、カミュなどは長い小説を書いた。岡倉天心も茶の本を書いたが、やはり長いものだった。それだけ書かなくていけなかったからだ。書くことが考えることだった。

 自分も講演する時は、その場の雰囲気を考えながら喋っている。考えていることを口に出して言葉に変えていくとはっきりしてくる。書き言葉に変えるともっとはっきりしてくる。最初はこのテーマで書こうということくらいは分かっているだけで、後は言葉を使うことで次の言葉が生み出されてくる。そうやって深い考えに導かれていく。

 日記も、その時に自分がどんな状況だったのか、何を考えていたかが分かる。自分が何かを好きだと書いたら、なぜ好きなのか言葉で書いていって自分自身をはっきりさせていく、見つめ直すことはとても大切である。小学生、中学生、高校生、大人になってからでもいいが、自分とは一体何者だろうかということを問うていく。学問の最終的な目的は己を知ることである。己を知ることで明日からもうちょっと違う自分になれる。学問をすることで知識が増えること自体は大したことではない。そうではなくて、今まで普通に思っていたことが違って見えてくるようになる。それが学問の魅力である。例えば、文字というものは、唯々記憶の道具と思われているが、実はそうではなく考える道具なんだと気付いてもらえればそれで充分だということ。

 文明史の軸となる時代に登場した、2千年前のキリスト、その前後5,6世紀の間の孔子、マホメット、ソクラテス(~プラトン)、釈迦、この5人に共通することがある。彼らは文字を書いていないということ。孔子だけは例外で小さい本を書いているが、影響力のある『論語』、『大学』は弟子が書いた。キリストは自分で本を読んで勉強していないし、学校にも行っていない。自分で文字を書いていない。人の話を聞いて勉強したと思われており、文字とは無縁の人である。釈迦の時代はあまりに古いからまだ文字がよくできていない。弟子のアーナンダという記憶力がいい人がいて、彼が憶えていたことを他の弟子たちが文字にしていく。

 マホメットはコーランを歌い、自分の考えを伝えた。現代のシンガーソングライターのように。とてもいい声でその歌はとても素敵だったから、みんなが教えになびいた。だから長いこと本にはならなかった。口伝えがイスラムの本質だった。ソクラテスは、はっきりと文字はつまらないと言って書かなかった。弟子のプラトンが聞いて文字にしてくれた。どうしてつまらないかというと、文字は記憶するからその分人間は記憶しなくなり、人間をバカにしてしまうからということ。

 私たちも、携帯電話にいっぱい電話番号が入っているが、ほとんど覚えていない。もっとも自分の彼女の電話番号だけは覚えていたかもしれないが。

 また、文字は質問に答えないと言う。生きている人間なら答えることができる。ソクラテスにとって学ぶということは、質問に答えてくれて教えてくれるということで、それが学習であった。文字以前と文字以降の境目にキリストなり孔子なりがいる。文字のなかった時代の知恵をたくさん持っていて、文字を使う我々に残してくれたという説がある。中沢新一氏(宗教史学者・山梨市出身)がそのようなことを書いている。『カイエ・ソバージュ』(5冊)が面白いのでお薦めする。

 今は、言葉がものすごく軽くなっている感じがする。特に政治の世界で言葉の価値が低くめられている。以前に、「女性は子供を産む機械だ」と言った大臣がいて、本人は国語が苦手だと言っていたが、大臣が国語が苦手では困るのではないか。

 言葉を大切にすることがすべてのことの基本にあるような気がする。孔子はある弟子から、ある国に行って政治をするときに一番大切なことは何かと聞かれ、名を正すこと(正名という)だと答えた。言葉を正確に使うことにより、臣民は為政者を信じることができる。それで国はうまく治まる。言葉をきちっと使っていないというのが令和の時代の特徴と言われるのはいやだなあと思う。言葉がめちゃくちゃな時代に入ってしまうことは心配でしょうがない。その時に言葉を正しく使っていくことが、豊かに暮らすために、騙されないために大切になっていくのではないか。

 太平洋戦争があり、殺された戦争は大変だったという話は聞くが、人を殺した悲惨な話は聞かない。そういう悲惨なことはなぜ起きたかというと、考えられなかった、言えなかった、何となく黙っていて流されてしまったからではないか。それでは危ない。温暖化についても同じだ。議論にならないでいつの間にか温暖化はけしからんとなっている。

 日本は特に議論をしない国である。議論はA、Bとあったときに、AとBのいいところを足してCを作ろうとするものであるが、日本人の議論はどちらかが勝って、Cということが出てこない。どちらかが勝ったか負けたかではなくてCを作る、弁証法のアウフヘーベンで違うものが出てくることが正しい議論で、これがソクラテスの言う美しい対話、生産的な対話である。

 お互いに譲らないで落としどころを探す。それはすでにあるから、いい議論ではない。ないところを探す。そうでないと生産的ではない。日本人としてはいいのかもしれない。昔からそういうやり方をしてきたが、勝ち負けではない。 本をたくさん読んでもらいたい。中国の本はいい。孔子、老子、荘子、また聖書、般若心経など、古い書物は昔から伝わっているだけあって価値が高い。もちろん、万葉集などもいい。日本人のインデックス、索引みたいなもので美しいものを美しいと感じるための辞典みたいなもの。春と言ったときに春はうきうきして楽しいということがあるが、憂鬱、悲しみみたいなもの、大人の感覚みたいなものも万葉集を読むと分かる感じがする。そういう感じは今も昔も変わらない。柿元人麻呂の「~なびけ この山」は、要するに恋しい女性が見えないからこの山は邪魔だと言っている。そんなモダンな言い方ができてしまう。天才としか言いようがない。大岡信氏(詩人)の『折々のうた』もいい本である。現代の万葉集と言えるかもしれない。いろいろと活用してもらいたい。

 





会場の様子
(会場の様子)
  

 最後に、国語の教科書に文学作品をあまり載せない方向と英語の早期教育についてどう考えるのかとの質問が出ました。

 それに対して館長は、「文学と論理を分けるということについて、基本的に言葉は両方でできているから分けることはできない。文学としての国語は恐ろしく論理的であるので、論理のない文学はありえないし、文学的でない論理も実はありえないので、その二つを分けることは破綻をきたしている。あと5年くらいしたらそれができなかったことが分かるのではと思っている。

後半に関しては、異文化理解という意味では悪くないと思うが、今はほとんど自動翻訳機で足りてしまう。公文式に捉えるのであれば、例えば数字、計算は電卓の方が早いことと同じである。勉強したい人がいるのであれば特殊な教育としてやればいい。

それより哲学、考える方法をやったらいい。倫理学、道徳ではなく、これをすべきなのはどうしてかという理由を突き詰めていくような、あなたがここに存在するのはどうしてかみたいな哲学をきちんとやった方がいい。それは、言葉、我々の場合は日本語でやる、日本語を一生懸命勉強することがすべての学問の基礎になると思う。と答えました。