
自分の祖父の京助と父の春彦は国語辞典を作ったが、国語が得意でない人もいる。自分の娘は国語が苦手で、学校から感想文の宿題が出されたときに「つまらなかった」と書いたら30点だった。娘は自分の考えを書けと言われて書いたのにと怒っていた。 高い点をもらいたかったら、宿題を出した先生がどう思っているかを書く必要があるわけだが、読んだ本人がつまらなかったら、つまらないと書けばいいと思う。みんな一人ひとり違うことを考えているのだから。自分はいつも先生から「金田一君は変わっているね」と言われ、「ありがとう」と答えていた。自分が自分であるためには変わっていることもいいことである。親の考えていることと自分で考えていることが違ってくるかもしれないが、怖れないでほしい。日本では、先生の言うことには疑問を持たず正しいと考えてしまうが、変だと思ったら聞いてみればいい。外国へ行くと、変だと思ったらなぜそうなのか、みんなよく聞いている。 英語に関して言うと、いま、自動翻訳機「ポケトーク」が使われている。皆さんが大きくなっている時には、もっと性能が良くなっているはずである。英語の勉強が面白いと思う人は続ければいいし、いやならやめてもいい。英語の先生に怒られてしまうが、英語の勉強はあまり必要なくなる。そういう便利な機器を使い外国の人といっぱいしゃべって交流してほしい。 本を読むことは、いろいろな人と話をすること。いろいろな人の考え方を知ることができる。自分と違う考え方を知ることで、とてもいい刺激になる。 自分は、小学校2、3年の頃、病気でずっと病院に居た。ラジオを聞くことと本を読むことしかできなかった。よく読んだ本は、地図帳、時刻表、人名辞典、歴史年表、図鑑類などで圧倒的に楽しかった。そういう本では感想文は書けないが、『星の王子さま』のような物語でも好きな本はあった。『吾輩は猫である』(夏目漱石)と『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫)である。後者は、著者が医師として乗船し世界各地を見聞した話である。自分はそういう生き方に影響を受けた。 みんなが正しいということが本当に正しいことかどうかはわからない。一人ひとりがよく考えることが大切である。 最近の例を出すと、小さい子が親に虐待されて死んでしまう痛ましい事件があった。児童相談所の対処がまずかったと報道されたが、大きく考えるとたくさんの子供達が助かっていて保護に失敗した一例だけがニュースになってしまう。世の中にいろいろな意見があるなかで、自分自身で考えられることが読書の効用である。そういう意味で本を読んでおいた方がいい。 最後に、作文の書き方について言うと、上手か下手かではなく、こういう書き方がある。書く前に結論が決まっているのが一般的であるが、面白いか、つまらないか、分からないままに書き出す。それは、書くことで、面白いか、つまらないかが分かるということ。書くことで結論を出す。書けるところから書いていく、考えるために書いていく、そして最後に結論が出てくる。よくがんばって聞いてくれて感謝する。
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