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2019/6/13 北都留地区学校図書館研究会で出張トークを行いました

 令和元年6月13日(木)、北都留地区学校図書館研究会(大月市民会館)で出張トークを行いました。図書館主任、司書約30名を前に「私の読書体験」と題して講演を行いました。比較的少人数の聴衆に対し、時間内で目一杯話しました。



0613-1.jpg(話をする館長の様子)
  

 図書館はだれも借りたことのない本を所蔵していることが誇りだと思っている。少なくとも、県立図書館は貴重書を所蔵することが務めである。また、設備が充実していて快適で利用者が多い開かれた図書館にしたいと思っている。

 最近、ひきこもりが問題になっているが、自分もひきこもりだった。明日からでもひきこもり自由にゆったりと暮らしたいと思っている。だから、電話は非公開でメールアドレスは最小限知らせるだけ。お客もあまり来てほしくない。そもそも日本には、ひきこもりの伝統があるではないか。鴨長明や吉田兼好などは、世を捨てて暮らしていた。他にも西行や良寛など。

 実は、小学校2,3年の頃、ネフローゼを患って2年間病院のベッドで暮らしていた。薬の副作用で体が浮腫んでなかなか治らなかった。同じ病室にいて治そうと努力していた友達は死んでいった。この闘病経験から努力は無駄だと思うようになった。無駄な努力があることを知った。

 引退したイチロー選手は、好きで野球をやってきたわけで、これを端から見れば努力と映る。努力というより"グリット"というもので、好きなことはやめられないという気持ちがある。私の祖父の京助は、アイヌの研究を毎日毎日していたが、呆れるほどで中毒に近い状態だった。最終的には、そういう人が成功してしまう。

 家には本が腐るほどあった。今、自分の研究室には、読まない本もあり何かの時に読むかもしれない、そういう本もある。

 自分が最も好きだったのが時刻表や地図帳、人名辞典、年表、旅行案内書である。日本で一番偉い人は人名辞典でページ数が一番多い人物だと考えたりして、わくわくしながら読んでいた。

 病院でも本をよく読み、その前からも読んでいて読書量はかなりあった。それで、読書感想文は書けると思っていたが、書けなかった。こういう生徒は国語が嫌いになる。国語が嫌いだった人が国語の先生になればいいし、教科書を作ればいい。

 読書感想文を書くためには、初めから最後まで読まなくてはならない。自由が利かない。時刻表なら見たい路線だけ見られる。あれこれ想像しながら見ると面白い。

 パール・バックの『大地』について書かされたことがある。「苦しい時の神頼み」と書いた。お祈りするが、助かるかどうかは運次第ということである。ところが教師は、「なんて信心深いのか」といった感想を期待していた。教師が考えることを自分も考える子供が国語のできる生徒となる。忖度が張り巡らされている。

 日本では、個々のオリジナルの考えはなかなか認められない。合意形成のルールがあり、例えば、日本女子のカーリングチームで「そだねー」というのは、可愛らしくて好意的でチームワークが良くて評判が良かったが、実は何も考えずに「はい」という返事をしたことと同じである。英語でいう「YES」ではない。相手の気持ちを聞いたという意味に過ぎない。最後に空気があってそれを読むということ。日本人は議論が大嫌いであり、合意できる共通項を探している。落としどころを探している。新しいこと、考えは出て来ない。初めから考えていない。

 一方、外国のチームは、リーダーシップでこうやると決める。恐ろしく独裁的でもある。 日本では、よく「皆さんのお陰」だという。みんなの意見があってそれを言わせるのが日本人の会議。言いたいことがあっても黙っている。何か言うと、「そんなのやめろよ」と言われる。何か言えと言われれば、リーダーが考えているようなことを言う。あまり出過ぎると、尖りすぎると良くない。だから、出るなら少しでなく一杯出ればいい。そうすれば打たれない。

 みんなと同じでなくてはならない、一緒でなくてはいけない。今の日本ではそういうことがかなりある。だから、不登校などは認めない。ひとりだけやらないのは、ずるい、いけないとされる。ところが、今は、とてもではないが真っ当に暮らせるような世の中ではない。便利になって余裕ができたはずなのに、かえって神経がすり減るような状態。"交換"の世の中で、効率、能率、費用対効果が優先される。少ない時間で教えてたくさんの効果を得る。それがいい教育で、そのためにはすぐには役立たない哲学、倫理学などの一般教養は教えず、実践的な教育、役に立つような教育をする。これは、教育の自殺行為である。

 20万年前、ホモサピエンスが誕生し、"贈与"、ギフトで暮らしてきた。お金、経済、資本主義は交換の原理で動くが、もううんざりしているのではないか。教育で役立つ人材をつくることや数値ばかりが大切にされ追求される。

 自分の読書体験を話すと、小学生の頃は、時刻表や地図帳、辞典類、中学生になると、『怪盗ルパン』、『どくとるマンボウ』、『銭形平次』、『007』など、高校では、太宰治や中原中也などが好きだった。

 あと、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』はとてもいい読書案内書である。不条理や実存主義といった、この世の中とどうもうまくいかないと思っている人向けに、カフカ、カミュ、ハイデガー、ドストエフスキー、メルヴィルなどが紹介されていた。自分一人、孤独なんだということを知り、制約を断ち切ってゼロになっていろんな意味で自由になりたいと思いながら読んだ。毎日が大きな読書体験だった。

 マスメディアに出るといいことがあり、それは面白い人に会えること。大岡信氏(詩人、評論家)や谷川俊太郎氏(詩人、翻訳家、絵本作家)にも会えた。谷川氏は今、最も美しい日本語を書く人だと思う。日常的な言葉を使って、洗いざらしの美しい言葉を作り出してしまう。自分の気持ちを裏切らない言葉を使い誠実なことが重要であるとのこと。

 また、『スヌーピー』や『マザーグース』の翻訳をされていて、「翻訳のコツは何ですか、語彙が多いことですか」と聞いたら、「語彙は量ではなく質だと思う」と言われた。

 今、面白いのは俳句である。自分が好きな池田澄子氏(俳人)の句に「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」というのがある。「じゃんけんで負けて人間に生まれたの」とすれば、その程度であるということ、無常である。人間もホタルと変わるところはなく、はかない暮らしをしている。

 坪内稔典氏(俳人)の句に「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」というのがある。俳句は作る時と読む時と2回作ることができる。読む人は勝手に読むことができる。分かる人は「あっ!」と分かってしまう。自由な文学作品だと思う。読むということは受動態ではなく、クリエイティブなこと、作ること。俳句はそれが一番オープンに開かれているものであり、いろいろな解釈ができ、いろいろなことを思えてしまう。例えば「古池や、蛙飛び込む......」。その時の天気は、時間は、一人でいるかなど。読むことは2度目に作ることなので、子供達は作ってくれた話を私たちに聞かせてくれる。そういう意味で例えば、『ガリバー旅行記』を子供たちに薦めたいと思っている。読んだ時には、絶望的になり怖くて途中で読み進められなくなった。きっとスウィフトは世の中に絶望していたんだなあということがよくわかる。こういう本を大人になって読むと面白いし、子供の時にもちょっと読んでおいた方がもっと面白い。

 面白い童話は結構あるが、わからない童話もある。『星の王子さま』はどこが面白いのかよくわからないが、安富歩氏(経済学者)がどんなにすごい話かを書いている。

 歯応えのあるものを子どもに読ませたい。難しいもの、ちょっとかみ砕いて答えが得られるものを子どもの時に読ませておきたい。わかりやすことは、そんなに大切なことではない。皆さんのお仕事はとても大切。未来を創っていく子供たちにどんなことをしたらいいか責任重大である。まず、自分ですてきな本をたくさん読んでもらいたい。一冊『逝きし世の面影』をお薦めしておく。

 





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(会場の様子)