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2018/11/17 富士川町ますほ文化ホールで出張トークを行いました

 2018年11月17日(土)、富士川町ますほ文化ホールで出張トークを行いました。約200名の聴衆を前に「心地よい言葉」と題して、親しみやすい口調で講演を行いました。参加者は興味深げに耳を傾けていました。
 

話をする館長の様子(話をする館長の様子)
  

 県立図書館には、だれも読んだことのないような本を置きたい。市町村立図書館にはないが、県立図書館には行けば見られる、そんな本を所蔵する図書館にしたい。

  現在、日本では、6人に1人の子どもが貧困家庭だと言われているが、学校に行けない子ども、不登校の子どもたちに勉強を、また、入管法改正で今後増えるであろう、日本で働く外国の人に日本語や暮らし方をボランティアで教える場としても使えると思う。

 今般、AIが隆盛になって人間が直接、判断したり考えたりする機会が少なくなってきて人と人との関わり合いが薄くなっている。医療の分野でも検査結果をコンピュータ、AIが正確に解析し診断が行われる。自動翻訳機も普及が進むと、外国語そのものの勉強が不要になってくるのではないか。

 人の心を揺さぶり感動させるのは言葉ではなく声である。感情モード、お持てなしの心情を売ること、柔らかな感情、気持ちを伝えることはAIにはできない。

 5万年前に言葉が生まれた。その前15万年間は鳴き声を使ってコミュニケーションをしていた。鳴き声でいろいろなことを伝えることができる。心地よい言葉はどういうものかと問われて例を挙げると、例えば、50年間一緒に暮らしてきた夫婦の会話である。何を言っても気持ちが通じる。気が利いている言葉一声で言いたいことを伝えられる。これは、鳴き声の特性である。気持ちを伝える上で大切なのは、正しい日本語をしゃべること、きちんとした言葉を使うことより、むしろ、声、表情、雰囲気である。

 読書について言うと、子どもの頃に病気になり、その時期に本ばかり読んでいた。もっぱら、時刻表、百科事典など調べるための本を。本を読むことで生活の中に新しい言葉が入ってきて世の中のことがわかってくると自分が豊かな気持ちを持てる。 また、若い時に読んだ本を年をとってから読むと新しい感慨を覚える。古典は時代を超えて正しいと思われているからか、特にそう感じる。  松尾芭蕉の「おくのほそ道」に「夏草や兵どもが夢の跡......」とあり、これの基の詩は杜甫の春望「国破れて山河在り......」である。人の世は無常、悲しみも喜びもすべて消えてなくなるが、夏草だけは変わらずに毎年生えてくる。山河、大自然も変わらないと思うが、東北大震災の例など変わることもある。しかし、言葉だけは無常ではない。なぜなら、残るから。漢字がそのまま残っている。孔子、杜甫などの古典を読むことで、作者のいた時代から現在までの2千5百年を簡単に跳べる。この恵みを謳歌しない手はない。古本ショップで100円で入手できる。図書館で借りても良い。

 孔子について言うと、「四十にして惑わず......」とあるが、実は「惑」には「心」がなく、本来は区切るという意味である。四十になったら、もっと外へ出ろ、今までの生活にしがみつかずに別の世界へ出ていけという意味である。また、老子の言葉に「大器晩成」があるが、馬王堆漢墓から発見された絹布の老子の書には「晩」には、「日」がなく、本来の意味は、あまりにも大きな素質を持っている者には完成がないということである。このように、本当の知恵を古典は教えている。

 自分の子ども時代の入院は2年間に及びその間周りの子どもたちが亡くなったが、自分はなんとか治った。これは努力の結果ではなく、ただ運が良かっただけであり、努力は無駄であると思っている。報われない努力が世の中には沢山ある。むしろ、自分にとって楽しい、面白いと思えることをやりなさいと言いたい。そうすれば、そのことが上手になる。

 やはり、孔子の言葉で「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」というものがある。苦労、努力ではないことを古代の聖賢が説いている。また、「政治をする上で最も大切なことは正しい言葉を使うことだ」と言っている。それは、正しい言葉を使わないと臣民の信用を得られないからであるとし、これは現代に繋がる。

 読書をして、いろいろなことを知ると人間が豊かになる。これからの時代に、本当に満ち足りた自由、生きがいを創るには読書、特に古典を読むことをお勧めしたい。

 




会場の様子
(会場の様子)