ちらし類(ちらしるい)


市川御陣場御崎明神富突願書
(いちかわごじんばみさきみょうじんとみつきねがいしょ)


市川御陣場御崎明神富突願書(0400082566-059/-064)

 富くじは、現在の宝くじの仕組みと同様なものといえます。江戸時代にはしばしば禁止令が出されるほど大流行し、大いに庶民の夢を誘いました。この資料は、文政13年(1830)から天保3年(1832)にかけて八代郡上野村(三珠町)の御崎明神社が興行主となって甲府の浅間神社境内で興業したときの一連のもので甲州文庫主の功刀亀内氏が昭和6年自ら編さんしてまとめた資料群です。富くじは文化・文政年間(化政期)には最盛期となったと伝えられ、甲府などの地方都市にも流行がひろがりました。その方法は、興行主が富札を発行し、興業の日に発行札と同数の番号札を大きな箱に入れてその番号札を大錐で突き刺して当たり番号を決めるというものでした。当たり札の宝金(賞金)は最高額が90両、ついで50両というようになっていました。また、当たりくじの両袖、つまり、番号の1字違いの札にも宝金が出されたといいます。まさに、今日の宝くじの原形のようなものであったにちがいありません。
 甲州文庫中には富札や突き棒などの原資料も残されています。富くじは、いわゆる天保の改革で全面的に禁止され、以後復活されることはありませんでした。



*****冊子 **絵図 **ちらし類 ***新聞 ***番付 ***錦絵*****
*****はりつけ資料 ***文書 ***もの資料*****
*****もどる *****HOME*****

(C)山梨県社会教育施設情報化・活性化推進委員会/山梨県立図書館