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2018/12/16 中央市立田富図書館で出張トークを行いました

 2018年12月16日(日曜日)、中央市立田富図書館で出張トークを行いました。約70名の聴衆を前に「知れば知るほど楽しい日本語」と題して、講演を行いました。聴衆との一体感により会場は終始和やかな雰囲気に包まれていました。
 


話をする金田一館長の写真(話をする館長の様子)
  

 自分は、外国の人に日本語を教える仕事をしてきた。同時に、日本語を学ぶ人が増えてきていたため、日本語の教師を育てることもしてきた。海外経験は、中国の大連から始まり、その後、インドネシア、ベトナム、アメリカなどで教えてきた。中国ではいわゆるエリート学生を教えたが、彼らの頭脳の明晰さに驚いた。また、文化の違いを楽しみながらも生活面で困った時は、現地の人に助けてもらっていた。

 日本語について言うと、古い日本語についての研究は比較的なされているが、現代語の研究はそれほどなされていない。

 例えば、"西東(にしひがし)"と言うが、"東西(とうざい)"とも言う。"人生の浮き沈み"という場合、中国語では"沈み"が先にくる。なぜなのかということを自分で考えその過程で楽しさを味わって、解ったときのうれしさを知ってもらいたい。ある意味、知識はコンピュータやAIに任せておいて、特に若者には、考えること、表現することを訓練していってもらいたい。問題に対する正解、百点の答えはなかなか見つけにくい。より良い答えがあるだけである。

 祖父の京助は、アイヌの研究を中毒のようにやっていた。それをしていないと落ち着かないというレベル。努力家とは意味合いが違う。作詞家のなかにし礼氏も苦労はしないが苦心はする、ノーベル賞受賞者の本庶博士も研究が好きでやってきただけとコメントされている。役に立てようと思っていると案外うまくいかないものである。ひとつの事をやり抜く力、グリットが大切である。中国で教えた学生も勉強したくてしょうがないといった感じであった。日本では勉強することは義務と思われているが、本来はそうではなく、人間のもっている力と捉えればよい。

 アメリカで教えていたが英語ができたわけではない。英語をしゃべらなくてもそれで足りた。アメリカ人は日本人に比べておしゃべりである。当時は治安の悪い地区のアパートに住んでいて、エレベータに乗ると同乗者に安心してもらうためでもあるが、何かしゃべらなければならなかった。逆に日本ではまず話しかけることはない。また、日本人は時間をつぶすためのおしゃべりも外国人に比べるとあまりしないし、外国旅行をするときは地図をよく見て自分で調べるのに対し、外国人は現地の人に話しかけて教えてもらう。日本の教育はどちらかというと、知らない人としゃべってはいけない、目立つことをいやがる、しゃべるのをいやがる。

 日本人が英会話を苦手とするのは、しゃべることが不得意という国民性が影響しているのではないかと考える。グローバルな人材になりたければ単に英語を学ぶだけではなく、もっと違った面で様々なことを勉強しなければならない。

 美しい日本語、綺麗な日本語とは何かと問われると、それは、自分の心をきちんと表現できていること、自分の気持ちが言葉に素直に出ていることである。敬語とか標準語を正確に使っているかどうかということではない。福島県の野口英世記念館には英世博士に当てた母シカさんの手紙がある。その手紙はシカさんが、いちから読み書きを習って書いたもので稚拙な文字で綴られてはいるが、自分の気持ちが表現されている。「はやく、きてくたされ」が繰り返されており、息子の帰郷を切望する想いがひしひしと伝わってくる。何よりも美しい日本語の一例である。

 





会場の様子の写真
(会場の様子)