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2017/12/9 館長連続講座(第3回)を開催しました

 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第3回講義を行いました。第3回のテーマは、『待つことと文学性』でした。
 
 まず、百人一首に選ばれた女性の歌詠みたちとその歌について語りました。
小式部内侍の歌については、和歌の名人であった母・和泉式部が夫の赴任に伴い京を離れた際に歌会が催される時のこと、年上の恋人であった藤原定頼に「和泉式部がおらず(歌を代わりに詠んでもらえず)心細いでしょう」とい冷やかされたときに詠んでみせた歌であると語りました。大弐三位、小野小町、藤原道綱母らの歌にも触れ、日本語の音が他の言語と比べ少ないからこそ、かけ言葉などの妙が生まれたと話し、栄華を極めた藤原北家についても語りました。

話をする館長の様子

(話をする館長の様子)
 
 
 今回のテーマである「待つこと」については、まず芥川龍之介の「尾生の信」について語りました。「尾生の信」は、もとは中国の故事で、尾生という男が橋の下で女を待ち続け、川の水があふれて死んでしまう物語。芥川は、尾生の魂が流転し己の身に宿ったために、夢見がちに、何か来きたるべき不可思議なものばかりを待っていると記しました。館長は、何かを待つ間に広がる想像の大きさ、思いの深さを語り、待つことは大きな意味を持つと話しました。平安期の女性にとって「会う」ということは、その人を「待つ」ということであり、藤原定家の「来ぬ人を…」、素性法師の「今こむと…」の歌は、詠み手は男性ですが、いずれも女性の気持ちを詠っていると語りました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 
 「待つ」ことを取り上げた文学として、S.ベケットの戯曲「ゴトーを待ちながら」を挙げ、クリエーションの方法について語りました。18世紀フランスの演劇界では、三(時、場、筋)一致の法則が提唱され、ラシーヌらはこれを守って作品を作り上げ、19世紀にユーゴーらがこの法則を破り、さらに20世紀半ばからどちらにも属さないベケットらのようなアンチテアトルが生まれたと話し、権威、それに対するもの、それらの次元を異とするものというクリエーションの方法があると話しました。