本に付いている「花布(はなぎれ)」の語源を知りたい。英語ではheadbandと言うが、フランス語、ドイツ語、イタリア語での呼び名が「花布」という日本語名と関係があるか。
回答
「花布」は、フランス語ではtranchefile、ドイツ語ではKapitalband、イタリア語ではcapitelloと言い、「花布」という日本語名との関係は見受けられない。「花布」は「端(はな)に付ける布」の意味。「端切れ」「端布」と書かれることもあるが、それでは風情がないと、「花」と書くようになったようだ。
キーワード
■花布
■製本
■図書
■語源
調査過程
- ■『オールカラー・6か国語大図典』(ジャン=クロード・コルベイユ著 小学館 2004)の「製本」の項に、フランス語、ドイツ語、イタリア語等の表記があった。
- ■『日本国語大辞典』第10巻(小学館編集・発行 2001)の「はなぎれ(花布)」の項を見るが、語源等についての記述はなかった。
- ■『図書館用語集 三訂版』(日本図書館協会編集・発行 2003)の「はなぎれ」の項には、漢字表記として「花布・端布」とあるが、語源等についての記述はなかった。『最新図書館用語大辞典』(図書館用語辞典編集委員会編 柏書房 2004)の「花ぎれ」の項には、説明文末に「端(はな)に付ける布のこと」とあった。
- ■自館システムで件名「製本」を検索し、該当資料を調査したところ、『西洋の書物工房:ロゼッタ・ストーンからモロッコ革の本まで』(貴田庄著 芳賀書店 2000)に「端布は「はなぎれ」と読ませているが、この表記では風情がないので、花切れと書くようになったと思える」などの記述があった。
参考資料
- ◆『最新図書館用語大辞典』(図書館用語辞典編集委員会編 柏書房 2004)
- ◆『西洋の書物工房:ロゼッタ・ストーンからモロッコ革の本まで』(貴田庄著 芳賀書店 2000)
調査にあたって
ハードカバーの洋装本の天を見ると、背の内側の部分に少しだけ布が見えるが、この布を「花布(はなぎれ)」という。以前は、英語のheadbandという語を翻訳した「頂帯」とか、「ヘドバン」などと言われていた。質問者は当初「花布」という名称が外国語から来ているのかと予想しており、英語やフランス語、イタリア語などを調べたがそれらしい単語ではなく、日本独自の呼び名のようだ。特殊な用語なので語源辞典の類には記載がないだろうと考え、製本に関する資料を調査した。
作成日:2011年7月1日
漢字を繰り返すときに使う「々」という記号の名前を知りたい。
回答
「々」は「踊り字」の1つで、「同(どう)の字点」という名称である。また、「漢字返し」「漢字送り」「ノマ点」「漢くり」「くりかえし」「おなじ」という名称もある。
キーワード
■同の字点■踊り字
■漢字
■記号
調査過程
- ■NDC801の参考書架で記号の辞典・便覧を確認すると、『記号・図記号ハンドブック』(片岡徳昌著 日本理工出版会 2003)に、「々」は「同の字点」という名称で、「漢字返し」などの別名称もあるという記載があった。由来は、漢文で使われた二の字点が変化したもの、「同」の異体字「仝」から変化したものともされる。
- ■国語辞典を検索すると、『広辞苑(第6版)』(新村出編 岩波書店 2008)、『日本国語大辞典』第9巻(小学館編集・発行 2001)などに「同の字点」の項目があった。
- ■漢和辞典を総画索引から検索すると、『角川大字源』(尾崎雄二郎ほか編 角川書店 1992)、『漢字源』(藤堂明保編 学研 2007)には、「々」の掲載はあるが名称は書かれていなかった。『字通』(白川静著 平凡社 1996)、『大漢語林』(鎌田正著 大修館書店 1992)には掲載がなかった。
参考資料
- ◆ 『記号・図記号ハンドブック』(片岡徳昌著 日本理工出版会 2003)
調査にあたって
「々」は、日常なにげなく使っている記号だが、一般に名称は知られていない。名前の分からないものを百科事典や国語辞典等の事辞典類で調べるのは難しいが、「記号」という観点から探すことでスムーズに調査ができた。記号の辞典は、回答に用いた『記号・図記号ハンドブック』以外にも、『記号の事典』(江川清ほか編 三省堂 1985)、『記号学大事典』(坂本百大編集 柏書房 2002)があるが、これらには掲載されていなかった。
また『記号・図記号ハンドブック』によると、「々」は、決まった音をもたないことから、漢字ではなく符号として扱われ、漢和辞典には載っていないこともあるという記述があったので漢和辞典も調査したが、「々」が漢字として掲載があるものでも、名称については記載されていなかった。
作成日:2011年1月21日
戦争中に歌われた「カネのおわんに竹のはし」という歌詞の「軍隊小唄」の歌詞を全部知りたい。
回答
『日本のうた-カラオケヒット1700-』(興陽館書店 1982)に歌詞の掲載がある。陸軍版と海軍版などで歌詞が異なり、その例については『戦争(〈もの〉から見る日本史)』第2巻(青木書店 2006)に記述がある。
キーワード
■「軍隊小唄」■流行歌■替え歌■歌詞
調査過程
- ■ NDC767.8(歌謡曲、流行歌)の書架で流行歌の本をあたる。『歌と戦争-みんなが軍歌をうたっていた-』(櫻本富雄著 アテネ書房 2005)によると、この歌は山中みゆきが歌った「ほんとにほんとに御苦労ね」(野村俊夫作詞、倉若晴生作曲)の替え歌で、歌詞は何種類もある。1番の歌詞のみ掲載されている。
- ■NDC911.16(近代詩歌)の書架で資料にあたると、『日本のうた-カラオケヒット1700-』(興陽館書店 1982)に1番から5番までの歌詞の掲載があった。
- ■ 自館システムで書名「替え歌」で検索すると『戦争(<もの>から見る日本史)』第2巻(青木書店 2006)がヒット。歌詞の一部分と、陸軍版と海軍版の歌詞の違いなどについて書かれていた。
参考資料
- ◆ 『日本のうた-カラオケヒット1700-』(興陽館書店 1982)
- ◆ 『歌と戦争-みんなが軍歌をうたっていた-』(櫻本富雄著 アテネ書房 2005)
- ◆ 『戦争(〈もの〉から見る日本史)』第2巻(青木書店 2006)
調査にあたって
インターネットで検索してもこの歌の歌詞は容易に見つけることができるのだが、「替え歌」という観点から図書による探索を行った結果、陸軍版と海軍版などで歌詞が異なることがわかった。
この替え歌の元となった「ほんとにほんとにご苦労ね」の歌詞は、『日本のうた(軍歌編)』(入方宏編 雪華社 1968)に掲載されている。近年には、ザ・ドリフターズが「ほんとにほんとに御苦労ね(軍隊小唄)」として歌っている。
作成日:2010年7月1日
1972(昭和47)年に行われた国連人間環境会議のスローガンを知りたい。
回答
「かけがえのない地球」(ONLY ONE EARTH)
キーワード
■国際連合■環境問題■人間環境会議■ストックホルム
調査過程
- ■環境問題に関する事典類を見る。
- ■『環境史事典』(日外アソシエーツ 2007)、『国際総合環境用語集』(日刊工業 2004)では「国連人間環境会議」の説明のみ。
- ■「人間環境」「国連」などをキーワードにして検索する。
- ■『この地球を守るために '72国連人間環境会議の記録』(楓出版社 1972)にはスローガンが載っていない。
- ■『標語・スローガンの事典』(東京堂出版 1993)には手がかりなし。
- ■当時話題になったことを考え、当館に1972(昭和47)年前後の版がある『現代用語の基礎知識』などを見るとスローガンが載っていた。
- ■スローガンから本を探すと『かけがえのない地球』(バーバラ・ウォードほか著 日本総合出版機構 1972)があり、会議とスローガンの関係が書かれていた。
参考資料
- ◆『現代用語の基礎知識』1973(自由国民社 1973)
- ◆『朝日年鑑』1973(朝日新聞社 1973)
- ◆『毎日年鑑』1973(毎日新聞社 1973)
- ◆『かけがえのない地球』バーバラ・ウォードほか著 日本総合出版機構 1972)
- ◆『環境史事典』(日外アソシエーツ 2007)
調査にあたって
「国連人間環境会議の記録」という副題の本にスローガンが載っていないのは意外だった。『現代用語の基礎知識』のような資料は書店では1年毎に入れ替わるが、当館にはかなり以前の資料が保存されていたので、今回の質問では解決につながった。
作成日:2009年10月27日
ジャパンという国名の由来を知りたい。
回答
中世に中国を通じて日本を紹介したマルコ・ポーロの『東方見聞録』では、「ジパング」(Zipangu、Jipangu)などと書かれているが、その後ヨーロッパに広まった「ジャパン」「ジャポン」(Japan、Japon)などの名称については、日本に対する中国の華北音(jih pen)に基づく説と華南音(yat pun)に基づく説とがある。
キーワード
■日本■ジャパン■マルコ・ポーロ
調査過程
- ■百科事典類で「ジャパン」、「日本(ニホン)」で検索。
- ■「日本」の項目にマルコ・ポーロが紹介し、中国音から由来しているという説が記述されていた。
- ■歴史関係の辞典類にもあたり、「日本」の項目に記載があった。
- ■また、地理関係でも同様に調べると事典に「日本」の項目に記載があった。
参考資料
- ◆『世界大百科事典』21(平凡社 2007)
- ◆『ブリタニカ国際大百科事典』14(ブリタニカ1998)
- ◆『国史大辞典』11(吉川弘文館 1990)
- ◆『日本史大事典』5(平凡社 1993)
- ◆『日本地名大百科ランド ジャポニカ』(小学館 1996)
調査にあたって
ジャパンの由来ということで、まず「ジャパン(Japan)」の項目で探したが記述がなかった。そこで「日本」という項目で引き直すと、それぞれの事典類に載っていた。ジャパンという呼び名は中国で呼ばれていた名称が由来であるという話から、大陸を通じてヨーロッパに伝わった様子がわかる。なお、Japan(ジャパン)は英語、ドイツ語ではJapan(ヤーパン)、フランス語ではJapon(ジャポン)、スペイン語ではJapon(ハポン)、イタリア語ではGiappone(ジャポネ)と呼んでいる。
作成日:2009年10月24日
戦前に流行った「婦系図(おんなけいず)の歌」の歌詞を知りたい。
回答
詞:佐伯孝夫、曲:清水保雄、歌手:小畑実・藤原亮子。
キーワード
■婦系図(おんなけいず)■湯島の白梅■佐伯孝夫■小畑実■藤原亮子■歌謡曲
調査過程
- ■音楽の書棚から戦前の流行歌に関連する本を見る。
■『写真で見る昭和の歌謡史』1戦前・戦中編(柘植書房 1991)に「婦系図の歌」の歌詞カードは載っていたが、歌詞が載っていない。「湯島の白梅」と併記してあるが副題か。
■『日本流行歌史』中1938~1959(社会思想社 1995)には「婦系図の歌(湯島の白梅)」として歌詞が掲載されており、「婦系図」の主題歌ではないが、映画の改作に伴い歌のタイトルも改めたとある。
■詩歌の書棚から歌謡曲に関連する本を見る。
■『あゝ昭和歌謡史』(音楽之友社 1977)に歌詞が載っているほか、『日本のうた』(興陽館書店 1982)、『ベストヒット大全集』2000年版(ブティック社 2000)に「湯島の白梅」として収録されている。
参考資料
- ◆『日本流行歌史 中1938~1959』(社会思想社 1995)
◆『あゝ昭和歌謡史』(音楽之友社 1977)
◆『日本のうた』(興陽館書店 1982)
◆『ベストヒット大全集 2000年版』(ブティック社 2000)
調査にあたって
映画のリメイクによって歌のタイトルも変わることがあると知り、気をつけなければならないなと思った。作曲家・作詞家からはそれ以上の手がかりにつながらず、流行歌で色々な資料に収録されていたため探しやすかった。
作成日:2009年10月24日
江戸時代の安政期に流行した狐狼狸(コロリ)・コレラの当時の蘭方医の治療方法を知りたい。
回答
長崎出島のオランダ人医師、ポンペは、「コレラ患者にキニーネとアヘンを服用させ、温浴させる」治療方法を行った。また、長崎奉行所へ生鮮食品の禁止党の予防方法の提言、コレラの解説書「転寝の夢」の作成、全国配布など、コレラの感染拡大防止に努めた。
キーワード
■コレラ■伝染病■狐狼狸(コロリ)■ポンぺ■松本良順■緒方洪庵
調査過程
- ■件名「コレラ」「コロリ」で資料検索。『幕末狂乱(オルギー) コレラがやって来た!』(高橋敏著 朝日新聞社 2005)には、韮山代官より紹介された特効薬として、サンザシ他を紹介。
- ■件名「医療-歴史」「病気-歴史」「医学-歴史」で資料検索。『日本医療史』(吉川弘文館 2006)によると、コレラ流行と蘭方医の項に、長崎のオランダ人医師ポンペや弟子の松本良順によるコレラ対策方法、別府の蘭方医矢田敦の治療例が紹介されている。他、適塾の緒方洪庵が「狐狼痢治準」を記したことが紹介されている。
- ■人名「ポンぺ」「松本良順」「緒方洪庵」「矢田敦」で検索。『ポンぺ』(宮永孝著 筑摩書房 1985)には、キニーネ、アヘンを用いた治療方法が紹介されている。また、コレラの解説書「転寝の夢」を記したことが紹介されている。『松本順自伝・長与専斎自伝』(平凡社 1980)にも、ポンぺが行ったコレラの対策方法が記載されていた。
- ■インターネット検索を行う。「虎狼痢治準」は早稲田大学が電子化し、ホームページで公開中。「転寝の夢」は「安政午秋頃痢流行記」に「轉寝の遊目」で掲載されているものを長崎大学が電子化し、ホームページで公開中。
参考資料
- ◆『日本医療史』(吉川弘文館 2006)
- ◆『図説日本の"医"の歴史 上 通史編』(小池猪一著 大空社 1993)
- ◆『ポンぺ』(宮永孝著 筑摩書房 1985)
調査にあたって
幕末のコレラ流行は、治療方法がなかったこともあり大災害をもたらした。今回の事例には記さなかったが多くの著名人も亡くなっている。ポンぺの一番弟子、松本良順もコレラに罹患し、ポンぺによる治療方法で回復していることが自伝に記されている。当時の予防の難しさが感じられた。
作成日:2009年9月1日
落語家の三遊亭円歌が仏門に入った時の名前を知りたい。
回答
現在の三遊亭円歌は3代目で、本名は中沢信夫。日蓮宗で得度して「本遊院圓法日信」の法名を持ち、「円法」を名乗る。1929(昭和4)年、東京に生まれ、1945(昭和20)年に2代目三遊亭円歌に入門する。1958(昭和33)年に真打ちとなり、1970(昭和45)年に3代目三遊亭円歌を襲名した。1996(平成8)年から2006(平成18)年まで社団法人落語協会会長を務めた。
キーワード
■落語家■三遊亭円歌■円法
調査過程
- ■落語家ということで『古今東西落語家事典』(平凡社 1989)を見るが、載っていなかった。
- ■『落語ハンドブック』第3版(三省堂 2007)に「日蓮宗で得度、本遊院圓法日信の法名をもつ」とある。
- ■人名事典類で探す。
- ■『講談社日本人名大辞典』(講談社 2001)では、「僧籍にはいり、円法と名のる」とある。
- ■テレビ出演もしているので『テレビ・タレント人名事典』第6版(日外アソシエーツ 2004)を見ると、「日蓮宗の僧門に入り、円法を名乗る」と記されている。
- ■インターネットで検索する。
- ■(社)落語協会のサイトに、「日蓮宗本法寺で得度、剃髪式を行う。(中略)法名 本遊院円法日信」とある。
参考資料
- ◆『落語ハンドブック』第3版(三省堂 2007)
- ◆『テレビ・タレント人名事典』第6版(日外アソシエーツ 2004)
- ◆『講談社日本人名大辞典』(講談社 2001)
- ◆(社)落語協会 http://rakugo-kyokai.or.jp/(2009/4/24アクセス)
調査にあたって
どの資料でも僧門に入った後「円法」と名乗ったことは共通していたが、いつかという点になると資料によってまちまちだった。ただ、(社)落語協会のウェブサイトに1985(昭和60)年に得度と記載されていたので、この年が確からしいと思われる。今回はそこまで詳しく回答を求められていないが、一つの資料だけを使って回答を出すのは危険だと改めて感じた。
作成日:2009年5月1日
チョウとガはどこが違うのか。
回答
一般的に「チョウ」の特徴として、昼行性・棍棒状の触覚、背中で羽をたたんでとまる、胴が「ガ」に比べ細い、斑紋(羽の模様)が「ガ」より美しい。「ガ」の特徴として夜行性・羽毛状や櫛状の触角、羽を広げたままとまる、などと言われているが、「ガ」に属しても「チョウ」の特徴としてあげた特徴をもつ種がいたり、その逆の種もいる。「チョウ」に昼行性等の特徴にあてはまる種が多い、とは言えるが、生態的特徴から「ガ」と「チョウ」をはっきりと分類することはできない。分類学上「チョウ」と「ガ」はチョウ目(ガ目・鱗翅目ともいう)に属する。チョウ目のうち、「セセリチョウ上科」と「アゲハチョウ上科」に分類される種を「チョウ」、それ以外を「ガ」とみなしている。個々の種は従来の生態面による分類に加え、電子顕微鏡による微細な形態形質やDNAの解析により分類されている。
キーワード
■チョウ■ガ
調査過程
- ■百科事典で「チョウ」「ガ」の項目を調査。「チョウ」の項目に画然と区別することはできないとあった。
- ■チョウ・ガに関する図鑑・参考書及び専門書で「ガ」と「チョウ」の特徴を調査したが、どの資料にも、特徴から「ガ」と「チョウ」をはっきりと分類はできないと記述している。
- ■インターネット検索。
参考資料
- ◆『原色昆虫大図鑑』Ⅰ蝶・蛾篇(北隆館 2007)
- ◆『完璧版昆虫の写真図鑑』(ジョージ・C・マクカヴァン著 日本ヴォーグ社 2000)
- ◆『完璧版蝶と蛾の写真図鑑』(デービッド・カーター著 日本ヴォーグ社 1996)
- ◆『チョウの生物学』(本田計一・加藤義臣著 東京大学出版会 2005)
- ◆『自然を彩るチョウたちⅠ』(矢島稔・白木靖美編著 未来文化社 1999)
- ◆『自然を彩るチョウたちⅡ』(今井彰・白木靖美著 未来文化社 1999)
調査にあたって
以前は、チョウ亜目と蛾亜目に分類されることもあったが、現在は使われていない。分類学上チョウとみなされるのは、チョウ目全体の1割にみたない。日本でも「ガ」の方が圧倒的に多く日本で見られるチョウの数は、「原色昆虫大図鑑」によると330種ぐらいである。気温の温暖化により、近年日本で見ることのできる「チョウ」や「ガ」の種数に大きな変化がある。
作成日:2008年7月30日
"一富士二鷹三茄子"の続きを知りたい。
回答
『俚言集覧(りげんしゅうらん)』増補 上巻(名著刊行会 1965)の「一富士二鷹三茄子」の項に「一富士二鷹三茄子四扇(おうぎ)五多波姑(たばこ)六座頭(ざとう)」とある。この「四扇五煙草六座頭」(「多波姑」が「煙草」と表記)については、他の辞典類にも載っているが、多くは『俚言集覧』が出典のようである。また、『日本を知る事典』(社会思想社 1980)に「四そうろう(葬礼)に五せっちん(雪隠、便所)」があり、『故事・俗信ことわざ大辞典』(小学館 1982)と『仏教ことわざ辞典』(渓水社 1992)に「四葬式五雪隠(または四雪隠五葬式)」が、『続続雑学事典』(毎日新聞社 1971)に「四葬礼五糞」が、『縁起かつぎの秘密』(同文書院 1996)に「四に葬式、五に火事」があり、諸説あるようである。
キーワード
■一富士二鷹三茄子■初夢■夢■ことわざ
調査過程
- ■「一富士二鷹三茄子」を『日本国語大辞典』第1巻(小学館 2000)で調べると、続きの記載はないが、「一富士二鷹三茄子」の項に、出典として「狂歌・家つと」「続五元集」「狂歌・巴人集(はじんしゅう)」「譬喩尽」「黄表紙・盧生夢魂其前日(ろせいがゆめそのぜんじつ)」「笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)」「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」「甲子夜話」「俚言集覧」があげられている。
- ■「家つと」は自館システムで検索できず、国会図書館の蔵書検索システムで検索すると『新群書類従』の内容細目「第10狂歌」に「家つと 油煙斎貞柳(ゆえんさいていりゅう)」とあり。当館所蔵の『新群書類従』第10狂歌(第一書房 1976)を見ると、引用部分は見つかるが、続きの記載なし。
- ■「続五元集」は自館システムで検索できず、『国書総目録』第5巻(岩波書店 1990)でひく。活字版が『其角全集(きかくぜんしゅう)』に収録されていることがわかるが、当館に所蔵なし。
- ■「巴人集」を含む『江戸狂歌本選集』第2巻(東京堂出版 1998)、「譬喩尽」にあたる『たとへづくし』(同朋舎 1979)、「盧生夢魂其前日」を含む『山東京伝全集』第2巻(ぺりかん社 1993)、「笈埃随筆」を含む『日本随筆大成』 第2期12(吉川弘文館 1994)、「嬉遊笑覧」にあたる『嬉遊笑覧』4(岩波書店 2005)、「甲子夜話」にあたる『甲子夜話』1(平凡社 1979)の中に、「一富士二鷹三茄子」に関する記述は見つかるが、続きの記載なし。
- ■「俚言集覧」については、『俚言集覧』増補 上巻(名著刊行会 1965)の中に、続きの記載あり。
- ■『俚言集覧』と同内容で『成語大辞苑』(主婦と生活社 1995)『俚諺大辞典』(東方書院 1933)『故事・俗信ことわざ大辞典』(小学館 1982)『仏教ことわざ辞典』(渓水社 1992)『数のつく日本語辞典』(東京堂出版 1999)『続続・雑学事典』(毎日新聞社 1971)『こどものカレンダー1月のまき』(偕成社 1993)にも記載あり。
- ■古い文献を集めた百科事典『古事類苑』4地部3(吉川弘文館 1971)をキーワード「富士山」でひくと「一富士二鷹三茄子」に関する記載はあるが、続きはなし。また同じく事典『広文庫』第19冊(広文庫刊行会 1926)をひくと、「夢」の項にやはり関連する記載はあるが、続きはなし。
- ■他に、ことわざや日本に関する辞典・事典類、行事の本、雑学の本を調査すると、諸説が出てきた。
- ■「四葬式五雪隠」は『故事・俗信ことわざ大辞典』(小学館 1982)によると、出典は「檜枝岐(ひのえまた)民俗誌」、「風俗画報」267号、「日向」16・17号と記載されているが、すべて当館に所蔵なし。
参考資料
- ◆『俚言集覧』増補 上巻(名著刊行会 1965)
- ◆『故事・俗信ことわざ大辞典』(小学館 1982)
- ◆『仏教ことわざ辞典』(渓水社 1992)
- ◆『暮らしの中のことわざ辞典』(集英社 1983)
- ◆『続続・雑学事典』(毎日新聞社 1971)
- ◆『日本を知る事典』(社会思想社 1980)
- ◆『縁起かつぎの秘密』(同文書院 1996)
- ◆『日本国語大辞典』第1巻(小学館 2000)
- ◆『新群書類従』第10狂歌(第一書房 1976)
- ◆『国書総目録』第5巻(岩波書店 1990)
- ◆『江戸狂歌本選集』第2巻(東京堂出版 1998)
- ◆『たとへづくし』(同朋舎 1979)
- ◆『日本随筆大成』第2期12(吉川弘文館 1994)
- ◆『山東京伝全集』第2巻(ぺりかん社 1993)
- ◆『嬉遊笑覧』4(岩波書店 2005)
- ◆『甲子夜話』1(平凡社 1979)
- ◆『古事類苑』4地部3(吉川弘文館 1971)
- ◆『広文庫』第19冊(広文庫刊行会 1926)
- ◆『成語大辞苑』(主婦と生活社 1995)
- ◆『俚諺大辞典』(東方書院 1933)
- ◆『数のつく日本語辞典』(東京堂出版 1999)
- ◆『こどものカレンダー1月のまき』(偕成社 1993)
調査にあたって
事典類の引用部分については、できるだけ出典にあたるよう心がけた。続き部分については、「あとから加えた地口(じぐち)にすぎないであろう」と言っている資料(『日本を知る事典』)もあり、他にも諸説あるのではないかと思われる。
作成日:2008年3月16日
かたくなった餅の食べ方を知りたい。
回答
少しかたくなっただけならば、レタスなどの葉野菜で餅を包み、電子レンジにかければやわらかくなるので、野菜ごと食べる。乾きぎみのかたい餅は、バターを塗ったアルミホイルに入れて蒸すと、やわらかくなる。またカチカチになってしまった場合は、餅を1センチほどに小さく割り、4~5日間天日で乾燥させ油で揚げる。塩や砂糖をまぶしてあられにしたり、汁の実として食べる。乾燥させた餅は缶などに入れて保存し、食べる分だけ揚げるようにする。また、餅を半日ほど水に浸けてから電子レンジで温めたり、弱火でじっくり煮ると柔らかくなる。
キーワード
■餅■あられ
調査過程
- ■「餅」「もち」をキーワードに検索する。『日本の食文化大系』19 餅博物誌(古川瑞昌著 東京書房社 1983)などを見るが、民俗学的な内容で、食べ方については記述なし。
- ■『聞き書ふるさとの家庭料理』5 もち雑煮(農山漁村文化協会 2002)には筆者の体験として、鏡餅を乾燥させて揚げ、すまし汁の揚げ雑煮に仕立てたと記載されている。
- ■児童図書『もちの絵本』(えがわかずのり編 農山漁村文化協会 2004)に「レタスに包んで電子レンジにかける」「アルミホイルに入れて蒸す」「あられやかきもちにする」とある。もちの水分が38%以下になると、煮てもやわらかくならない、とも記載されている。
- ■料理雑誌を確認する。餅ならば12月号か1月号で特集が組まれているのではと見当を付け、「NHKきょうの料理」「TANTO」のバックナンバーを確認する。餅を使った料理レシピが中心だが、「TANTO」1998(平成10)年1月号(集英社 1998)には、読者からの投稿に「油で揚げて塩や砂糖をまぶす」とあり、「きょうの料理」2000(平成12)年1月号(日本放送出版協会 2000)には「4~5日間風にあてて乾燥させて揚げ、塩をふる。干した餅は缶などに入れて保存し、食べる分だけ揚げるとよい」とある。
- ■「料理」「知恵袋」をキーワードに検索する。『母から伝わる料理の知恵袋』(遠藤きよ子著 家の光協会 1985)には、「かたくならない餅の保存方法」についてのみ記述がある。
- ■雑誌「暮しの手帖」冬号のバックナンバーを確認するが、餅についての記述はなかった。
- ■インターネットで「餅」「かたくなった」をキーワードに検索したところ「ひび割れた餅は、しばらく水に漬けておく」「お供えした餅は、水に浸さないと加熱しても餅の表面が中々やわらかくならない」(「ALL About」http://allabout.co.jp/recipe/)、「水とともに(どんぶりなどにいれて)、または湿らせてから水を切って、電子レンジで温める」「水につけたままの状態でレンジにかける。鍋で煮る場合は、弱い火でゆっくり時間をかけて煮る」(「教えて!goo」http://oshiete.goo.ne.jp/)との情報が載っていた。
参考資料
- ◆『聞き書ふるさとの家庭料理』5 もち雑煮(農山漁村文化協会 2002)
- ◆『もちの絵本』(えがわかずのり編 農山漁村文化協会 2004)
- ◆「TANTO」1998(平成10)年1月号(集英社 1998)
- ◆「NHKきょうの料理」2000(平成12)年1月号(日本放送出版協会 2000)
- ◆『母から伝わる料理の知恵袋』(遠藤きよ子著 家の光協会 1985)
調査にあたって
いろいろと資料にあたったが、かたくなった餅の食べ方について最も詳しいのは『もちの絵本』だった。この本は、丸餅と角餅、雑煮の種類、様々な行事と餅の関係といった民俗学的な内容から料理レシピまで、わかりやすくまとめられている。巻末にはさらに詳しい内容が文章のみで解説されており、この一冊で餅についてかなりの知識を得ることができる。「つくってあそぼう」や「そだててあそぼう」のシリーズは、図や絵が多く説明が解りやすいので、大人の質問にも十分活用できる。
作成日:2008年1月31日
イギリスのキャットショーの起源について知りたい。
回答
1871年7月16日、ロンドンのハイドパークにあるクリスタルパレスで初の正式なキャットショーが開催された。これを企画し、審査員の1人を務めたのがハリソン・ウィアー氏。彼はこのとき、出陳されるすべての猫種について、「スタンダード」を定めた。クリスタルパレスでのショーは、建物が焼失される1936年まで毎年開催された。世界初のキャットショーについては、はっきりと分かっておらず、1598年のイングランド・ウィンチェスターのセントジャイルズで開かれたものではないかと言われている。
キーワード
■キャットショー■品評会■猫■イギリス■コンテスト
調査過程
- ■まず、『世界大百科事典』7(平凡社 1988)、『ブリタニカ国際大百科事典』5(TBSブリタニカ 1995)等の百科事典類にあたるが、該当項目はなかった。
- ■様々な事柄の起源について記述されている『西洋事物起原』全3巻(ダイヤモンド社 1980~82)などの起源事典類にあたるが記載はなかった。
- ■「ネコ」に関連する資料を調査してみると『新猫種大図鑑』(ブルース・フォーグル著 ペットライフ社 2004)や『猫の本』(ウルリッヒ・クレヴァー著 同朋舎 1987)などに「キャットショー」についての記述があった。
- ■さらに、イギリスの歴史や文化面(分類「233」「293.3」「302.3」の資料)から調査すると、『階級としての動物』(ハリエット・リトヴォ著 国文社 2001)の第二章「一流のペット」の中の「猫の愛好」という項目に詳しく書かれていた。
参考資料
- ◆『新猫種大図鑑』(ブルース・フォーグル著 ペットライフ社 2004)
- ◆『猫の本』(ウルリッヒ・クレヴァー著 同朋舎 1987)
- ◆『世界の猫図鑑』(山と渓谷社 1989)
- ◆『世界のネコたち』(山と渓谷社 2000)
- ◆『階級としての動物』(ハリエット・リトヴォ著 国文社 2001)
調査にあたって
『階級としての動物』(ハリエット・リトヴォ著 国文社 2001)は、初期のチャンピオン猫(1889)の絵も載っていた。また、ドックショーについても詳しく書かれていて、ヴィクトリア時代のイギリス人と動物の関わりについて知るには便利な一冊である。
作成日:2007年10月3日
日本銀行兌換券(だかんけん)とは何か。
回答
明治時代から日本銀行によって発行された、金貨(または銀貨)と交換される券。金本位制度-金の価値を元に「お金」の価値を決めていた制度-の崩壊とともに兌換停止となり、現行の管理通貨制度(1942(昭和17)年 日本銀行法)に移行された。それまでに発行された日本銀行兌換券は日本銀行券となり不換紙幣として使用された。
キーワード
■兌換(ダカン)■日本銀行
調査過程
- ■「兌換」の意味を国語辞典で調べると「紙幣を正貨と引き換えること。」とあった。
- ■依頼者が10円紙幣を持っていると言うので、『日本通貨変遷図鑑(覆刻版)』(日本通貨史料協会 1978)を参照。拾円券の頁に「日本銀行兌換銀券」「日本銀行兌換券」「日本銀行券」の3種類載っていて説明もあった。
- ■日本銀行の開業(1882(明治15)年)と共に兌換券が発行されたとあるので、『図説日本銀行』(財経詳報社 1993)を参考にし、また『円の歴史』(教育社 1979)でも確認した。
- ■『日本銀行八十年史』(日本銀行史料調査室 1962)には法令の項に「兌換銀行券条例およびその変遷」が掲載されていた。
- ■『紙幣肖像の歴史』(東京美術 1989)では兌換券の人物についての説明に加え、その当時の製造技術についても記載があった。
- ■『日本貨幣カタログ 2006』(日本貨幣商協同組合 2005)では兌換券のカラーが確認できた。
参考資料
- ◆『図説日本銀行』(財経詳報社 1993)
- ◆『円の歴史』(教育社 1979)
- ◆『紙幣肖像の歴史』(東京美術 1989)
- ◆『日本銀行八十年史』(日本銀行史料調査室 1962)
- ◆『日本通貨変遷図鑑(覆刻版)』(日本通貨史料協会 1978)
- ◆『日本通貨変遷図鑑』(大蔵財務協会 1956)
- ◆『日本貨幣カタログ 2006』(日本貨幣商協同組合 2005)
調査にあたって
現在の管理通貨制度の前身は金本位制度であった。毎日使う「円」であるが、今回円の歴史を調べて大変興味深かった。余談であるが『日本貨幣カタログ 2006』はカラー写真が多く、兌換券もカラーで載っていて今のお札との比較としても参考になるが、売買価格が載っていて、つい見入ってしまうのが難点である。
作成日:2007年6月30日
平成10年4月2日付の「読売新聞」の「編集手帳」に紹介されたバルト・ムイヤールトの「本をひらけばふしぎな世界」という詩の全文を知りたい。
回答
「JBBY」(日本国際児童図書評議会)平成10年2月号(No.86)の「IBBYニュース」の項に掲載あり。
キーワード
■バルト・ムイヤールト■「本をひらけばふしぎな世界」■国際子どもの本の日■詩
調査過程
- ■依頼者側の調査ではバルト・ムイヤールト作『調子っぱずれのデュエット』(西村由美訳 くもん出版 1998)のあとがき等を調べたが不明とのこと。自館システムで「ムイヤールト・バルト」を辞書(人名)検索するが、他の資料なし。
- ■平成10年4月2日付の「読売新聞」(読売新聞社)の「編集手帳」をみると、4月2日は国際児童図書評議会が制定した「国際子どもの本の日」で、紹介されているのは、バルト・ムイヤールト作の"メッセージ"であると記載。
- ■逐次刊行物「JBBY」(日本国際児童図書評議会)のバックナンバーを調べると、平成10年2月号(No.86)の「IBBYニュース」の項に「1998年国際子どもの本の日」として、バルト・ムイヤールトのメッセージなどの紹介あり。
参考資料
- ◆「JBBY」(日本国際児童図書評議会)平成10年2月号(No.86)
調査にあたって
当初、普通の詩だと思い、バルト・ムイヤールトの作品を探すことにしたが、見付けられなかった。「読売新聞」の「編集手帳」を見てみると、「国際子どもの本の日」の"メッセージ"とあるので、JBBY(日本国際児童図書評議会)の会報のバックナンバーを見ていくと見付けることができた。JBBYは1974年に設立された、IBBY(国際児童図書評議会 1953年設立)の日本における窓口である。IBBYはアンデルセンの誕生日4月2日を「国際子どもの本の日」と定めた。加盟国は順番にポスターとメッセージを作成しており、1998年はベルギーが担当、メッセージは詩人のバルト・ムイヤールト、ポスターはガブリエル・ヴァンサン。
作成日:1998年7月12日
ポルトガルのロカ岬の碑に書かれているカモンイスの詩の出典と、ポルトガル語での表記を知りたい。
回答
「ここに地終わり、海始まる」はポルトガルの詩人カモンイスの叙事詩「ウズ・ルジアダス」の第3歌第20連の一節。この部分のポルトガル語での表記は「ONDE A TERRA SE ACABAR E O MAR COMECAR」。
キーワード
■ルイス・ヴァス・デ・カモンイス■ここに地終わり、海始まる■ロカ岬■詩
調査過程
- ■依頼者によると「ロカ岬のこの碑については、旅行ガイドに掲載がある」とのことなので、『スペイン・ポルトガル自由自在(改訂8版)』(JTB 1997)、『ポルトガル(改訂版)』(実業之日本社 1997)、『スペイン・ポルトガルの本(改訂版)』(近畿日本ツーリスト 1995)などを見ると、ロカ岬はヨーロッパ大陸の最西端で、記念碑には16世紀のポルトガルの詩人カモンイスの詩「ウズ・ルジアダス」の一節「ここに地終わり、海始まる」が刻まれている旨記載、碑の写真の掲載あり。
- ■自館システムで「カモンイス」を辞書(人名)検索し、『ウズ・ルジアダス』(ルイス・デ・カモンイス著 岩波書店 1978)を見ると、第3歌第20連に該当部分あり。
- ■自館システムで「ココニチオワリウミハジマル」を書名検索すると『ここに地終わり、海始まる』 上・下(宮本輝著 講談社 1991)がヒット。内容を見ると、この詩について「オンデ・ア・テラ・セ・アカバ・エ・オ・マール・コメサ」とカタカナ表記の記載あり。
- ■先に見た旅行ガイドの中で碑の写真が一番鮮明な『スペイン・ポルトガル自由自在』と『ここに地終わり、海始まる』、『現代ポルトガル語辞典』(白水社 1996)をあわせて、ポルトガル語の表記を確定。
参考資料
- ◆『スペイン・ポルトガル自由自在(改訂8版)』(JTB 1997)
- ◆『ポルトガル(改訂版)』(実業之日本社 1997)
- ◆『スペイン・ポルトガルの本(改訂版)』(近畿日本ツーリスト 1995)
- ◆『ウズ・ルジアダス』(ルイス・デ・カモンイス著 岩波書店 1978)
- ◆『ここに地終わり、海始まる』 上(宮本輝著 講談社 1991)
調査にあたって
「ポルトガル語での表記を」ということなので、本来なら「ウズ・ルジアダス」の原書を見るべきなのだろうが、ポルトガル語で書かれた資料は所蔵していないため、それができなかった。「ここに地終わり、海始まる」という言葉はどこかで聞いたことがあり、初めは五木寛之の小説で見たのかと思っていたが、念のため自館システムで書名検索すると、宮本輝の小説のタイトルだった。旅行ガイドを見ると、この碑には詩以外にもいろいろと書かれており、文字の部分も不鮮明だったため、拡大鏡で見てみたが、詩の部分が特定できず表記もはっきりわからなかった。この小説を用い、ポルトガル語辞典で単語を確認しながらなんとかポルトガル語の表記を確定した。
作成日:1998年7月13日
島崎藤村の詩だと思うが"ながれのみずのひともとは、みそらのいろのみずあさぎ......"という詩の全文を知りたい。
回答
上田敏訳詩集『海潮音』に掲載のウィルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」である。『海潮音』は『上田敏全訳詩集(ワイド版岩波文庫)』(岩波書店 1994)、『定本上田敏全集』1巻(教育出版センター 1978)などに所収。
キーワード
■ウィルヘルム・アレント■「わすれなぐさ」■ながれのみずの■詩
調査過程
- ■依頼者は「島崎藤村の詩集『夏草』にあった思う」とのこと。自館システムで「ナツクサ」を書名検索し『藤村全集』1巻(筑摩書房 1976)所収の「夏草」を見るが該当なし。
- ■『藤村全集』所収の「夏草」以外の詩も見てみるが、該当なし。
- ■『人物記念館事典』(日外アソシエーツ編・発行 1996)で藤村記念館を探し、調査を依頼。
- ■藤村記念館から「上田敏訳詩集『海潮音』に掲載のヰルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」である」と回答。
- ■自館システムで「カイチョウオン」を書名検索し、所蔵を確認。
参考資料
- ◆『上田敏全訳詩集(ワイド版岩波文庫)』(岩波書店 1994)
- ◆『新・ちくま文学の森』1(筑摩書房 1994)
調査にあたって
依頼者は年輩の女性で、「これは十代の頃に読んだ詩を記憶していたもので、藤村のものだと思うのだが見つからない。年を経て今の自分の心境に合うので、ぜひまた読みたい」とのこと。詩を探すというのはなかなか難しく、「島崎藤村」をキーに探したが、全集を見ても該当がなく、全く行き詰まってしまった。詩ではなく、小説の一部分という可能性もあるだろうと考え、「何か御存知のことがあれば教えてください」と藤村記念館(〒399-5102 長野県木曽郡山口村神馬籠4256-1 TEL.0264-59-2047)にお聞きした。藤村記念館からは、すぐに回答のFAXをいただいたが、全く予期せぬ答えだったので驚いた。お礼かたがた電話で調査方法をお尋ねすると、「現在上田敏に関する企画展示を行っているので、つい最近目にした」とのこと。この詩は有名なカール・ブッセの「山のあなた」の直前に掲載されている。依頼者が藤村だと勘違いしたこと、藤村記念館で折しも上田敏の展示をしていたこと、この二つの偶然が重なったのだが、私には、まるで詩の方から会いに来てくれたように感じられた。依頼者にこの経緯を報告し、「この詩とは、また巡り会う運命だったんですね」などとお話したところ、思い出のある詩だということでとても喜んでいただいた。探していた詩のタイトルが「わすれなぐさ」だったため、余計ドラマティックに感じられた。
作成日:1999年2月13日
田道間守(たじまもり)の伝説と、それを歌った唱歌の歌詞を知りたい。
回答
田道間守の伝説は「古事記」、「日本書紀」に説話がある。垂仁天皇は、田道間守(多遅摩毛理)を常世(とこよ)の国に遣わし、現在の橘を意味する非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めさせた。その翌年、田道間守が木の実を持って帰朝したとき、天皇は崩じており、田道間守は御陵の前で慟哭して死んだ。奈良県奈良市尼ヶ辻町の垂仁天皇陵には、田道間守の墓と伝えられる小さな陪塚(ばいちょう)がある。唱歌「田道間守」は『日本教科書大系 近代編』25巻「唱歌」(海後宗臣編 講談社1965)p.442に掲載。
キーワード
■「田道間守」■かおりも高いたちばなを■唱歌■歌詞
調査過程
- ■『日本神話事典』(大和書房 1997)を引くと、「タヂマモリ説話」の項に、伝説の内容と、出典が「古事記」、「日本書紀」であることが記載。
- ■自館システムで「コジキ」、「ニホンショキ」をそれぞれ書名検索。『日本古典文学全集』1巻「古事記」(小学館 1973)の「垂仁天皇」の項や『日本古典文学大系』67巻「日本書紀」(岩波書店 1967)の「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)垂仁天皇」の項に田道間守の伝説の記載あり。
- ■『童謡唱歌名曲全集』(名著出版 1989)の索引を見るが、田道間守の歌の掲載なし。また、その他の唱歌集にもなし。
- ■『日本教科書大系 近代編』25巻「唱歌」(海後宗臣編 講談社 1965)を見ていくと「第三期 国定教科書」の「初等科音楽」に唱歌「田道間守」の掲載あり。
参考資料
- ◆『日本教科書大系 近代編』25巻「唱歌」(海後宗臣編 講談社 1965)
- ◆『日本神話事典』(大和書房 1997)
- ◆『日本古典文学全集』1巻「古事記」(小学館 1973)
- ◆『日本古典文学大系』67巻「日本書紀」(岩波書店 1967)
調査にあたって
田道間守の伝説については、「古事記」を読んで知っていたので簡単に回答することができたが、唱歌がなかなか見つけられなかった。『童謡唱歌名曲全集』(名著出版 1989)などの唱歌集で見つけられなかった時点で行き詰まってしまい、いったんお預かりし、後日回答することにした。インタビューの際依頼者は「この歌は奈良県に行ったとき、観光バスの中でバスガイドが歌ったもので、年輩の方は皆一緒に歌っていた」とおっしゃっていたので、この時点で「教科書」を思い浮かべるべきだった。その約2ヶ月後、年輩の女性が「昔の音楽の教科書を見せてください」とやって来て、『日本教科書大系 近代編』25巻「唱歌」(海後宗臣編 講談社 1965)を開き「あったわ、"田道間守"の歌」とおっしゃるので驚いた。お聞きすると、「子どもの頃学校で習い、泣きながら歌った思い出がある。今度同窓会があるので皆で歌おうと歌詞を確認しに来た」とのこと。自分がなかなか見つけられずに困っていただけに信じられないような気分だった。50何年か前には多くの人が知っていてあたり前だったことが、今ではその当時を知らない年代には調べることが困難になっているということに、改めて、情報や文化を蓄積し保存し、次世代に伝えていく図書館の使命・存在意義を痛感した。
作成日:1998年11月29日
"ドングリの実を食べるとバカになる"というような内容で戦争中のことを書いた散文詩が、高校の教科書に掲載されていたが、その全文を知りたい。
回答
『蛇』(北川冬彦著 炉書房 1947)所収の「どんぐりの実」。山梨県立文学館所蔵。
キーワード
■「どんぐりの実」■北川冬彦■七才の息子が■詩
調査過程
- ■『詩歌全集・作品名綜覧』下巻(青山毅編 日外アソシエーツ 1988)で「どんぐり」というタイトルの詩を探すと、「どんぐり」(北原白秋作)、「どんぐりころころ」(青木存義作)、「どんぐりの実」(北川冬彦作)などの詩があることがわかる。
- ■依頼者に「作者は北川冬彦ではないか」と尋ねると「そうかもしれない」との返事。
- ■先の資料によると、「どんぐりの実」は詩集『蛇』に所収、またこの詩は『現代詩全集』1巻、『日本の詩』18巻、『現代日本詩人全集』8巻、『日本詩人全集』などに収められていることがわかる。
- ■これらの資料について自館システムで書名検索するが、所蔵なし。
- ■自館システムで「キタガワ フユヒコ」を辞書(人名)検索すると、詩集では『日本の詩歌』25巻「北川冬彦・安西冬衛・北園克衛・春山行夫・竹中郁」がヒット。内容を確認するが「どんぐりの実」は掲載なし。
- ■山梨県立文学館に電話で『蛇』の所蔵の有無を確認。「所蔵している」との返事で、電話で「どんぐりの実」を読んでもらうとどうやらそれらしいので、依頼者に電話に出てもらう。探していたのはこの詩であることが判明。
参考資料
調査にあたって
依頼者は40代くらいの男性で、「近くの図書館で調べてもらったがわからなかったので」と一生懸命な様子だった。「島木赤彦か島木健作の散文詩で「どんぐり」というタイトルだったと思うが......」とおっしゃっていたが、「島木赤彦」も「島木健作」も「?」という感じだったので、タイトルの「どんぐり」から探すことにした。『詩歌全集・作品名綜覧』(青山毅編 日外アソシエーツ 1988)は、詩のタイトル(作品名)からその詩が掲載されている図書を探すためのツール。『詩歌全集・作品名綜覧』に「北川冬彦」という名前が出てきたのでお聞きすると、「そうかもしれない」との返事。確信はなかったが、この詩を探すことにした。山梨県立文学館との電話で、詩の内容を聞いているうちに依頼者の顔が明るくなり、電話が終わると、「この詩です。ありがとうございます。今から行って来ます」と、その足で文学館に向かわれた。当館と同じ甲府市内にある山梨県立文学館(〒400-0065 山梨県甲府市貢川一丁目5-35 TEL.055-235-8080)は、文学(特に近代文学や、山梨県ゆかりの文学)について、いつも頼りになる専門機関である。残念なことに、著作権法により著作物のFAX送信(公衆送信)は認められていないので、当館でこの資料を提供することはできなかった。
作成日:1998年8月15日
野口英世の母親がひらがなで書いた英世あての手紙を読みたい。
回答
野口英世の母親シカが英世に宛てた手紙は、明治45年1月23日付の一通のみ。シカは、幼い頃から子守奉公でろくろく文字を習わなかったが、アメリカにいる英世に手紙を書くため一生懸命に字をおぼえて、ひらがなばかりの手紙を出した。『野口英世』(筑波常治著 講談社 1980)p.178にその全文が掲載。甲府市立図書館ほかで所蔵。
キーワード
■野口英世■野口シカ■書簡
調査過程
- ■『世界伝記大事典 日本・朝鮮・中国編』4巻(ほるぷ出版 1978)で「野口英世」の項を見ると、母親の名前は「シカ」であることがわかる。
- ■自館システムで「ノグチ シカ」を辞書(人名)検索すると『野口英世の母』(宮瀬睦夫著 淡山書房 1949)がヒットし、内容を見るが手紙の掲載なし。また、『近代名作館』2巻(桑名靖治編 1995)所収の「手紙」(野口シカ著)が新刊情報としてヒット。
- ■『近代名作館』2巻について、山梨県図書館情報ネットワークシステムで検索するがヒットせず。
- ■自館システムで「ノグチ ヒデヨ」を辞書(件名)検索し、野口英世の伝記を見ると、その中の一冊『野口英世』(イザベル・R・プレセット著 中井久夫,枡谷好弘訳 星和書店 1987)に手紙の一部分が掲載、巻末にその部分の注として「本書の再録は筑波常治『野口英世』一七八ページによる」と記載あり。
- ■『野口英世』(筑波常治著)について山梨県図書館情報ネットワークシステムで検索すると、甲府市立図書館などで『野口英世』(筑波常治著 講談社 1980)を所蔵しており、甲府市立図書館では現在その本が在庫であることがわかる。
- ■甲府市立図書館に内容の確認を依頼。手紙の全文が掲載されている旨回答あり。
参考資料
- ◆『野口英世』(イザベル・R・プレセット著 中井久夫,枡谷好弘訳 星和書店 1987)
- ◆『野口英世(おもしろくてやくにたつ子どもの伝記1)』(浜野卓也文 ポプラ社 1998)
- ◆『手紙と人生』(大河内忠蔵著 ポプラ社 1978)
調査にあたって
"新刊情報"とは、新刊として発行された書籍のデータが、過去5年分入力されているもの。当館ではこの資料を所蔵していなかったので、山梨県図書館情報ネットワークシステムで県内の所蔵先を探したがなかった。そこで、野口英世の伝記の中で手紙の掲載があるものを探すと、抜粋を掲載したものしか見付けられなかったが、手紙の全文が掲載されている本の紹介があったので、もう一度県内の図書館の中で所蔵先を検索した。山梨県図書館情報ネットワークシステムは、山梨県内の公共図書館の総合目録で、21館がデータを提供しており(平成11年3月末現在)、インターネット上でも公開している(http://www.manabi.pref.yamanashi.jp:8080/)。相互貸借の依頼・受付などもでき、当館と甲府市立図書館については動態(貸出中かどうか)もわかる。回答に用いた資料は、所蔵館の甲府市立図書館に相互貸借をお願いし、依頼者に貸出した。ところが後日、先輩職員に「こんなレファレンスがあった」などと話すと、「野口英世の母親の手紙なら当館にもある」と言われ、『野口英世(おもしろくてやくにたつ子どもの伝記1)』(浜野卓也文 ポプラ社 1998)、『手紙と人生』(大河内忠蔵著 ポプラ社 1978)の2冊(いずれも児童書)を紹介された。児童書や、手紙の例として取り上げられていることまでは、考えが及ばなかった。また、野口英世をモデルにした小説『遠き落日』下巻(渡辺淳一著 角川書店 1979)にも原文のまま引用されている。検索システムや索引類で探せない事例については、自館システムに電算入力しデータベース化しているので、次に同様の質問があったときには、これらの資料を提供できる。なお、作家・芸術家・政治家・思想家の書簡を探すツールとしては、『日記書簡集解題目録』全2巻(日外アソシエーツ編・発行 1997~1998)がある。
作成日:1999年2月23日
太田治子の処女作「十七歳のノート」を読みたい。
回答
太田治子が高校2年生の時に新潮社の人から勧められて書いた生い立ちの記「手記」は、雑誌「新潮」(新潮社)昭和40年4月号に掲載され、単行本『手記』(太田治子著新潮社 1967)として出版された。これは後に「十七歳のノート」と改題され『空色のアルバム』(太田治子著 構想社 1979)に収められた。『空色のアルバム』、『手記』、初出の雑誌「新潮」昭和40年4月号とも当館所蔵。
キーワード
■太田治子■「十七歳のノート」■「手記」
調査過程
- ■自館システムで「ジュウナナサイノノート」を、山梨県図書館情報ネットワークシステム、国立国会図書館による総合目録データベースで「十七歳のノート」を書名検索するが、ヒットせず。
- ■『日本近代文学大事典』1巻(日本近代文学館編 講談社 1977)を見るが「太田治子」の項目なし。
- ■『現代女性文学辞典』(村松定孝,渡辺澄子編 東京堂出版 1990)で「太田治子」の項を見ると、「高校二年の時、瀬戸内寂聴の勧めで、両親の事などを書いた『手記』(昭42、新潮社)などの随筆で話題となる」と記載あり。
- ■『現代女性人名録』(日外アソシエーツ編・発行 1996)で「太田治子」の項を見ると「高校2年の時に書いた手記「十七歳のノート」が話題となる」と記載あり。
- ■自館システムで「シュキ」を書名検索し、『手記』(太田治子著 新潮社 1967)の所蔵を確認。『手記』を見ると初出が雑誌「新潮」(新潮社)昭和40年4月であるとの記載あり。
- ■初出である雑誌「新潮」昭和40年4月号について自館システムで検索し、所蔵を確認。
- ■自館システムで「オオタ ハルコ」を辞書(人名)検索して、ヒットしたうちの『空色のアルバム』(太田治子著 構想社 1979)を見ると、「十七歳のノート」の掲載があり、末尾に「(昭和四〇・四『手記』改題)」と記載。巻末のあとがきに簡単な解説あり。
参考資料
- ◆『空色のアルバム』(太田治子著 構想社 1979)
- ◆「新潮」昭和40年4月号
- ◆『手記』(太田治子著新潮社 1967)
調査にあたって
「十七歳のノート」は、原題が「手記」であり、改題後はエッセイ集の中に収められていたため、検索システムで見つけられなかった。『現代女性人名録』の「太田治子」の項には「高校2年の時に書いた手記「十七歳のノート」が話題となる」と記載されているが、これは誤記であろう。レファレンスをしていて時々ツールの誤記・誤植を発見することがある。事実照会などの回答には、できれば複数の資料を用いた方が良い。
作成日:1999年1月13日
南方熊楠の神社合祀反対の意見書を読みたい。
回答
南方熊楠は、明治42年9月から地元新聞「牟礼新報」に神社合祀反対の論文を発表。また大阪朝日新聞社・東京朝日新聞社・大阪毎日新聞社などにもいくつかの原稿を寄せた。その後、柳田国男・松村任三・白井光太郎など中央の学者に応援を頼む手紙を書いた。神社合祀の意見書は、松村任三宛書簡2通(「南方二書」)と白井光太郎宛書簡「神社合祀に関する意見」で、『南方熊楠全集』8巻(南方熊楠著 乾元社 1951)や『南方熊楠コレクション』5巻(南方熊楠著 河出書房新社 1992)に所収。
キーワード
■南方熊楠■神社合祀反対■松村任三■白井光太郎
調査過程
- ■自館システムで「ミナカタ クマグス」を辞書(件名)検索し、『南方熊楠を知る事典』(松井竜五ほか編 講談社 1993)を見ると、「神社合祀反対」の項に、明治42年9月から地元新聞「牟礼新報」に神社合祀反対の論文を発表、また大阪朝日新聞社などにもいくつかの原稿を寄せたこと、その後中央の学者に応援を頼む手紙を書いたことなどがわかる。
- ■『世界伝記大事典』日本・朝鮮・中国編5巻(ほるぷ出版 1978)の「南方熊楠」の項を見ると、神社合祀について簡単な記述あり。参考書として『南方熊楠』(笠井清著 吉川弘文館 1967)が記載。
- ■『南方熊楠』を見ると、「神社合祀反対運動」の項があり、意見書については熊楠の松村任三宛神社合祀反対の手紙を柳田国男が『南方二書』と題して自費出版したこと、また、白井光太郎宛書簡「神社合祀に関する意見」があり、前者が生物学上の見地からの反対、後者が主として文化面の被害からの反対であることなどが記載。また、この意見書が『南方熊楠全集』8巻(南方熊楠著 乾元社 1951)や『南方熊楠コレクション』5巻(南方熊楠著 河出書房新社 1992)に収録されていることがわかる。
- ■これらの資料2点を自館システムで検索し、所蔵が判明。
参考資料
- ◆『南方熊楠全集』8巻(南方熊楠著 乾元社 1951)
- ◆『南方熊楠コレクション』5巻(南方熊楠著 河出書房新社 1992)
調査にあたって
『世界伝記大事典』日本・朝鮮・中国編5巻(ほるぷ出版 1978)に参考書として挙げられていた『南方熊楠』(笠井清著 吉川弘文館 1967)は「人物叢書」というシリーズで、目次に記載されている項目の他に、本文の上部にも小さな項目が付されているので、ツールには記載がないような細かい事項を調べるのに都合がよい。ツール以外にも、自分で使いやすいと思われるお気に入りの資料を見付けておくと、また別の機会にも応用することができる。
作成日:1998年8月9日
夏目漱石の小説「琴のそら音」に出てくるロード・ブローアムは、本文 中に「英国の文学者」とあるが、どんな作品があるのか知りたい。
回答
ロード・ブローアムは、イギリスの政治家・法律家ヘンリー・ピーター・ブルーム(Henry Peter Brougham 1778-1868)のこと 。著書に「An inquiry into the colonial policy of European powers」(1803年)、「Observations on education of the people」(1825年)などがある。日本語訳については未確認。
キーワード
■「琴のそら音」■夏目漱石■ヘンリー・ピーター・ブルーム
調査過程
- ■人名事典で「ブローアム,ロード」を探すが記載なし。
- ■自館システムで「コトノソラネ」を書名検索し、『漱石全集』2巻(夏目漱石著 岩波書店 1994)所収の「琴のそら音」の注解を見ると「ロード・ブローアム Lord Brougham 本名はヘンリー・ピーター・ブルーム Henry Peter Brougham(1778-1868) イギリスの政治家・法律家」などの記載あり。
- ■『岩波西洋人名辞典・増補版』(岩波書店 1981)を見ると「ブルーム」の項に解説、また主著の記載あり。
- ■『英米文学事典・第3版』(研究社出版 1985)を見ると「Brougham」の項に「批評・歴史・その他方面の著作は自ら11巻に集めて出版した」などの記載あり。
- ■インターネットで「文部省学術情報センター」(http://webcat.nacsis.ac.jp/)のホームページを開き、「NACSIS webcat総合目録データベースWWW検索サービス」で「Broughan Henry」および「ブルーム ヘンリー」を検索。著書は原書を確認。
参考資料
- ◆『岩波西洋人名辞典・増補版』(岩波書店 1981)
- ◆『英米文学事典・第3版』(研究社出版 1985)
調査にあたって
依頼者が持参した本には注がなかったため、人名事典からあたったが記載がなかった。架空の人名なのかもしれないと思いつつ、この部分の注があればと思い『漱石全集』(夏目漱石著 岩波書店 1993~)を見た。岩波書店から出されている『漱石全集』には巻末に注解が付いている。すると、ロード・ブローアムの本名はヘンリー・ピーター・ブルームであることがわかった。「ロード(Lord)」というのは、名字ではなく「~卿」という敬称なのだが、当初はすっかり名前の一部だと思い込んでいた。また、「Broughan」は「ブルーム」とも「ブローアム」とも日本語表記される。著書の日本語訳については、国立国会図書館による総合目録データベースや翻訳書誌などを使ったが見付けられなかった。
作成日:1998年7月14日
菅徳長という人物について知りたい。
回答
「菅徳長」は東坊城徳長だと考えられる。東坊城徳長は、歌人・子爵。幼名信丸。明治2(1869)年、京都生まれ。明治天皇御製臨時編纂部員を命ぜられ、また御歌所参候となり、しばしば歌会始奉行を拝命した。大正11(1922)年、54歳で没。
キーワード
■東坊城徳長(ヒガシボウジョウトクナガ)■菅徳長(カントクナガ)■菅原家■落款
調査過程
- ■依頼者側の調査では、姓の「菅」を「かん」と読むのか「すが」と読むのかは不明、人名事典を調べたが見付けられなかったとのこと。出典を確認すると、「絹本(掛け軸を作る以前の状態のもの)に書かれていた書に「菅徳長」と落款があった。またこの絹本は近世後期のものと推測される」とのこと。
- ■『名前から引く人名辞典』(日外アソシエーツ 1988)で「徳長」を引くと、「東坊城(ひがしぼうじょう)徳長」の記載あり。
- ■『大人名事典』5巻(平凡社 1954)で「東坊城徳長」を引くと、解説あり。
- ■『公卿人名大事典』(野島寿三郎編 日外アソシエーツ 1994)で「東坊城家」を引くと、「菅原家の支流」と記載あり。また、『姓氏・地名・家紋事典』(丹羽基二著 新人物往来社 1995)で「菅原」を引くと、「菅原氏は大和国添下郡菅原庄発祥の大族、道真を出した菅家が宗族」と記載あり。
- ■『落款花押大辞典』2巻(淡交社 1982)を見るが「東坊城徳長」の記載なし。同じ菅原家の「東坊城和長」の落款は、「菅原和長」となっていることを確認。
参考資料
- ◆『大人名事典』5巻(平凡社 1954)
- ◆『公卿人名大事典』(野島寿三郎編 日外アソシエーツ 1994)
調査にあたって
FAXでの依頼で、最初は日本人なのかどうかも判断できなかった。電話で確認すると、出典は書の落款で、依頼者側で「かんとくなが」、「すがとくなが」の両方の名前で人名事典類は調査済みとのことだったので、姓から探さずに、名前から探すことにした。『名前から引く人名辞典』(日外アソシエーツ 1988)を見ると「徳長」という名は「東坊城徳長」しか記載がなく、この人物について調査していくと、東坊城家が菅原氏の分家であることがわかり、落款では「菅原徳長」、「菅徳長」と書かれる可能性があることがわかった。確認するために『落款花押大辞典』(淡交社 1982)を見ると、徳長より12代前の和長しか記載がなかったが、和長の落款が「菅原和長」であることがわかり、「菅徳長」は「東坊城徳長」だと考えられた。また、当館で古文書の整理をしている郷土資料の担当者に聞いたところ「間違いないだろう」との回答を得たが、文献での調査はこれ以上はできなかった。
作成日:1998年11月5日
古代中国の"四神"とはどのようなものか。
回答
四神は古代中国で四方を守護する動物で、東・西・南・北の順に青龍(蒼龍)・白虎・朱雀(鳳凰)・玄武(亀)。五行思想にもとづいており、身体の色は東・西・南・北の色(青・白・赤・黒)に対応している。中国以外の地域にも伝播し、日本の高松塚古墳などにも見ることができる。『幻想動物事典』(草野巧著 シブヤユウジ画 新紀元社 1997)にイラストあり。また、『高松塚古墳壁画』(高松塚古墳総合学術調査会 1973)には高松塚古墳の石室内部に描かれた四神のカラー写真あり。
キーワード
■四神■方角■中国■架空動物
調査過程
- ■『中国学芸大事典』(近藤春雄著 大修館書店 1980)を見るが「四神」の項目はなし。
- ■『世界大百科事典』12巻(平凡社 1988)を見ると、「四神」の項があり、古代中国で四方を守護する動物で、東・西・南・北の順に青龍(蒼龍)・白虎・朱雀(鳳凰)・玄武(亀)であること、日本でも高松塚古墳の壁画に見ることができることなどが記載されていた。
- ■『幻想動物事典』(草野巧著 シブヤユウジ画 新紀元社 1997)を見ると、「四神」の項と、四神のそれぞれの動物の項があり、説明とイラストが掲載。
- ■自館システムで「タカマツズカ コフン」を辞書(件名)検索すると、『高松塚古墳壁画』(高松塚古墳総合学術調査会 1973)がヒット。高松塚古墳の壁画に描かれた四神の各動物のカラー写真あり。
参考資料
- ◆『世界大百科事典』12巻(平凡社 1988)
- ◆『幻想動物事典』(草野巧著 シブヤユウジ画 新紀元社 1997)
- ◆『高松塚古墳壁画』(高松塚古墳総合学術調査会 1973)
調査にあたって
中国の思想や文学などについて調べるとき、いつも頼りになるのが『中国学芸大事典』(近藤春雄著 大修館書店 1980)だが、四神については記載がなかったので、百科事典を用いた。百科事典は、こんなことが調べられるだろうかと思うようなジャンルのことでも意外と記載があるので、これで回答ができたり、調査の足がかりとなることが多い。また、項目によっては専門事典よりも詳しい解説があることも多い。四神は「神」と名がついているが想像上の動物だということがわかったので、『幻想動物事典』(草野巧著 シブヤユウジ画 新紀元社 1997)を見るとその姿などがわかった。また、百科事典に記載のあった高松塚古墳の壁画についても、大きなカラー写真があった。
作成日:1999年2月13日
"オオムラサキ"という蝶の名が初めて文献に登場したのはいつか。
回答
宮島幹之助の「日本蝶類図説」(「動物学雑誌」1899~1900年掲載)で初めて「オホムラサキ」という名称が使われた。
キーワード
■オオムラサキ■蝶■昆虫
調査過程
- ■『原色日本蝶類図鑑』(保育社 1976)、『世界大百科事典』4巻(平凡社 1988)などで「オオムラサキ」の項を見るが、記載なし。
- ■『日本国語大辞典』3巻(小学館 1973)で「おおむらさき」を見ると、古典的な文献資料の記載例はない。『古事類苑』48巻「動物部」(吉川弘文館 1970)で「てふ」を見ると、「緑蝶」、「紺蝶」、「黄蝶」、「鳳蝶」などの種類の記載があるがオオムラサキの名前は見られない。また、『和漢三才図会』7巻(寺島良安著 平凡社 1987)にもオオムラサキの名は見られない。
- ■「NDC468 昆虫」の書架に行く。何冊か手に取った中の『日本蝶命名小史』(磐瀬太郎著 菊池書店 1984)に「王者の貫禄-オオムラサキとその一統」があり、オオムラサキは江戸時代後半には「ヨロイチョウ」と記されており、次に「ムラサキチョウ」の名で書物に記載され、宮島幹之助博士が「動物学雑誌」(日本動物学会発行)に「日本蝶類図説」(1899~1900年)を書いたとき「オホムラサキ」と記載した旨記述あり。
参考資料
- ◆『日本蝶命名小史』(磐瀬太郎著 菊池書店 1984)
- ◆『日本蝶類図説』『日本蝶類図説』(宮島幹之助著 成美堂 1908)
調査にあたって
オオムラサキは国蝶なので、古くから日本にいて文献にも登場しているのだろうと思い、古典的な文献資料の記載を探した。しかし、調べていくうちに、現在のような蝶の分類や、それに伴う命名が行われるようになったのは、江戸時代の終わり頃からだとわかった。それまでは蝶と蛾の区別もついていなかったようだ。古典的な文献資料の中には「オオムラサキ」の名は見当たらないが、おそらく他の大型の蝶とともに「揚羽(の蝶)」などと言われていたのだろう。当館では「動物学雑誌」(日本動物学会発行)は所蔵していないが、『日本蝶類図説』(宮島幹之助著 成美堂 1908)がある。これは「動物学雑誌」掲載(初出)の論文を改訂したもの。この本のp135に「オホムラサキ」の記載がある。
作成日:1999年1月28日
「官報」に行旅死亡人の記事を掲載するにはどのようにすればよいのか。
回答
行旅死亡人公告など地方公共団体が行う公告は、全国主要都市(東京霞が関、大手町、札幌、仙台、名古屋、金沢、大阪、広島、福岡、那覇の10か所)にある政府刊行物サービスセンターまたは各都道府県の県庁所在地にある官報販売所で取り扱っている。山梨県官報販売所は、株式会社柳正堂書店(〒400-0032 甲府市中央4丁目2番18号 TEL.055-235-2201)。行旅死亡人公告は、用紙・様式に決まりはないが、状況などを詳細に記入した地方公共団体の長の名前で書かれた文書で依頼する。有料。
キーワード
■「官報」■行旅死亡人■公告■行旅病人及行旅死亡人取扱法(コウリョビョウニンオヨビコウリョシボウニントリアツカイホウ)
調査過程
- ■「官報」を見て、「行旅死亡人」の部分を確認すると、「公告」の項に記載あり。
- ■インターネットの検索エンジン「Yahoo! JAPAN ホームページ」(http://www.yahoo.co.jp//)より「政府刊行物」を検索。「政府刊行物」(http://www.gov-book.or.jp/)がヒット。「官報」の内容には公告紙的事項として、地方公共団体の公告(地方債償還、行旅死亡人公告など)があることなどが記載。
- ■さらに官報公・広告についての解説を見ると、法令に基づいて行う法定公告には国が行う公告・裁判所が行う公告・特殊法人等が行う公告・地方公共団体が行う公告・会社、組合等各種法人あるいは個人が行う公告があり、地方公共団体が行う公告については官報販売所または政府刊行物サービスセンターで取り扱っていることがわかる。また、山梨県官報販売所である株式会社柳正堂書店の連絡先の記載あり。
- ■株式会社柳正堂書店に電話で問い合わせると、「行旅死亡人公告」は状況などを詳細に記入した地方公共団体の長の名前で書かれた文書で依頼してほしいなどの回答。
参考資料
調査にあたって
国の機関からのお知らせや統計資料などは、インターネットが便利。「行旅死亡人」の公告掲載は、「行旅病人及行旅死亡人取扱法」第9条に「行旅死亡人ノ住所、居所若ハ氏名知レザルトキハ市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ公署ノ掲示板ニ告示シ且官報若ハ新聞紙ニ公告スベシ」とあるのにによる。
作成日:1999年1月20日
カナダの新聞「The Vancouver Sun」の発行所の連絡先を知りたい。
回答
「The Vancouver Sun」の連絡先(広告部)は、住所:Advertising Department The Vancouver Sun #1-200 Granville Street Vancouver, BC V6C 3N3 Canada 電話番号:604-605-2478 FAX番号:604-605-2704。
キーワード
■「バンクーバー・サン」■新聞社■カナダ
調査過程
- ■『日本新聞年鑑』 97/98年版(日本新聞協会編 電通 1997)の「世界新聞要覧」を見る。「カナダ」の項に「The Vancouver Sun」は「Pacific Press Ltd.(2250,Granville St,)が所有」と記載あり。
- ■『外国会社年鑑』1998年版(日本経済新聞社 1998)で「Pacific Press Ltd.」を探すが記載なし。
- ■インターネットの検索エンジン「Yahoo! JAPAN ホームページ」(http://www.yahoo.co.jp//)より「世界のYahoo!アメリカ」(http://www.yahoo.com/)にリンクし、「Vancouver Sun」を検索。
- ■「The Vancouver Sun」のホームページ(http://www.vancouversun.com/)がヒットし、住所および電話番号、FAX番号が判明。
参考資料
調査にあたって
「山梨まなびネットワークシステム」(http://www.manabi.pref.yamanashi.jp/)の稼働により、平成9年9月からインターネットが利用できる(現在は職員用のみ)。インターネットが図書館の情報提供資料としてどの程度使えるか、まだその評価が定まってはいないが、世界中の情報に簡単にアクセスできる便利さはやはり捨てがたい。従来の図書資料と、それぞれの長所を生かしながら上手に使っていきたい。
作成日:1998年6月26日
寫奏一対、七紫三羊一対とは何のことか。
回答
『文房四宝 筆の話』によると、「寫奏」は、中国の筆の老舗「李鼎和」にあった小筆。先のよくきく筆で榊莫山が愛用していた。文化大革命がおこってまもなく「寫奏」の名は「寫巻」に変わった。「七紫三羊」は兎七、羊三の割合で作った筆という意味を、小筆の名に示しているものである。
キーワード
■寫奏(シヤソウ)■七紫三羊(シチシサンヨウ)■筆
調査過程
- ■数字の入った言葉であったので、『数のつく日本語辞典』(森睦彦著 東京堂出版 1999)にあたるが記載なし。
- ■『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店 1960)にあたってみると、「寫奏」の記載はなかったが、「七紫三羊毫」という記載があり、水筆の一種で羊毛の割合から名づけるという説明があった。
- ■次に、「対」という単位が「筆」に使われているかどうか調査してみた。『商用単位事典』(篠崎晃雄著 実業之日本社 1974)によると、「筆」は巻・茎・本という数え方をするとあった。『図解単位の歴史事典』(小泉袈裟勝編著 柏書房 1989)にあたると、「対」という数え方は二個一組を単位に数えるときに用いる語とあり、扇・燭台・花いけなどに使われるとあった。『単位の辞典』(ラテイス 1981)にあたるが「対」の項には「筆」の記載はなかった。しかし、巻末の「ものの数え方」の「筆」のところに巻・管・対という数え方が載っていた。
- ■この言葉がでてくる『最後のひと』(山本夏彦著 文芸春秋 1990)を確認すると、「虎ノ門の晩翠軒」で購入したという記載がある。「晩翠軒」をインターネットで検索してみると、書道関係の出版や販売をしている会社が現在も虎ノ門にあることが判明した。
- ■以上の調査結果から、両方とも筆のことだろうと推測し、書道用具関係の書籍にあたってみた。『書道辞典』(飯島春敬編 東京堂出版 1995)等の辞典類に記載はなかった。『文房四宝 筆の話』(榊莫山著 角川書店 1981)に「寫奏」と「七紫三羊」の記載があった。
参考資料
- ◆『文房四宝 筆の話』(榊莫山著 角川書店 1981)
調査にあたって
どういう種類の事柄を表す言葉か全くわからない状況での調査だったので、まずどの書籍にあたるかがポイントであった。事柄・言葉の意味をまず把握するためには「百科事典」「国語辞典」「漢和辞典」などにあたることが重要であるとあらためて感じた調査であった。
作成日:2000年12月15日
景観保全についての条例等を設けているところの参考例(条文)が知りたい。
回答
貸出ができる資料ということで、『「五感」性のある景観創造』(佐藤優著 北土社 1991)と『都市景観と行政のあり方に関する調査研究』(中部開発センター 1982)を提供した。
キーワード
■景観■条例■自治体■美観
調査過程
- ■まずは、自館システムで「ジヨウレイ」を辞書(件名)検索し、『地方自治体新条例集』1999年版(イマジン出版 1999)にあたる。「都市計画」と「環境」の項目に、福島県環境条例、十津川村美しい村づくりに関する条例が載っていた。貸出できる資料ということで、『まちづくり条例』(井上繁著 ぎょうせい 1991)にあたると、実例編に、「湯布院町潤いのある町づくり条例」「尼崎市都市美形成条例」「倉敷市倉敷川畔伝統的建造物群保存地区背景保全条例」「恩納村環境保全条例」が載っていた。
- ■『政策法学と自治体条例』(阿部泰隆著 信山社出版 1999)にあたるが、条例の短評が載っているのみで、条例は載っていなかった。
- ■次に「ケイカン」で辞書(件名)検索すると、『環境保全と景観創造』(西村幸夫著 鹿島出版会 1997)の法令索引から、神戸市・函館市・小木町(佐渡)・竹富町(沖縄県)に条例があることが判明する。
- ■『「五感」性のある景観創造』は、盛岡市の都市景観づくりの20年が書かれていた。
- ■『都市景観と行政のあり方に関する調査研究』は、名古屋市の景観行政が中心に書かれているが、各都市の都市景観に関する取り組みという章があり、横浜市・神戸市・京都市・札幌市・広島市・北九州市の条例とその解説の記述があった。
- ■さらに、「トシケイカク」「カンキヨウ」「ナシヨナルトラスト」で辞書(件名)検索してみるが、条例が載っているような書籍は見つからなかった。
- ■レファレンスデータ検索により、以前の「各自治体でどのような環境条例を出しているか知りたい」という問に回答した『全国環境行政便覧』平成元年版(環境庁編 大蔵省印刷局 1989)を調べると、県ごとの条例規則等の一覧が載っていたが、内容までの記載はなかった。
参考資料
- ◆『「五感」性のある景観創造』(佐藤優著 北土社 1991)
- ◆『都市景観と行政のあり方に関する調査研究』(中部開発センター 1982)
調査にあたって
条例文が載っていて貸出可能な資料を探すとなるとなかなか難しい。山梨県庁においても、各県の条例文は取り寄せてあるそうだが、閲覧は、県庁に出向いて行く必要がある。じっくりと内容を調べたい利用者にとって、館内で閲覧するだけでは不十分といえよう。遠方からの利用者であればなおさらであろう。貸出可能な資料となると一冊に載っている条文は僅かであり、全文が載っているとは限らず、できるだけ多く提供したいという思いとは裏腹な結果になってしまう。調査していてわかったことだが、最近は、「景観」という言葉はあまり使われず、「美の条例」というような言葉が使用されてきている。「景観」という言葉だけではすべてを包括することはできず、大きな意味を持たせ「美」という言葉を使用しているようである。
作成日:2001年1月11日
「三枕(さんちん)」という言葉の正確な意味と、その由来を知りたい。アイディアを思いつく状況を示す言葉で、中国の有名な人の言葉ではないか。
回答
文章を考えるのに適した場所としての「三上」は中国の政治家・学者欧陽修が友人の謝希深に語り『帰田録』に書いた言葉で、三上とは馬上・枕上・厠上(便所)のことである。
キーワード
■三上(サンジヨウ)■発想法■欧陽修(オウヨウシユウ)■「帰田録」(キデンロク)
調査過程
- ■まずは『広辞苑』『日本国語大辞典』など国語辞典を引くが、いずれにも、三枕という言葉は出ていない。また、『名数数詞辞典』を引いてみるが、出ていない。
- ■中国の人の言葉ではないかということなので、『中国成語辞典』『中国故事成語大辞典』『中国分類詞典』『基礎中国語辞典』などを調べるが、こちらにも出ていない。
- ■もしかしたら「三枕」という言葉ではないのではないか?そこで「アイディア」という方面から調べることにし、一般書の『発想語典』(深川英雄著 電通 1990)を調べてみると、「三枕」ではなく「三上(さんじょう)」という言葉が記載されていた。これによると、「馬上・枕上・厠上(ばじょう・ちんじょう・しじょう)」がアイディアのひらめく状況として挙げられている。同様に、『インスピレーションが湧く104の方法』(斉藤勇著 乃木坂出版 1995)にも中国・北宋の文化人欧陽修が語った「三上の説」として紹介されている。
- ■改めて『日本国語大辞典』『広辞苑』を引くと、こちらにも「文章を練るのに最もよく考えがまとまる場所」と記載されている。また『広辞苑』でこの欧陽修は唐宋八大家の1人とわかた。
- ■『唐宋八大家文読本』3(新釈漢文大系72,明治書院 1996)に記載があり、これによると、欧陽修が友人の謝希深に語った言葉で、『帰田録』に収録されているとのことだった。
参考資料
- ◆『インスピレーションが湧く104の方法』(斉藤勇著 乃木坂出版 1995)
- ◆『発想語典』(深川英雄著 電通 1990)
- ◆『唐宋八大家文読本』3(新釈漢文大系72,明治書院 1996)
調査にあたって
ちょっとした勘違いなので、国語辞典の前後の項目まで丹念に見ていればすぐに分かったのかもしれない。質問者がこの言葉の内容を比較的正確に記憶していたので、答えにたどりつくことができた。質問者からその質問に関しての情報を詳しく聞き出すことの大切さを改めて実感した。残念なのはこの『帰田録』を当館で所蔵していないことで、実際にどのように記載されているかが確認できなかったことだった。
作成日:2000年12月19日
学徒出陣の壮行会の行進曲は何か。
回答
明治35年6月に陸軍省が制定した徒歩隊の観兵式行進曲「分列行進曲」が使用されたと推察される。この「分列行進曲」のなかには、「抜刀隊」という西南戦争を題材にした曲が含まれている。
キーワード
■学徒出陣■行進曲■分列行進曲■抜刀隊
調査過程
- ■「軍歌」に関する図書を調べるが、学徒出陣のときに使用されたという記述のある曲はない。
- ■次に「学徒出陣」に関する図書を調べるが、曲の題名は載っていない。
- ■学徒出陣の壮行会は昭和18年10月21日、神宮外苑で行われた。当時の東京日日新聞(現:毎日新聞)のマイクロフィルムも見たが、曲の題名は載っていない。
- ■見つからないのではとあきらめかけていたところ、質問者から「陸軍分列行進曲」のなかの「抜刀隊」という曲だったことが分かったと連絡があった。レコードの解説書などで分かったとのこと。
- ■再度、軍歌や学徒出陣に関する図書を調べなおしてみると、(1)「陸軍戸山学校軍楽隊演奏の観兵式行進曲に合わせて・・・行進した」『学徒出陣』(蜷川寿惠著 吉川弘文館 1998)(2)「戦時中陸軍観兵式で徒歩隊の行進に用いられた「分列行進曲」は・・・明治三十五年六月、陸軍省が制定し・・・」『日本のうた』軍歌編(入方宏編 雪華社 1968)(3)「(「抜刀隊」という曲(外山正一作詞、ルルー作曲)は)第二次世界大戦終戦まで日本陸軍が公式に使用していた分列行進曲の一部分に組み込まれている」『定本日本の軍歌』(堀内敬三著 実業之日本社 1977)という記述を見つけた。昭和18年10月の学徒出陣壮行会の際、この「分列行進曲」が行進曲に用いられた可能性が高いと推察できる。
- ■『日本海軍の本・総解説』『日本陸軍の本・総解説』(自由国民社 1985)『日本陸海軍事典』(原剛,安岡昭男共編 新人物往来社 1997)等軍関係の資料、レコードに関する資料などを調査するが記載されていなかった。
参考資料
- ◆『定本日本の軍歌』(堀内敬三著 実業之日本社 1977)
調査にあたって
質問者から「分かりましたので」という連絡を受けて改めて丹念に調べてみたところ、ようやく曲名を推測することができた。曲のタイトルを調べたいという方は多いが、歌詞がないものや分からないものについては、索引を見るわけにもいかないので大変である。今回は「学徒出陣」という特殊なケースだったが、確定的な答えが得られなくて残念だった。ちなみに「軍艦行進曲」は海軍の行進曲とのことだった。
作成日:2001年2月8日
江戸時代の1両は今のお金のいくらぐらいに相当するのか。
回答
江戸時代の貨幣価値を現在のものに換算するのは大変困難である。当時と現在では、世の中の仕組みや人々の暮らし向きが全く異なっているからである。一応の試算として1両を米価、賃金(大工の手間賃)、そば代金と比較してみると、米価は1両=約4万円、賃金で1両=30~40万円、そば代金では1両=12~13万円になる。また、米価から換算した1両の価値は、江戸時代の各時期において差があり、初期の頃で10万円、中~後期で3~5万円、幕末頃は3~4千円になる。
キーワード
■貨幣価値■値段史■一両■貨幣史
調査過程
- ■過去のレファレンスデータを検索してみると、「文」を現在の通貨に換算するといくらになるかという類似した質問があったが、明確な回答はなされていなかった。米に換算する方法しかない、1605年1貫は307文、米にして1石3斗8升5合であるという回答のみであった。
- ■「価格」「値段史」というキーワードで図書を検索してみるが、『値段史年表』(週刊朝日編 朝日新聞社 1988)をはじめとする一連の図書は、明治時代以降の値段の変遷をあわらしたものばかりで、江戸時代にまでさかのぼるものは見つからなかった。さらに、「貨幣史」でさがしてみるが、両から円へ貨幣が変わるときの問題点や新旧貨価格比較表などを記載した図書しかなかった。
- ■次に江戸の物価について書かれている図書、『江戸物価事典』(小野武雄編著 展望社 1979)や『江戸時代に生きたなら』(中江克己著 廣済堂出版 1993)にあたるが、当時の物価についての記載のみで、現代の物価との比較については言及していなかった。
- ■インターネットで手がかりをつかもうと検索したところ、日本銀行金融研究所貨幣博物館や七十七銀行金融資料館のホームページに、現在の貨幣に換算するのは非常に困難であるとしながら一応の試算が記載されていた。
参考資料
- ◆『貨幣なぜなぜ質問箱』(大蔵省印刷局 1999)
調査にあたって
インターネットの情報をそのまま提供する回答となった。情報を発信しているところが公の機関で、信頼できるものであったからこそ回答できた質問だった。
作成日:2001年1月12日
大田司令官が大本営にあてた最後の電文の内容を知りたい。
回答
大田実海軍中将が、1945年6月6日に、海軍次官にあてた電文。その内容は、「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ」で始まり、「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結ばれている。この電文にはこれまでの決別電の典型であった「天皇陛下万歳」や「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」という文言は皆無であった。
キーワード
■大田実■大本営■電文■沖縄戦
調査過程
- ■まずは、大田司令官がどのような人物かを調査することから始めた。『日本陸海軍事典』(原剛,安岡昭男共編 新人物往来社 1997)には、大田という人物の記載なし。『陸海軍将官人事総覧』海軍編(外山操編 芙蓉書房 1981)から、大田実(佐世保警備隊司令官・沖縄方面根拠地司令官)という人物がいたことが判明する。
- ■『日本陸海軍人名辞典』(福川秀樹編著 芙蓉書房出版 1999)を調べると、太田藤太郎(浦和連隊区司令官)、太田米雄(旅順要塞司令官)という人物がいることも判明するが、大田実氏についての説明文の中に、「圧倒的な戦力の違いにも臆せず米軍に挑み奮戦、力尽きて自決。この直前に沖縄県民の心情を吐露するような電文を海軍次官あてに発信」という一文があった。
- ■次に、海軍次官について調べてみた。『海軍』(外山三郎著 近藤出版社 1991)の「海軍機構図(昭和20年8月終戦時)」から、海軍大臣の下に位置し、大本営海軍部に所属していたことが判明した。
- ■以上の調査結果から、大田実司令長官が大本営にあてた最後の電文は、海軍次官あてに発信したものと判明した。大田実司令官は昭和20年6月13日に自決しているのでその直前の状況が分かる資料を探したところ、『沖縄方面海軍作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968)に、電文の全文が掲載されていた。
参考資料
- ◆『沖縄方面海軍作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968)
調査にあたって
人物の特定をすることから始まったレファレンスだった。「オオタ」という司令官が複数存在したため、一人に特定する作業が必要になった。周囲の状況・情報から必要条件を満たしているか確認していく作業の重要性を再認識させられた。
作成日:2000年12月15日
鼻呼吸で左右が入れかわるのは本当か。
回答
鼻腔の呼吸作用にはリズムがあり、これはネイザル・サイクルと呼ばれている。この呼吸のリズムは副交感神経を切ってもなくならないが、交感神経を切るとなくなる。また、咽頭を摘出した人にはおこらない。この呼吸のリズムはほとんどの正常者に見られ、生理的に3時間に1回くらいの割合で左右の鼻呼吸のリズムが交替する。このような呼吸の周期的変動の原因については、よくわかっていない。
キーワード
■ネイザル・サイクル■鼻呼吸■呼吸
調査過程
- ■自館システムで「コキユウ」を辞書(件名)検索。ヒットした資料『息のしかた』(春木豊,本間生夫共著 朝日新聞社 1996)や『なぜいきをするの?』(横森周信著 偕成社 1986)『たんけん!人のからだ』5(坂井建雄著 岩波書店 1999)等にあたるが、呼吸法や鼻の役割が記載されているのみであった。
- ■さらに、自館システムで「ハナ」「ハナコキュウ」を辞書(件名)検索するが未ヒット。
- ■『医科学大事典』(講談社 1982)、『医学大辞典』(南山堂 1963)等の辞典類で「鼻」「呼吸」の項目にあたるが、該当事項の記載はなかった。
- ■耳鼻咽喉科学の分類に属する図書にあたると、『鼻の話』(高橋良著 岩波書店 1979)に「鼻腔の呼吸作用にもリズムがある」という記載が見つかった。また、『日本人の鼻』(高橋良著 講談社 1980)にも鼻呼吸についての記載があり、鼻呼吸のリズムが周期的に交替することが判明した。
参考資料
- ◆『鼻の話』(高橋良著 岩波書店 1979)
- ◆『日本人の鼻』(高橋良著 講談社 1980)
調査にあたって
質問を受けるまでそういう事実があるとは全く知らなかった。しかし、「呼吸」に関する質問だったので、「呼吸」「呼吸器」というキーワードで調査していけば、簡単に判明するものと思っていたが、実際に調査を始めて見ると、この方法では手がかりが全くつかめなかった。「鼻」というキーワードに変更して調査したのが好結果を生んだ。一つの言葉からどれだけ多くの言葉を連想できるか、ということもレファレンスにあたる上で重要なことであると痛感した。
作成日:2000年12月15日
「戦争花嫁」の意味と、この戦争がどの戦争を指しているのか知りたい。
回答
太平洋戦争の終結後、米軍を主として軍人、軍属と国際結婚し、海外に移住した日本人女性を「ウォー・ブライド」または「戦争花嫁」と呼んだ。1946年アメリカへの入国許可の法律「GI婚約者法」ができたため、ほとんどが米国に住み、特にカリフォルニア州に集中した。渡米した花嫁は、4万人を越すと言われている。
キーワード
■戦争花嫁■太平洋戦争■国際結婚■ウォー・ブライド
調査過程
- ■百科事典、国語事典にあたるが、「戦争花嫁」という項目の記載はなかった。
- ■「戦争」という言葉から近現代に焦点をあてて調査してみる。『明治ニュース事典』『大正ニュース事典』『昭和ニュース事典』(毎日コミュニケーションズ)や日本近現代史関係の辞典、用語集にあたるが記載なし。
- ■『日本史大事典』『日本史用語大辞典』『国史大辞典』等の日本史関係の辞書にあたるが該当する記載事項はなかった。しかし、『岩波日本史辞典』(岩波書店 1999)に「戦後、占領軍の軍人・軍属として日本に駐留したアメリカ人と結婚した日本人女性」という記載がみつかった。
- ■戦争は太平洋戦争のことであると判明したので、さらに「戦後」というキーワードで図書を検索し、『戦後史大事典』(三省堂 1995)にあたってみる。この参考図書には「戦争花嫁」について詳しく説明されていた。また、参考文献として『バンブー・ピープル』下(フランク・F・チューマン著 サイマル出版会 1979)が紹介されていたが、当館では所蔵していなかった。
参考資料
- ◆『岩波日本史辞典』(岩波書店 1999)
- ◆『戦後史大事典』(三省堂 1995)
調査にあたって
このレファレンスを電話で受けたとき、「聞いたことのあるような言葉だな」という印象があり、辞典類を検索すればすぐに見つかるであろうと思ったのだが、想像以上に時間がかかってしまった。至急回答してほしいという要望だったので、事典に記載されていた事項のみを伝えた。後で『20世紀の歴史』16(平凡社 1990)にあたると、「終戦時には6万のイギリス女性が、戦争花嫁としてアメリカ人の夫について海を渡った」という記述があり、日本人女性だけではないことがわかった。
作成日:2001年1月21日
人口重心の計算方法を知りたい。
回答
人口重心とは、人口一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口を、全体として平衡を保つことのできる点をいう。計算方法としては、ローレンツ曲線やメッシュ・データを用いるものがある。また、総務庁統計局では、各都道府県の人口重心から、全国の人口重心を通る経度までの距離に当該都道府県の人口をかけた値が、全国の人口重心を通る経度線の東側と西側とで等しく、また、同様の値が、全国の人口重心を通る緯度線の北側と南側とで等しくなるような点として計算している。都道府県の人口重心は、各市町村の人口重心がそれぞれの市町村役場にあるものとして計算している。
キーワード
■人口■人口重心■人口分布
調査過程
- ■「人口重心」という言葉についてまず調査するため、百科事典、国語辞典、用語事典等にあたるが記載なし。自館システムで書名・辞書・単語検索してみるが、該当するものはなかった。
- ■『統計学辞典』(東洋経済新報社 1989)にあたるが記載なし。『現代統計学小事典』(鈴木義一郎著 講談社 1998)にあたると、「5で割れる西暦年の10月1日午前0時現在、各人が登録してある居住地区での東西南北の分布のバランス・ポイントを人口重心と呼ぶ」という説明文がみつかった。
- ■「人口」「人口移動」というキーワードで図書を検索すると、『地域人口分析の基礎』(濱英彦,山口喜一編著 古今書院 1997)や『人口分布の構造解析』(鈴木啓祐著 大明堂 1985)に、ローレンツ曲線をもちいた計算方法が詳しく書かれていた。『日本の人口』平成7年 資料編(総務庁統計局 2000)には、都道府県の人口重心の計算方法が記載されていた。
- ■インターネットで検索したところ、横浜市のホームページにメッシュ・データを利用した人口重心の計算方法が掲載されていた。
参考資料
- ◆『日本の人口』平成7年 資料編(総務庁統計局 2000)
- ◆『人口分布の構造解析』(鈴木啓祐著 大明堂 1985)
- ◆『地域人口分析の基礎』(濱英彦,山口喜一編著 古今書院 1997)
調査にあたって
計算方法が大変難しいものだったので、分かり易く記述されているものを提供したいと考え、インターネットにも情報を求めてみた。
作成日:2001年1月23日
韓国では特定の姓が人口の大半を占めているのか。
回答
韓国の姓は非常に少なく、1985年のセンサスによると、225姓だけが確認されていて、五大姓で人口の過半数を占めている。韓国を代表する姓は金で韓国人の22%が名乗っていて、李が15%、朴が8.5%、崔が4.8%、鄭が4.3%と続く。このように特定姓が集中するので本貫(氏族の発祥の地を示す)をつけて呼ぶことで区別している。
キーワード
■韓国■姓■苗字
調査過程
- ■『現代韓国人名録』(日外アソシエーツ 1993)の人名一覧にあたると、姓の種類が少ないことと、李・金の姓が特に多いことがわかった。
- ■『ギネスブック』'96(ピーター・マシューズ編 騎虎書房 1995)にあたると、最も多い姓は「スミス(Smith)」で、韓国の姓についての記載はなかった。
- ■自館システムで「ミヨウジ」を辞書(件名)検索すると、『第三世界の姓名』(松本脩作,大岩川嫩編 明石書店 1994)に韓国を代表する姓は金で韓国人の22%が名乗っており、李が15%、朴が8.5%、崔が4.8%、鄭が4.3%と続くとあった。また、『名前と社会』(上野和夫,森謙二編 早稲田大学出版部 1999)にも同様の記載が見つかった。
- ■過去のレファレンスデータの中に韓国の姓に関する質問があったので、その時に提供した資料『もっと知りたい韓国』1(伊藤亞人編 弘文堂 1997)にあたると、金・李・朴の三姓で人口の45%を占めているという記載があった。
- ■自館システムで「カンコク」を辞書(件名)検索すると、多数ヒットしたため、直接書架へいき資料にあたった。すると、『韓国百科』(秋月望,丹羽泉編著 大修館書店 1996)にさらに詳しい説明が記載されていた。
参考資料
- ◆『韓国百科』(秋月望,丹羽泉編著 大修館書店 1996)
- ◆『名前と社会』(上野和夫,森謙二編 早稲田大学出版部 1999)
- ◆『第三世界の姓名』(松本脩作,大岩川嫩編 明石書店 1994)
- ◆『もっと知りたい韓国』1(伊藤亞人編 弘文堂 1997)
- ◆『韓国家族法入門』(有斐閣 1986)
調査にあたって
言われてみると確かに韓国人の名前というと「金」さん、「李」さんを思い浮かべるが、実際はどうであろうかと興味深く調査にあたった。「苗字」と「韓国」というキーワードから検索して、両方ともうまく回答に行き着くことができた。また、過去のレファレンスデータが有効に活用できた一例である。
作成日:2000年12月15日
鉄びんの手入れの方法と、特に内部にできたさびを落とす方法を知りたい。
回答
「月刊消費者」に鉄びんの手入れ方法が記載されている。インターネットの情報では、さびを落とすには、鉄びんを1~2回すすいで水を入れ、煎茶を湯飲み茶碗1杯分布に包んでお湯で20分くらい煮込むか、または米のとぎ汁を入れて煮込んでも良い。
キーワード
■鉄びん■さび
調査過程
- ■ある公立図書館から依頼のあったレファレンスで、「さび」に関してはある程度調査済みだった。依頼館で調査した以外の化学事典、さびに関する資料を調べてみる。しかしさびができる仕組みについての記述はあるが、さびを落とす方法はほとんど載っていない。「鉄」に関する資料にもあたるが、記載なし。また、鉄さびを落とす方法が鉄びんにも利用できるかどうかという問題点もある。
- ■「南部鉄器」について書かれている資料にも記載なし。茶器として使われることから、茶道具に関する本などを調査すると、『茶道具の世界』8釜 (淡交社 2000)のなかに茶湯釜の手入れ方法は記載されていた。
- ■民具の辞典などで調べるが、鉄びんの歴史や産地の紹介などしか記載されていない。「生活の知恵」として出ていないか、ということで家政学関係の資料を調べてみるが、こちらにも記載がない。
- ■インターネットでなにか手がかりをつかもうと、「鉄びん」「さび」をキーワードとして漢字、ひらがな、カタカナをそれぞれ組み合わせて検索したところ、南部鉄器のメーカーや工業組合のホームページ3つに、同じさび落としの方法が記載されていた。また同じくインターネットで、雑誌「月刊消費者」1999年5月号(日本消費者協会)に鉄びんの手入れ方法が記載されていることも分かった(当館所蔵あり)。
参考資料
- ◆「月刊消費者」1999年5月号(日本消費者協会)
- ◆『茶道具の世界』8釜 (淡交社 2000)
調査にあたって
この回答はインターネットで出てきた情報である。インターネットの情報には不確かなものもあるので、信頼度の高い複数のサイトから得られたものということで提供することにし、あわせて工業組合などの連絡先も提供した。インターネットの長所と短所をあらためて感じた。
作成日:2000年12月14日
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」は誰の句か。また何という本に載っているか。
回答
この句は、もともと谷木因が詠んだ「裏ちりつ表を散つ紅葉哉」という句を良寛が作り直したもので、『はちすの露』に収録されている。
キーワード
■良寛■谷木因(タニボクイン)■「はちすの露」■裏を見せ
調査過程
- ■『評解名句辞典』(麻生磯次 小高敏郎共著 創拓社 1990)など、俳句に関する辞典類を調べてみるが見つからない。また、季語の辞典で「紅葉」の項を探すが、この句は出ていない。
- ■質問者が高僧の言葉ではないかと話していたので、『仏教故事名言辞典』(須藤隆仙著 新人物往来社 1982)『仏教比喩例話辞典』(森章司編 東京堂出版 1987)などを調べてみるが、こちらにも記載されていない。
- ■『故事・俗信ことわざ大辞典』(尚学図書編集 小学館 1982)など、ことわざに関する辞典類を調べてみるが、見あたらない。
- ■インターネットで見つからないだろうかと、検索サイトで「裏」「表」「紅葉」をキーワードとして検索したところ、良寛の句として紹介しているサイトがあった。
- ■『良寛事典』(加藤僖一著 新潟日報事業社出版部 1993)や良寛の句集を見るが、記載されているものが見つからない。ようやく『校注良寛全句集』(谷川敏朗著 春秋社 2000)に、「諸本から削除した良寛の句」として記載されているのが見つかり、出典は貞心尼の『はちすの露』であることが分かった。
- ■『「はちすの露」を読む』(喜多上著 春秋社 1997)を見ると、この句は谷木因の「裏ちりつ表を散つ紅葉哉」によっているとの『良寛歌集』(角川文庫)の解説があり、病床にあった良寛が、他人の句を「自分らしく口あたりのよい明快な句に仕立てなおした」ものであると書かれていた。谷木因は美濃の俳人で、松尾芭蕉と親交があり、この句は元禄13年の『一幅半』に掲載されているとのことだった。
参考資料
- ◆『校注良寛全句集』(谷川敏朗著 春秋社 2000)
- ◆『「はちすの露」を読む』(喜多上著 春秋社 1997)
調査にあたって
インターネットに助けられることが多い。必ずしも正確な情報ばかりではないが、何か手がかりを得ようと検索してみることもある。今回は、「良寛の句だ!」と喜んだのもつかの間、さらなる調査に進むケースとなった。
作成日:2000年12月19日
ペットボトルは誰が発明したのか。またいつ日本に入ってきたか。
回答
アメリカ・デュポン社のナサニエル・ワイエスが1970年代半ばにPETという素材を発明し、ボトルとして採用された。市場に出回り始めたのは1977年頃。日本では1977年、しょうゆの容器として初めて採用された。清涼飲料水の容器として厚生省に認可されたのは1982年。
キーワード
■ペットボトル■容器■清涼飲料水
調査過程
- ■自館システムで「ペツトボトル」「ヨウキ」を書名検索・単語検索し、資料にあたってみるが、歴史については書かれていない。
- ■角度を変えて、リサイクルという面から調査してみると、『よくわかるプラスチックリサイクル』(草川紀久著 工業調査会 1999)という本の中に、日本ではしょうゆの容器として初めて使われたと記載されていた。
- ■ではプラスチックに関する本に出てこないかと調べてみると、『プラスチックの文化史』(遠藤徹著 水声社 2000)にアメリカのデュポン社で、1970年代半ばにナサニエル・ワイエスがPET(ポリエチレン・テレフタレート)という素材を発明したという記述があった。コカコーラ社とペプシ社が軽量で安全なボトルの開発を競い合った中からこの素材は誕生し、ボトルとして採用されたということがわかった。
- ■食品包装ということで、「包装」を自館システムで単語検索してみると、『食品巨大企業の包装開発』(三津義兼著 日本食糧新聞社 1991)という図書がヒットした。これには日本では1977年頃から市場に出始めたと書かれている。
参考資料
- ◆『プラスチックの文化史』(遠藤徹著 水声社 2000)
- ◆『よくわかるプラスチックリサイクル』(草川紀久著 工業調査会 1999)
- ◆『食品巨大企業の包装開発』(三津義兼著 日本食糧新聞社 1991)
調査にあたって
太陽熱温水器や風車、ロケットなど、ペットボトルを利用した工作などについてはたくさん本などがあるのだが、意外に歴史について書かれたものが少ないという印象だった。調査範囲を特定のテーマからそれに関連するテーマ、または包括するテーマへと広げていく、という方法で得られた調査結果だった。発明されたのが1970年代というところまでしか判明しなかったところが残念である。
作成日:2000年12月8日
『源氏物語』「胡蝶」に出てくる「太田の松」はどこにあるか。
回答
美濃、遠江、また未詳など諸説あり、はっきりとは分っていない。
キーワード
■「源氏物語」■太田の松■胡蝶
調査過程
- ■『源氏物語評釈』5(玉上琢弥著 角川書店 1978)を見てみると、歌枕であると書かれてはいるが、それ以上の記述はない。
- ■『新編日本古典文学全集』22(小学館 1996)を見てみると、「「太田の松」は兼盛集にもみえる。歌枕だが、詳細は未詳」とある。
- ■『歌ことば歌枕大辞典』(久保田淳 馬場あき子共編 角川書店 1999)『歌枕歌ことば辞典』(片桐洋一著 笠間書院 1999)など歌枕に関する事典や『日本歌語事典』(佐佐木幸綱ほか編 大修館書店 1994)などを見るが、記載されていない。
- ■『源氏物語図典』(秋山虔,小町谷照彦共編 小学館 1997)には「美濃か」と書かれており、確定はしていない。
- ■『源氏物語事典』上(池田亀鑑編 東京堂出版 1973)では、『類字名所外集』で「「未勘国」とし、「遠江周智郡太田於保田」と注する(和名抄)が、確証はない」と記している。また『和名抄』では「おほた」はこの他に6カ所あるということである。
- ■『古代地名大辞典』本編(角川書店 1999)では「太田郷」「太田荘」という地名は全国各地に多数あり、特定するのは難しいことがわかる。
参考資料
- ◆『源氏物語評釈』5(玉上琢弥著 角川書店 1978)
- ◆『源氏物語事典』上(池田亀鑑編 東京堂出版 1973)
- ◆『源氏物語図典』(秋山虔,小町谷照彦共編 小学館 1997)
- ◆『新編日本古典文学全集』22(小学館 1996)
調査にあたって
この「太田の松」は「こひわびぬ太田の松の大方は色に出でてやあはむといはまし」という歌を引き合いに出して書かれているということである。歌意は「恋しくてたまらないから、はっきりと逢いたいとあの人に言ってみたい」(『新編日本古典文学全集』22)。『河海抄』や『花鳥余情』ではこの歌は『六帖』にあるとしているが(この2つを確認したところ、たしかにそう書かれている)、現存する『六帖』本編には載っていないということである(『源氏物語事典』上)。「太田の松」はどこにあるかを本格的に研究してもおもしろいのではないかと思う調査結果だった。
作成日:2000年12月7日
日本が世界銀行から受けた融資を返済しおわった日を知りたい。
回答
日本は1953年から計31件、約8億6300万ドルの融資を受けた。この返済が終了したのは1990年7月15日。
キーワード
■世界銀行■国際復興開発銀行■融資
調査過程
- ■自館システムで世界銀行に関する資料を探すと、『世界銀行』(鷲見一夫著 有斐閣 1994)『世界銀行は地球を救えるか』(スーザン・ジョージ,ファブリッチオ・サベッリ共著 朝日新聞社 1996)などがヒットした。これらの資料や『戦後史大事典』(三省堂 1995)などにあたってみるが、日本が受けた融資の返済完了がいつか、ということは記載されていない。「世界銀行」は正式名称が「国際復興開発銀行(IBRD)」で、主に戦争により破壊された加盟国の復興・開発を援助するための国連機関であるとのこと。
- ■『国際機関総覧』1996年版(外務省編 日本国際問題研究所 1996)『国際機関ってどんなところ』(原康著 岩波書店 1994)によると、日本が世銀へ加盟したのは1952年8月14日。1953年から計31件、8億6300万ドルを借り入れ、電源開発資金、東海道新幹線や黒部第四ダムの建設など、電力・鉄鋼・鉄道等の分野で使用した。完済は1990年7月ということが分かったが、日付までは分からない。
- ■完済の年・月まで判明したので、あとは年鑑類にあたる。『朝日年鑑』1991(朝日新聞社 1991)の年表部分に記載があり、7月15日ということが分かった。また『読売年鑑』(読売新聞社)1957年版から1967年版に、全てではないようだが日本の借款額が載っている。
参考資料
- ◆『国際機関総覧』1996年版(外務省編 日本国際問題研究所 1996)
- ◆『国際機関ってどんなところ』(原康著 岩波書店 1994)
調査にあたって
年・月はともかく、日付まで分かるかどうかと半信半疑で調査を始めた。『朝日年鑑』などの年鑑類は、索引がきっちりと作られており、年表中の事項まで調べることができるので大変便利である。なお、『国際機関総覧』には日本の借入額が86億3000万ドルと記載されているが、同書中の他の部分や別の資料を見てみると、8億6300万ドルが正しいようである。
作成日:2000年12月7日
「気比丸」触雷沈没事故はいつのことか。
回答
昭和16(1941)年11月5日、午後10時すぎに事故は発生した。
キーワード
■気比丸(ケヒマル)■海難事故■機雷■船舶
調査過程
- ■『国史大辞典』『日本史大事典』など日本史に関する辞典類や、百科事典を調べるが記載されていない。
- ■触雷(艦船が機雷に接触すること)という言葉から、戦前または戦時中に起こった事故ではないだろうかと『20世紀年表』を調べるが記載なし。同様に『大正ニュース事典』『昭和ニュース事典』『昭和災害史事典』『昭和・平成史年表』にも載っていない。
- ■『最新昭和史事典』(毎日新聞社 1986)に記載があった。これによると、「昭和16(1941)年11月5日午後10時過ぎ、北朝鮮航路の日本海汽船「気比丸(けひまる)」が、清津港を出て約170キロの日本海上で左舷に触雷、同39分「この波ではだめだ」の無電を最後に消息を絶った。乗客347人、乗組員89人、計436人中280人は救助されたが、156人が死亡・行方不明となった。同船は・・・(中略)・・・流線型の船体は優美で"日本海の女王"と呼ばれていた」とある。
- ■「東京日日新聞」(現:毎日新聞)のマイクロフィルムを見ると、昭和16年11月7日づけに大きく記事が掲載されていた。記事には、気比丸(4,522トン)は敦賀へ向かう途中の5日午後10時13分、清津から85マイル、北緯40度40分、東経131度の海上で、ソ連製らしい機雷に触れ沈没、「乗船全員救助の見込み」と書かれていた。
参考資料
- ◆『最新昭和史事典』(毎日新聞社 1986)
調査にあたって
新聞にはあれほど大きな記事が載っていたのだが、事典類になかなか見つからず、調査した中では1冊の事典にしか記載がなかった。それも事件・事故やニュースに関する事典ではなく、風俗や・流行や発明、冒険談など、幅広いジャンルを扱った小さな事典だったので、大変意外であった。なお、東京日日新聞のその後何日間分かを見ると、事故の経緯や詳細などがさらに記載されている。
作成日:2001年1月17日
ハインリッヒの法則とはどういうものか。確か医学関係用語であったと思う。
回答
ハインリッヒの法則とは、1件の重傷事故の背景には29件の同種の軽傷事故、300件の傷害のない事故が存在するという法則です。この法則は、アメリカの労災保険会社に勤めていたH.W.ハインリッヒ氏が徹底的な追跡調査と統計の上に確立したものです。
キーワード
■ハインリッヒの法則■災害■事故
調査過程
- ■『世界大百科事典』(平凡社 1988)や『大日本百科事典』(小学館 1970)などの事典類にあたるが、ドイツ国王のハインリッヒについての記載しか見つからない。
- ■医学用語であるという情報から、『医科学事典』(講談社 1983)や『医学大辞典』(南山堂 1998)等の医学関係の事典類にあたるが、記載はなかった。
- ■自館システムで「ハインリッヒ」を書名、単語検索をしてみるが該当するような事項は見つからない。辞書(件名)検索をすると、「ハインリッヒ」とつく数人の著者の作品が出てきた。その中の医学に関係する人物の著作にあたるが、該当するような記載は見つからない。
- ■インターネットで検索してみると、「ハインリッヒの法則」とは、労働災害、工業災害関係の言葉であることが判明した。
- ■労働災害、工業災害関係の本にあたると、『工業安全』(実教出版 1998)に、この法則についての説明が載っていた。
- ■もう一度、「H.W.ハインリッヒ」で辞書(件名)検索をしてみると、彼の著作が収められている『産業災害防止論』(海文堂 1982)を所蔵していることが判明した。さらに、医学関係でも使用されているか調査し、『医療事故』(山内桂子 山内隆久著 朝日新聞社 2000)により、この言葉が使用されていることを確認した。
参考資料
- ◆『工業安全』(実教出版 1998)
- ◆『産業災害防止論』(海文堂 1982)
- ◆『医療事故』(山内桂子・山内隆久著 朝日新聞社 2000)
- ◆『災害事故トラブル解決大百科』(講談社 1982)
調査にあたって
*YAHOO!JAPAN(http://www.yahoo.co.jp/)*goo(http://www.goo.ne.jp/)調査に行き詰まったときなどは、検索エンジンにそのまま質問内容を入力してみるのも有効な手だてとなります。
作成日:2001年4月29日
明治天皇が初めて洋服を作ったのはいつか
回答
『明治天皇紀』第2によると、明治5年4月7日、「横浜より洋服裁縫師(外国人)の宮内省に至れるを召し、内密に聖体を度らしめたまふ」とあり、同年5月23日の大阪・中国・西国御巡幸のおりに召されたとある。また、『日本服制史』に、明治3年春、山城屋和助に天皇御召服調達の命が下り、外人ブランを招聘し、黒ラシャで長マンテルと半マンテルを仕立てて納めたと『日本洋服沿革史』で伝えていると記載されていたが、公の記録は残っていない。
キーワード
■明治天皇■洋服■服装
調査過程
- ■『皇室事典』(村上重良編 東京堂出版 1980)、『皇室の百科事典』(歴史百科編集部編 新人物往来社 1988)などの皇室関係資料や明治天皇の伝記資料にあたるが該当するような記載事項は見つからない。
- ■次に、『図説明治事物起源事典』(湯本豪一著 柏書房 1996)や『明治ニュース事典』(毎日コミュニケーションズ 1983)などの明治関係資料にあたるが記載なし。
- ■服装関係の資料にあたると、『衣服で読み直す日本史』(武田佐知子著 朝日新聞社 1988)に、「明治天皇が人前に姿を現したのは、明治3年、駒場野(東京都目黒区)での閲兵の時であったが、この時はまだ、お引直衣の姿であった。しかし宮内省ではすでに同年、天皇の洋服を手配していた」という記述があった。
- ■『明治天皇紀』第2(宮内庁編 吉川弘文館 1969)の明治3年の項目にあたるが、上記に関連するような記事は見つからない。
- ■もう一度服装・服飾史関係の図書を調査すると、『日本服制史』中(太田臨一郎著 文化出版局 1989)の「天皇御服」の章に、回答した内容の事柄が『明治天皇紀』第2に記されているとあった。
- ■『明治天皇紀』第2の明治5年4月7日と5月23日に記載があり、5月23日に「天皇の該正服を著したまえるは是れを以て始とすと云ふ」という記述があった。
参考資料
- ◆『日本服制史』中(太田臨一郎著 文化出版局 1989)
- ◆『明治天皇紀』第2(宮内庁編 吉川弘文館 1969)
調査にあたって
*『皇室の百科事典』(歴史百科編集部編 新人物往来社 1988)歴代天皇一覧、天皇陵一覧、皇室用語集から、皇室の周辺の事柄までがわかる皇室について調べるのに便利な一冊です。*宮内庁のHP(http://www.kunaicho.go.jp)現在の皇室について知るのに有益です。
作成日:2001年5月22日
「田の面に秋の風落ちて 野辺の琥珀を照らすかな 刈り干せ刈り干せ稲の穂を」という詩の全文と作者が知りたい。
回答
島崎藤村の『落梅集』に収録された「労働雑詠」の「朝」「昼」「夜」のうちの「昼」にあたる詩。
キーワード
■詩■「労働雑詠」■島崎藤村■田の面に秋の風落ちて
調査過程
- ■判明している詩の一部分の言葉から検索できる資料として、『日本秀歌秀句の辞典』(小学館 1995)にあたるが、該当するような詩は収録されていない。
- ■質問者がこの詩を初めて目にしたのは、昭和19年10月末、中国広西大学構内であったということから、明治から戦前までに絞って資料にあたることにした。『鑑賞現代詩』1~3(筑摩書房 1982)、『集成・昭和の詩』(大岡信編 小学館 1995)等にあたるが、手がかりはつかめない。
- ■中国で見た詩であるということから、『中国名詩選』(松枝茂夫編 岩波書店 1983)『漢詩をよむ秋の100選』(石川忠久著 日本放送出版協会 1996)『中国名詩鑑賞辞典』(細田三喜夫編 東京堂出版 1977)等にあたるが、見つからない。
- ■絞り込んでいくような手がかりが全く見つからないため、インターネットで詩中の語句等を検索してみるが、何も引っかかってこない。
- ■詩の内容から検索してみることし、「農業」「農民」「詩」というキーワードに該当する資料を探してみる。『日本農書全集』(農山漁村文化協会 1982)、『農民詩紀行』(松永伍一著 日本放送出版協会 1974)にあたるが、該当する詩は見つからない。
- ■『日本農民詩史』上(松永伍一著 法政大学出版局 1975)により、島崎藤村の『落梅集』に収録されている詩であることが判明する。『藤村全集』第1巻(筑摩書房 1976)で確認をする。
参考資料
- ◆『日本農民詩史』上(松永伍一著 法政大学出版局 1975)
- ◆『藤村全集』第1巻(筑摩書房 1976)
調査にあたって
詩、和歌、俳句などの作者は?全文は?と聞かれるときは有名なものであることが、最も多いいと考えられる。そこで、まずは名歌辞典の類にあたってみましょう。*『日本秀歌秀句の辞典』(小学館 1995)万葉時代から現代までの、短歌・俳句・詩を解説しています。*『通解名歌辞典』(武田祐吉 吉田知雄共著 創拓社 1990)万葉集から近代歌人までの名歌を解釈、鑑賞しています。*『評解名句辞典』(麻生磯次 小高敏郎共著 創拓社 1990)芭蕉から近代俳人までの名句を解釈、鑑賞しています。*『日本名句集成』(飯田龍太ほか編 学灯社 1991)中世期の連歌の発句から現代までの名句の句意を明らかにし、鑑賞を施しています。巻末には、収載俳人の解説が収録されています。
作成日:2001年7月10日
所有している柄鏡に「岩井丹波守正保」とあるが、これは人物名なのか。また、何を意味しているのかを知りたい。この鏡には、松・竹・梅や鶴・亀の絵があり、「高砂」という文字が中央に描かれている。
回答
これは、鏡師の名前と思われます。柄鏡は、室町時代の末期から製作されていたようですが、文字入り鏡は主として江戸時代後期の所産です。桃山時代、織田信長の手工芸者の生産意欲の高揚促進を目的とした政策の一つで ある「天下一」の称号公許制度により、鏡に「天下一」の銘が施されるようになりました。江戸時代には鏡師全員といっても過言でないほど使用するようになったため、天和2年(1682)に、「天下一」の使用禁止令が出されました。そこで、「天下一」の代わりに、石見守、肥前守といった受領国名を使用し始めました。江戸後期になると、作者銘は「橋本肥後守政幸」というように、姓・守名・名乗という長いものが好んで使用されました。
キーワード
■和鏡■柄鏡■鏡師■岩井丹波守正保
調査過程
- ■「丹波守」とあるので丹波国の国主であろうと見当を付けて『三百藩藩主人名事典』第3巻(新人物往来社 1987)にあたるが、岩井という人物は記載されていない。
- ■場所も特定せず、時代も広げて、『鎌倉・室町人名事典』(安田元久編 新人物往来社 1985)、『戦国人名事典』(阿部猛編 新人物往来社 1987)、『江戸幕臣人名事典』(熊井保編 新人物往来社 1997)、『幕末維新人名事典』(宮崎十三八 安岡昭男編 新人物往来社 1994)等にあたるが、該当するような記述は見つからない。
- ■次に、『江戸時代役職事典』改訂新版(川口謙二ほか編 東京美術 1992)にあたるが、役職の説明のみで人物の記述はなかった。
- ■『江戸幕府役職集成』改訂増補版(笹間良彦著 雄山閣 1976)や『近世武家官位の研究』(橋本政宣編 続群書類従完成会 1999)にあたり、丹波守という官名を持っている人物を調査するが、岩井という人物は見つからない。
- ■鏡から調査し直すことにし、『国史大辞典』(吉川弘文館 1983)で「柄鏡」について調べると、「江戸時代になると和鏡の主流を占めるようになり、」「柄鏡の出現とともに鏡師の姓名が鏡背文様の傍らに鋳出されることが多くなった」とあった。
- ■自館システムで「カガミ」で辞書(件名)検索するが、大半が「古鏡」についての資料で、江戸時代頃の鏡について記述されているものはなかった。
- ■さらに、「ワキョウ」で書名検索してみると、『和鏡の文化史』(青木豊著 刀水書房 1992)に、江戸時代の鏡のことや「天下一」の称号についてなどの詳しい解説が載っていた。また、この図書の件名「カガミーレキシ」で検索すると、『日本人と鏡』(菅谷文則著 同朋舎出版 1991)にも記述があることが判明した。
参考資料
- ◆『和鏡の文化史』(青木豊著 刀水書房 1992)
- ◆『日本人と鏡』(菅谷文則著 同朋舎出版 1991)
- ◆『国史大辞典』3(吉川弘文館 1983)
調査にあたって
『国史大辞典』(吉川弘文館 1979~1997)日本史を対象とする調査では、まず最初にあたる一冊。日本歴史全域はもちろん、人類学、民俗学・民族学、国文学などの調査にも役立ちます。
作成日:2001年5月22日
世界各国の首都を表す"3文字(スリーレター)コード"を知りたい。
回答
都市名の3文字コード(シティコード)の一覧表が『海外旅行ビジネス用語事典』増補・改訂(トラベルジャーナル 1986)、『最新・国際旅行マニュアル』増補改訂3版(大沢栄美著 創成社 1992)、インターネットのホームページ「電脳旅行者」(http://www3.meshnet.or.jp)に記載あり。
キーワード
■3文字コード■シティコード■都市
調査過程
- ■依頼者側では『最新世界の国ハンドブック』(辻原康夫編 三省堂 1998)、『世界の国旗』(森重民造著 偕成社 1994)、地図帳、略語辞典類は調査済みとのこと。
- ■『最新世界各国要覧』9訂版(東京書籍 1998)、『世界大百科事典』別巻「百科便覧(3訂版)」(平凡社 1998)を見ると、世界各国の国名とその3文字コードの記載はあるが、首都名については名前の記載のみで、3文字コードについては記載なし。
- ■『JISハンドブック 1996』35巻「標準化」(日本規格協会 1996)を見ると、国名コードについては、ISO(国際標準化機構)が制定した国名表示用コードに基づいて作成されたコードがあるが、都市名については記載なし。
- ■インターネットの検索エンジン「Infoseek Japan」(http://japan.infoseek.com/)で「スリーレターコード」を検索すると、「電脳旅行者」(http://www3.meshnet.or.jp)の「海外都市コード表」がヒット。都市名の3文字コードの記載あり。
- ■旅行業社などで使う用語であるとわかったので『海外旅行ビジネス用語事典』増補・改訂、『最新・国際旅行マニュアル』増補改訂3版(大沢栄美著 創成社 1992)を見ると、都市名の3文字コードの記載あり。
参考資料
- ◆『最新・国際旅行マニュアル』増補改訂3版(大沢栄美著 創成社 1992)
- ◆『海外旅行ビジネス用語事典』増補・改訂(トラベルジャーナル 1986)
調査にあたって
都市名の3文字コードは、飛行機の中にあるパンフレットの航空路線図などに、「TYO」(=東京)などと書かれているものだ。しかし、調査の当初にはそのことに思い当たらなかったため、どの分野の資料をあたればいいのかわからず、地理的な資料からあたってみたが記載がなかった。以前読んだ「図書館雑誌」(日本図書館協会)平成9(1997)年12月号の記事(「図書館員のためのステップアップ専門講座」第8回)で国名の3文字コードがISOやJISで決められていることがわかっていたので、都市名についても標準があるだろうと『JISハンドブック』を見たが、こちらにも記載がなかった。インターネットで検索すると、旅行業社などで使う用語であることがわかった。正確な情報提供のためには、情報の信頼性の判断、情報源の評価も必要となる。そこで、インターネット情報については、できるだけ図書資料で裏付けを取るようにしている。
作成日:1999年6月24日
アンデスメロンの名前の由来を知りたい。
回答
アンデスメロンは、1977(昭和52)年にサカタのタネが発売した品種。つくりやすい、多収穫、手頃な値段で売れる、つまりつくって安心、売って安心、買って安心、とまさに三拍子そろった優秀作品であり、"アンシンデス"を縮めて「アンデスメロン」とネーミングされた。
キーワード
■アンデスメロン■メロン■野菜■サカタのタネ
調査過程
- ■『食材図典』(小学館 1995)の「メロン」の項を見る。「ハウスメロン(ネット型)」の解説から、1960年代後半から様々な組み合わせの交配が行われ、1970年代後半になりアムス、アンデスが普及したことがわかる。名前の由来については記載なし。
- ■『野菜園芸大百科』4巻 メロン・スイカ(農文協 1989)を見る。「作型別品種特殊性一覧2ハウスメロン(ネット型)」の一覧表により、アンデスメロンは1977年に発売、「サカタのタネ」が育成元だということがわかる。
- ■自館システムで「サカタノタネ」で辞書(件名)検索。『世界に夢をまく「サカタのタネ」』(鶴蒔靖夫著 IN通信社 1991)を所蔵していることがわかる。
- ■『世界に夢をまく「サカタのタネ」』の第1章「野菜が食卓の主役になる時代」に品種名の由来について記述あり。
参考資料
- ◆『世界に夢をまく「サカタのタネ」』(鶴蒔靖夫著 IN通信社 1991)
調査にあたって
語源事典などでは調べられない事柄なので、まず食物としてのメロンを考えたが、品種改良の方面からアプローチした方がよいのではと思い、果樹園芸事典を見た。この品種をつくったのが「サカタのタネ」だとわかり、社史のようなものがあればと思い件名検索をした。調査の前には、アンデス地方に由来した名前かと思ったので、思わぬ結果に驚いた。
作成日:1997年10月15日
"クリスマスカラー(赤、緑)"の由来が知りたい。
回答
クリスマスカラーの赤と緑は、昔のブリトン人や、ローマの西洋ヒイラギの人気を反映している。西洋ヒイラギは冬の枯死を生き延びる並外れた力が、人々の家庭にも同様の力を与えてくれるという期待から、冬の装飾品として一般に用いられた。キリスト教のシンボルとなった理由は、西洋ヒイラギの低木が旧約聖書のホウキギにたとえられることと、とげがあって血のように赤い実のなることから、イエスが最後にかぶった冠を象徴することによる。
キーワード
■クリスマスカラー■色彩■ヒイラギ
調査過程
- ■『原色色彩語事典』(香川勇 長谷川望編著 黎明書房 1988)で「赤」と「緑」の項を見る。赤は「活動と興奮のシンボル」、緑は「疲労と鎮静のシンボル」とあり、それぞれ解説があるが、クリスマスについては記載なし。
- ■『英語イメージ辞典』(赤祖父哲二編 三省堂 1986)で「red」と「green」の項を見る。redは「血と火の色キリストの受難(passion)、信仰、愛、殉教をあらわす。」などの記述、またgreenは「若さと嫉妬と魅力。」などの記述があるが、クリスマスについては記載なし。
- ■『キリスト教大事典(改訂新版)』(教文館 1977)の「クリスマス」の項を見る。クリスマスカラーについては記載なし。
- ■『イギリス祭事・民俗事典』(チャールズ・カイトリー著 渋谷勉訳 大修館書店 1992)の「christmas」の項を見る。ヒイラギの赤い実はキリストの血の滴りを象 徴するなどの記述があるが、クリスマスカラーについての記述はなし。
- ■「NDC380 風俗習慣.民俗学.民族学」の書架に行く。『アメリカ風俗・慣習・伝統事典』(ダッド・トレジャ著 北村弘文訳 北星堂書店 1992)を見る。「クリスマスの赤や緑」の項にクリスマスカラーについての解説あり。
参考資料
- ◆『アメリカ風俗・慣習・伝統事典』(ダッド・トレジャ著 北村弘文訳 北星堂書店 1992)
調査にあたって
当初は赤と緑の色彩にこだわって、色そのものの持つイメージが関係するのかと考えたのだが、回答が得られなかった。そこでクリスマスという行事を考え、キリスト教の事典を見たが記載がなく、結局、祭事・民俗関係の本に記載があった。
作成日:1997年11月8日
"ドル"の記号($)の由来を知りたい。
回答
ドルの記号は、※中世期に銀で通貨を作ったのでsilverの頭文字、※ラテン語のsolidus(ローマの金貨)の頭文字、※スペインのpesoのPとSを重ねたもの、※スペインのpesoが8realsであることから8のかえ字、※the United States of AmericaのUとSを重ねたもの、など様々な説がある。
キーワード
■ドル■記号■通貨
調査過程
- ■『世界大百科事典』20巻(平凡社 1988)で「ドル」の項を見る。通貨としてのドルの役割や歴史についての記載はあるが、記号については記載なし。
- ■『商用単位事典』(篠崎晃雄著 実業之日本社 1974)を見る。「第七章 世界の通貨と国名」の「貨幣の単位名称」の項に「silverの頭字である」と記載あり。
- ■自館システムで「ドル」を単語検索。『ドルの歴史(NHKブックス21)』(牧野純夫著 日本放送出版協会 1975)という本を所蔵していることがわかる。『ドルの歴史』の「革命とコンチネンタル紙幣」の項に「スペインドルにつながるもの」と記載あり。
- ■『英語語源辞典』(寺沢芳雄ほか編 研究社 1997)の「dollar」の項に「スペインのpesoが8realsに当たることから、8のかえ字との説が有力」と記載あり。
- ■『図詳ガッケン・エリア教科事典』16巻 英語(学研 1977)に「ラテン語のsolidus(ローマの金貨)の頭文字に由来するという説や、peso(ペソ)のpとsを重ねたものという説などがある。」と記載あり。
- ■『小学館全教科学習大百科事典』14巻 英語(小学館 1984)に「the United States of America」のUとSの文字を重ねたものという説、またスペインのドル にちなむという説が記載されていた。
参考資料
- ◆『商用単位事典』(篠崎晃雄著 実業之日本社 1974)
- ◆『図詳ガッケン・エリア教科事典』16巻 英語(学研 1977)
- ◆『英語語源辞典』(寺沢芳雄ほか編 研究社 1997)
- ◆『ドルの歴史(NHKブックス21)』(牧野純夫著 日本放送出版協会 1975)
- ◆小学館全教科学習大百科事典』14巻 英語(小学館 1984)
調査にあたって
最初は、貨幣単位という視点から探そうとしたが、英語の事典類の方がいいのではないかと気付き、英語の語源事典にあたった。中学生の英語の参考書などに「コラム」とか「豆知識」のような形で触れられているのではないかとも考え、子ども室にある小学生・中学生向けの学習百科事典を見た。由来については諸説あり、特定はできなかった。
作成日:1998年2月18日
カナダの"バンクーバー"を漢字で書くとどのような表記になるか。
回答
「温古華」または「晩香坡」と表記。
キーワード
■バンクーバー■カナダ■地名■あて字
調査過程
- ■『宛字外来語辞典』(宛字外来語辞典編集委員会編 柏書房 1979)の索引で「バンクーバー」を探すが記載なし。
- ■『あて字用例辞典』(杉本つとむ編 雄山閣出版 1994)の「外国名=地名あて字一覧」で「バンクーバー」を見る。「温古華」と記載あり。
- ■『世界地名大辞典』中巻(小林房太郎著 南光社 1933)の「バンクーバー」の項を見る。「晩香坡」と記載あり。
参考資料
- ◆『あて字用例辞典』(杉本つとむ編 雄山閣出版 1994)
- ◆『世界地名大辞典』中巻(小林房太郎著 南光社 1933)
調査にあたって
最初にあて字の辞典を見たが、古い地名辞典にも漢字での表記があるのではないかと思い、『世界地名大辞典』も見た。その結果、「温古華」という表記のほかに「晩香坡」という表記が見つかった。
作成日:1997年8月5日
"いとこ"の子どもを何と言うか。
回答
従姪(ジュウテツ)、従兄子(ジュウケイシ)などという。
キーワード
■従姪■従兄子■親族■血族
調査過程
- ■『世界大百科事典』14巻(平凡社 1988)より「親族」の項目で検索するが、従兄弟までしか記載なし。『大日本百科事典』10巻(小学館 1978)より「親族」の項目で検索するが、やはり従兄弟までしか記載なし。
- ■『図解による法律用語辞典(改訂新版)』(自由国民社 1996)の索引から「親族法」を検索、「親族と親等」という図に漢字で「従姪」と記載あり。しかし、ふりがなはなし。
- ■『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店 1984)により「従」の項で「従姪」を検索する。「ジュウテツ いとこの子」とあり。また、ほかに「従兄子 いとこの子」、「従内兄 父の女いとこの子で己よりも年上の者」、「従内兄弟 父の女いとこの子」、「従表姪 母方のいとこの子」などの記載があった。
参考資料
- ◆『図解による法律用語辞典(改訂新版)』(自由国民社 1996)
- ◆『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店 1984)
調査にあたって
まず百科事典で何か手がかりが得られないかと、いくつかの百科事典にあたってみるが記載がなかった。次に法律に「親族法」があるので『図解による法律用語辞典(改訂新版)』(自由国民社 1996)等に関連事項で載っていないかあたってみる。するとそこに予想どおり図で親族の説明があり、「従姪」とあるがふりがながなく、何と読むかわからなかった。そこで漢和辞典で調べると、読みと意味を確認できた。「従姪」に対して「従甥」という言葉もあるのではないかと思ったが「従甥」は「姉妹の子」という意味だった。『図解による法律用語辞典(改訂新版)』記載の図には「従姪」しか記載がなかったが、『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店 1984)には、その他にも、いとこの子供に当たるものを呼ぶ名称の記載がいくつかあった。
作成日:1998年3月28日
キャビアの代用品として使われる"ランプフィッシュ"とはどのような魚か。できれば絵か写真を見たい。
回答
ランプフィッシュ(lumpfish)は、キクロプテルス属だんごうお科キクロプテルス・ルンプスの英語名。北大西洋両岸の冷水域、イギリスから北極海、ニューファンランドからニュージャージー州に分布。体高は高く、体はこぶ上の円形小突起物が4並列。第1背びれは骨質きょく状のみが並ぶ。腹びれは大きな吸盤となる。体色は青灰色または黄褐色。体長はメスの60cm、オスは51cm。水深300m位の底生性。甲殻・クラゲ・魚類を食べる。主にくん製、卵はキャビア風に加工。カラーイラストが『原色魚類大図鑑』(北隆館 1987)にあり。
キーワード
■ランプフィッシュ■キクロプテルス・ルンプス■キャビア■魚
調査過程
- ■『魚の事典』(能勢幸雄ほか編 東京堂出版 1989)の索引で「ランプフィッシュ」を引く。「キャビア」の項に、「北欧ではランプフィッシュ、アメリカではコイの卵を用いて類似の製品がつくられている」と記載あり。
- ■『原色魚類大図鑑』(北隆館 1987)の和名索引で「ランプフィッシュ」を、学名索引で「L」と「R」の部分を探すが、該当なし。
- ■『料理食材大事典』(主婦の友社 1996)の「ランプフィッシュ」の項に「ダンゴウオ科の海魚。卵巣をキャビアの代用品に加工する」と記載あり。ダンゴウオ科の魚だとわかる。
- ■もう一度『原色魚類大図鑑』で、「かさご目だんごうお科」の魚を一つ一つを見ていくと、「キクロプテルス ルンプス」の項に「(英)lumpfish」と記載、カラーイラスト(図版)あり。
参考資料
- ◆『料理食材大事典』(主婦の友社 1996)
- ◆『原色魚類大図鑑』(北隆館 1987)
調査にあたって
魚に関する質問だったので最初に魚類図鑑を見たが、和名・学名ともに不明だったため見付けられなかった。『料理食材大事典』によりダンゴウオ科と判明し、見付けることができた。「キャビアの代用品」ということだったので食材事典を見たが、lumpfishの綴りがわかれば、大きな英和辞典でもダンゴウオ科の魚とわかり、同じように探すことができた(ハンディな英和辞典には記載なし)。
作成日:1998年2月18日
竜安寺にある絵銭の形をした手水鉢に書かれている文字の意味を知りたい。
回答
石造手水鉢は、円い石の中央に口を書き、「吾唯知足(ワレタダタルコトヲシル)」の4字を図案化している。寺伝によると「仏遺教経」の「知足(分に安んじてむさぼらない)の者は、たとえ貧しいといえども富めり。不知足の者は富めりといえども貧しい」とある教えを採り入れたもの。
キーワード
■竜安寺■手水鉢■徳川光圀■吾唯知足
調査過程
- ■『造園修景大事典』8巻(造園修景大事典編集委員会編 同朋舎出版 1980)の「竜安寺庭園」の項を見るが、枯山水について記述のみで手水鉢についての記述なし。また5巻で「手水鉢」の項を見るが、竜安寺の手水鉢につての記述なし。
- ■『京都大事典』(佐和隆研ほか編 淡交社 1984)の「竜安寺」の項を見る。「方丈の北東に茶室蔵六庵があり、その前に水戸光圀寄進と伝えられる「吾唯知足」と刻んだ石造手水鉢がある。」と記載あり。
- ■自館システムで「リヨウアンジ」を辞書(件名)検索する。『竜安寺石庭』(大山平四郎著 講談社 1970)と『宇宙の庭』(明石散人,佐々木幹雄共著 講談社 1992)がヒットするが、どちらも枯山水の石庭について書かれたもの。『宇宙の庭』に手水鉢の文字の読みについて「ワレタダタルヲシル」との記述があるのみ。
- ■「NDC291 地理.地誌.紀行(日本)」の書架に行く。旅行ガイドなどで、竜安寺について詳細な記述があるものを探す。
- ■『昭和京都名所図絵』4巻(竹村俊則著 駸々堂出版 1983)に、「吾唯知足」の意味の記述あり。
参考資料
- ◆『昭和京都名所図絵』4巻(竹村俊則著 駸々堂出版 1983)
調査にあたって
竜安寺の庭園について書かれているものは、枯山水の石庭についての記述ばかりで、手水鉢について、その言葉の意味まで書かれているものは、なかなか見つけられなかった。図書館に寄せられるレファレンスは、このようにレファレンス・ツールでは回答できないものが多く、参考文献も見つけられないまま、書架で直接探すことも多い。
作成日:1997年8月15日
大正年間の朝日新聞社の航空事業で、日本初の訪欧飛行に成功した飛行機の名前や形と、そのとき行われた懸賞について知りたい。
回答
1925(大正14)年、朝日新聞社が日本初の訪欧飛行に成功。機種はフランス製のブレゲー19型一半葉機2機、名称は一般から募集したは「初風」、「東風(コチカゼ)」と命名。7月25日東京発、シベリア経由でモスクワ、ベルリン、パリ、ロンドンを訪問した後、10月27日終点のローマに到着。総飛行距離16,565km、総飛行時間110時間50分。乗員は「初風」が安辺浩操縦士、篠原春一郎機関士。「東風」が河内一彦操縦士、片桐庄平機関士。懸賞については、朝日新聞社広報部を紹介。
キーワード
■航空機■朝日新聞社■初風■東風
調査過程
- ■自館システムで「アサヒシンブンシヤ」を辞書(出版者)検索し、朝日新聞社の社史を探す。『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』(朝日新聞百年史編修委員会編 朝日新聞社 1991)を所蔵していることがわかる。
- ■『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』に航空事業についての記載あり。大正14年に行われたこと、機種、名称などがわかる。懸賞については記載なし。
- ■『日本航空機大図鑑』上巻(小川利彦著 国書刊行会 1993)を見る。大正13年の項に「朝日新聞訪欧連絡使用飛行機「初風」,「東風(コチカゼ)」号長距離連絡機(中島ブレゲー19A2改)」の解説とカラーイラストあり。
- ■「538 航空宇宙工学」の書架に行き、古い飛行機の写真が掲載されていそうな本を探す。『日本の名機百選』(木村秀政,田中祥一共著 中日新聞本社 1985)に写真、解説あり。
- ■懸賞について、朝日新聞社に電話にて問い合わせる。広報部の方より「非常に興味深い内容なので、その方と直接連絡を取りたい」とのこと。その旨依頼者に連絡し、朝日新聞社に連絡をしてもらうこととした。
参考資料
- ◆『日本の名機百選』(木村秀政,田中祥一共著 中日新聞本社 1985)
- ◆『朝日新聞社史 大正・昭和戦前編』(朝日新聞百年史編修委員会編 朝日新聞社 1991)
- ◆『日本航空機大図鑑』上巻(小川利彦著 国書刊行会 1993)
調査にあたって
依頼者の方は、「図書館でこんなこと調べてもらえるかしら。」と当初心配な様子だった。懸賞については所蔵資料では回答できなかったので、朝日新聞社に問い合わせをした。電話で調査をお願いした朝日新聞社の広報部の方は、子どものころ甲府に住んでいたことがあると言い、非常に親切に対応してくれた。このレファレンスにはちょっとしたドラマがあり、依頼者の方にも大変感謝された。
作成日:1997年8月28日
女房奉書とはどのようなものか。また、その写真が見たい。
回答
女房奉書は古文書の形式の一つ。天皇や上皇の仰せを側近の女房(天皇の場合には勾当内待(コウトウノナイシ))が奉じた仮名書きの奉書。鎌倉時代中頃に始まり、室町時代ことに盛んになって様式化され、明治初年まで用いられた。女房奉書は、最初は女房の手控えとして作成されたが、やがて独立の文書として外部に発せられるようになった。女房奉書の写真は、『明治以前天皇文書の読み方・調べ方』に「後柏原天皇女房奉書」、『近世女人の書』に「後水尾天皇宸翰 女房奉書」、『日本の古文書』に「後奈良天皇の女房奉書」が掲載。
キーワード
■女房奉書(ニヨウボウホウシヨ)■古文書■天皇
調査過程
- ■『国史大辞典』11巻(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1990)を見る。「女房奉書」の項に「天皇や上皇の仰せを側近の女房が奉じた仮名書きの奉書」などの解説。また、「参考文献 相田二郎『日本の古文書』、佐藤新一『古文書学入門』、飯倉晴武『明治以前天皇文書の読み方・調べ方』」とあり。
- ■『国史大辞典』掲載の参考文献の所蔵を確認するため、自館システムで書名検索。記載の参考文献3点を所蔵しているとわかる。
- ■それぞれを見たところ、『明治以前天皇文書の読み方・調べ方』(飯倉晴武書 雄山閣出版 1987)に「後柏原天皇女房奉書」の写真あり。また、『日本の古文書』上(杉田二郎著 岩波書店 1978)に「後奈良天皇の女房奉書」などが載っており、女房奉書についての解説もあった。
- ■写真ならば、書道関係の本にもあるかと思い、「NDC728 書道」の書架に行く。変体がなを用いて和歌を書いたものの写真はあるが、「女房奉書」については『近世女人の書』(前田映子著 淡交社 1995)にのみ「後水尾天皇宸翰 女房奉書」の写真と解説あり。
参考資料
- ◆『明治以前天皇文書の読み方・調べ方』(飯倉晴武書 雄山閣出版 1987)
- ◆『日本の古文書』上(杉田二郎著 岩波書店 1978)
- ◆『近世女人の書』(前田映子著 淡交社 1995)
調査にあたって
『国史大辞典』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979~1993)は全14巻 別冊1(3分冊の索引)。日本歴史の全領域を網羅し、さらに考古学・人類学・民族学・民俗学・国語学・国文学・宗教・美術などの隣接する分野、主要な典籍・古文書・記録や、書誌学・古文書学・史料学・史学史関係の項目も採取している。約42,000項目を五十音順に配列、豊富な図版・諸表・系図を用い、また多く参考文献を付す。
作成日:1998年1月21日
歯や歯の治療跡で死体の身元確認を行う学問を何というか。
回答
「法歯学」または「歯科法医学」という。
キーワード
■法歯学■歯科法医学■法医学■歯
調査過程
- ■自館システムで「法医学」を辞書(件名)検索したところ、『死体に歯あり』(鈴木和男著 徳間書店 1992)という本を所蔵していることがわかる。
- ■『死体に歯あり』に、「法歯学」という学問の分野であることが記載されていた。
- ■『医科学大事典』43巻(武見太郎編集主幹 講談社 1983)の「法歯学」の項を見る。「法歯学→歯科法医学」と記載あり。
- ■『医科学大事典』19巻の「歯科法医学」の項に解説、また、『世界大百科事典』26巻(平凡社 1988)の「法歯学」の項にも解説あり。
参考資料
- ◆『死体に歯あり』(鈴木和男著 徳間書店 1992)
- ◆『医科学大事典』43巻(武見太郎編集主幹 講談社 1983)
- ◆『医科学大事典』19巻(武見太郎編集主幹 講談社 1982)
- ◆『世界大百科事典』26巻(平凡社 1988)
調査にあたって
「法歯学」、「歯科法医学」という名称を知らなかったが、法医学の分野であろうと考え、件名での検索をした。「法歯学」という言葉はわかったが、確認するためにレファレンス・ツールを用いた。その結果、「法歯学」という名称だけでなく「歯科法医学」という名称もあることがわかった。
作成日:1997年10月16日
八幡製鉄政治献金事件についての詳しい判例を知りたい。
回答
「判例時報」通巻596号(1970.8.1)に記載あり。
キーワード
■八幡製鉄政治献金事件■政治献金■判例
調査過程
- ■『判例辞典(増補)』(中川淳編集代表 六法出版社 1986)で「八幡製鉄政治献金事件」の項を調べる。事件の概略や、判決要旨がわかる。また、最高裁大法廷判決が昭和45年6月24日であること、適用法律が商法であることがわかる。
- ■『判例辞典(増補)』でわかった判決年月日に基づき、「判例時報」通巻730号 臨時増刊(判例時報社 1974.3.25)を調べる。索引により通巻596号(1970.8.1)に、判例の記載があるとわかる。
- ■「判例時報」通巻596号(1970.8.1)に、判例の記載あり。
参考資料
- ◆『判例辞典(増補)』(中川淳編集代表 六法出版社 1986)
- ◆「判例時報」通巻730号 臨時増刊(判例時報社 1974.3.25)
調査にあたって
判例に関する調査は、メジャーなものであれば、その概略は『判例辞典』で調べられることが多い。今回は依頼者から「詳しい判例を」ということだったので、雑誌「判例時報」まで調査した。「判例時報」は増刊号として索引があるので、あらかじめ『判例辞典(増補)』で判決年月日が判明したことが良かった。最近では、判例を収録したCD-ROMが発行されているので、それがあればもっと短時間に調査できた。
作成日:1997年9月7日
卜商(子夏)の「詩は志の之く所なり」という文の出典及び全文を知りたい。
回答
出典は、漢代の『詩経』の注釈書「毛伝」(毛亨,毛萇著)の序文「毛詩大序」。全文は『国訳漢文大成』文学部 第4巻 文選 下(国民文庫刊行会 1922)などに掲載。
キーワード
■卜商(ボクシヨウ)■毛詩大序■詩経■詩
調査過程
- ■『中国古典名言事典』(諸橋轍次著 講談社 1978)を見るが記載なし。
- ■『漢詩漢文名言辞典』(鈴木修次編著 東京書籍 1985)により、「詩は志の之く所なり、心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。」は孔子の弟子の卜商の作で「毛詩大序」(『文選』)が出典であることがわかる。
- ■自館システムで「モンゼン」を書名検索。『国訳漢文大成』文学部 第4巻 文選 下(国民文庫刊行会 1922)などを所蔵。
- ■『国訳漢文大成』文学部 第4巻 文選 下に「毛詩の序」あり。全文の原文・書き下し文・大意が記載されていた。
参考資料
- ◆『漢詩漢文名言辞典』(鈴木修次編著 東京書籍 1985)
- ◆『国訳漢文大成』文学部 第4巻 文選 下(国民文庫刊行会 1922)
調査にあたって
『漢詩漢文名言辞典』(鈴木修次編著 東京書籍 1985)は、『詩経』、『論語』、『老子』などの漢籍の名言を集めたもの。巻末に索引あり。
作成日:1997年8月28日
石川啄木の「いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指のあひだより落つ」の歌意と鑑賞を知りたい。
回答
歌意「命のない砂のはかなくも悲しいことよ。その砂を握ると指の間よりさらさらと砂が落ちるのである」。鑑賞「この一首は第三句の「さらさらと」という表現が効果的で、はかない砂に託して己が生命を哀惜する作者の虚無的な心情が歌われており、歌集『一握の砂』の書名を暗示する秀作である。」(『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』より引用。)
キーワード
■石川啄木■「一握の砂」■いのちなき■短歌
調査過程
- ■『日本名歌集成』(秋山虔ほか編 学燈社 1988)を見るが、該当なし。
- ■『現代短歌鑑賞辞典』(窪田章一郎,武川忠一共編 東京堂出版 1978)を見るが、該当なし。
- ■『日本秀歌秀句の辞典』(小学館 1995)を見る。この歌について記載はあるが、歌意や鑑賞については記載なし。出典が「一握の砂」であることがわかる。
- ■自館システムで「イチアクノスナ」で辞書(件名)検索するが、ヒットせず。
- ■『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』(岩城之徳著 桜楓社 1980)を見る。歌意と鑑賞あり。
参考資料
- ◆『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』(岩城之徳著 桜楓社 1980)
調査にあたって
高校生らしき男性からの調査だったので、レファレンス・ツールで簡単に調べられるだろうと思い鑑賞事典を用いたが、該当の歌については掲載がなかった。短歌や和歌を調べるには、メジャーなものは鑑賞事典で調べられる。『日本名歌集成』は古事記・日本書紀から現代短歌まで2,007首について歌人ごとに解釈と鑑賞を掲載、付掲出歌索引。また『現代短歌鑑賞辞典』は近代・現代短歌を1,074首について歌人ごとに鑑賞を掲載。今回はそのどちらにも、該当がなかった(石川啄木のほかの歌は収録されていた)。『石川啄木(短歌シリーズ・人と作品10)』は全24巻。「秀歌鑑賞編」の項があり、巻末に初句索引。
作成日:1997年10月7日
D・H・ロレンスの「Women in love」を福田恒在が訳したものがあるか。
回答
『福田恒存翻訳全集』第2巻(文藝春秋 1992)に「恋する女たち」の訳書名で所収、当館所蔵。
キーワード
■「Women in love」■デーヴィド・ハーバート・ローレンス■「恋する女たち」■福田恒在
調査過程
- ■『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(国立国会図書館編 風間書房 1972)の、「ローレンス,ディヴィド」の項に「恋する女たち 上・中 福田恒在 小山書店 昭25 ロレンス選集9,10 Women in love」と記載あり。
- ■自館システムで「ロレンスセンシユウ」を書名検索するがヒットせず。
- ■訳書名が「恋する女たち」であることがわかったので、自館システムで「コイスルオンナタチ」を書名検索したところ、『福田恒存翻訳全集』第2巻(文藝春秋 1992)に「恋する女たち」が所収、当館に所蔵と判明。
参考資料
- ◆『福田恒存翻訳全集』第2巻(文藝春秋 1992)
調査にあたって
『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(国立国会図書館編 風間書房 1972)は明治元年から昭和30年までに日本で翻訳された欧米各国の文学書(小説・戯曲・詩・評論・随筆・紀行・日記・書簡)について、原著者名(カナ綴り)を見出しとして、訳(作品)書名・訳者・出版社・刊年・収載書名・原作品名を記載した翻訳書誌。巻末に欧文と露文の著者索引あり。文学書以外の翻訳書誌には『翻訳図書目録』(日外アソシーエーツ 1984~)などがある。
作成日:1997年11月14日
明治元年から明治10年までの1月1日は何曜日だったか。
回答
太陽暦は明治6年から採用された。明治元年から明治5年については、太陰暦での1月1日は、明治元年=土曜日、明治2年=木曜日、明治3年=火曜日、明治4年=日曜日、明治5年=金曜日。太陽暦に換算すると1月1日は、明治元年=水曜日、明治2年=金曜日、明治3年=土曜日、明治4年=日曜日、明治5年=月曜日となる。明治6年から明治10年については、明治6年=水曜日、明治7年=木曜日、明治8年=金曜日、明治9年=土曜日、明治10年=日曜日だった。
キーワード
■暦■曜日■元旦
調査過程
- ■新聞のマイクロフィルムの日付により確認しようとしたが、「山梨日日新聞」、「毎日新聞(東京日日新聞)」とも明治5年からだった。
- ■『暦日大鑑』(西沢宥綜編著 新人物往来社 1994)を見る。明治6年から10年については判明。
- ■『和洋暦換算事典』(釣洋一著 新人物往来社 1992)を見る。明治5年以前のものについて「和洋暦換算対照表」あり、明治元年から5年についても判明。
参考資料
- ◆『暦日大鑑』(西沢宥綜編著 新人物往来社 1994)
- ◆『和洋暦換算事典』(釣洋一著 新人物往来社 1992)
調査にあたって
最初、新聞の日付で確認しようとしたが、所蔵しているマイクロフィルムを確認したところ明治5年からのものしかなかった(明治5年創刊だった)。そこで、参考書で調べた方が良いと思い直し『暦日大鑑』(西沢宥綜編著 新人物往来社 1994)にあたったが、やはり改暦以前のものについては掲載がなかった。『和洋暦換算事典』(釣洋一著 新人物往来社 1992)により明治5年以前のものについても判明した。『暦日大鑑』は、1873(明治6)年から2050(平成62)年までの暦が掲載されており、曜日や六曜(大安、仏滅等)などを調べることができる。『和洋暦換算事典』は、1582(天明10)年から1872(明治5)年の、日本暦と西暦の換算対照表が掲載。
作成日:1998年3月28日
ドストエフスキー著『大審問官』を所蔵しているか。
回答
「大審問官」は『カラマーゾフの兄弟』の第5章第5編にあたる。『ドストエフスキー(文芸読本)』(河出書房新社 1980)に所収、当館所蔵。(『カラマーゾフの兄弟』も岩波文庫などで所蔵あり。)
キーワード
■フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー■大審問官■「カラマーゾフの兄弟」
調査過程
- ■自館システムで「ダイシンモンカン」を書名検索するが、ヒットせず。
- ■山梨県図書館情報ネットワークシステムで「大審問官」を書名検索するが、ヒットせず。
- ■『世界文学綜覧シリーズ』5 世界文学個人全集・作品名綜覧(日外アソシエーツ 1987)で「大審問官」を探すが該当なし。『世界文学綜覧シリーズ』2 世界文学全集・作家名綜覧(日外アソシエーツ 1986)の「ドストエフスキー」の項にも該当なし。
- ■IPAによるパイロット電子図書館システムの総合目録ネットワークデータベースで「大審問官」を書名検索したところ、『ドストエフスキー(文芸読本)』(河出書房新社 1980)や『ドストエフスキー2(キリスト教文学の世界 15)』(主婦の友社 1978)に所収とわかる。
- ■自館システムで「ブンゲイドクホン」、「ドストエフスキ-」を書名検索したところ、『ドストエフスキー(文芸読本)』を当館で所蔵していることがわかる。
- ■『ドストエフスキー(文芸読本)』の該当個所を見ると、「大審問官」は『カラマーゾフの兄弟』の第5章第5編に当たることが判明した。(『ドストエフスキー(文芸読本)」には、「大審問官」の部分のみが収録されていた。)
参考資料
- ◆『ドストエフスキー(文芸読本)』(河出書房新社 1980)
- ◆『カラマーゾフの兄弟』第2巻(ドストエフスキー作 岩波書店 1970)
調査にあたって
当初「大審問官」が一つの作品名だと思ったため、自館システムで検索した。そこでヒットしなかったので、全集の中にあればと思い、内容注記を検索するために山梨県図書館情報ネットワークシステムで漢字形(表示形)による検索をし、『世界文学綜覧シリーズ』をあたったが、該当がなかった。念のため検索したパイロット電子図書館総合目録データベースでヒットした。『ドストエフスキー(文芸読本)』を当館でも所蔵しているにもかかわらず自館システムではヒットしなかったのは、TRCMARCの内容細目ファイルが作成されていなかったため。パイロット電子図書館総合目録データベースでは、東京都立中央図書館所蔵の書誌データに内容注記が入力されていたためヒットした。パイロット電子図書館総合目録データベースは、他県立図書館の蔵書の検索にも利用できるほか、今回のように自館システムを補完する役割もあることがわかり、以後頻繁に利用するようになった。
作成日:1998年1月16日
「甲府」という落語を読みたいが、所蔵しているか。
回答
「甲府い」は『名人名演落語全集』5巻(斎藤忠市郎ほか編 立風書房 1982)に所収、当館所蔵。
キーワード
■「甲府い」■「法華豆腐」■落語
調査過程
- ■『古典落語鑑賞事典』(永田義直編著 金園社 1969)を見る。正しくは「甲府い」(別名「法華豆腐」)という落語であることがわかる。あらすじ、鑑賞の記載あり。
- ■自館システムで「コウフイ」を書名検索するがヒットせず。
- ■山梨県図書館情報ネットワークシステムで「甲府い」を書名検索する。身延町立図書館所蔵の『五代目古今亭志ん生全集』7巻(川戸貞吉 桃原弘共編 弘文出版 1982)に所収とわかる。
- ■IPAによるパイロット電子図書館システムの総合目録ネットワークデータベースで「甲府い/」を書名検索。『五代目古今亭志ん生全集』以外にも、『名人名演落語全集』5巻(斎藤忠市郎ほか編 立風書房 1982)、『落語名作全集』3巻(普通社 1966)に所収とわかる。
- ■自館システムで前述の2冊について書名検索。『名人名演落語全集』5巻を所蔵とわかる。
参考資料
- ◆『名人名演落語全集』5巻(斎藤忠市郎ほか編 立風書房 1982)
調査にあたって
『名人名演落語全集』について、自館システムの書誌データはTRCMARCだが、内容が入力されていなかったので、自館システム、山梨県図書館情報ネットワークシステムともにヒットしなかった。パイロット電子図書館総合目録データベースでヒットしたのは、東京都立中央図書館と東京都立日比谷図書館所蔵の書誌データに内容注記が入力されていたため。もし、入力されていなければ、『名人名演落語全集』全10巻を端から見ていくことになったと思う。
作成日:1997年8月20日
室町時代の職人の絵が載っている本があるか。
回答
『ヴィジュアル史料日本職人史』1巻 職人の誕生[古代・中世編](遠藤元男著雄山閣出版 1991)に「職人歌合絵」や「絵巻物」などから収録した職人の絵の掲載あり。また『群書類従』18巻(塙保己一編 経済雑誌社 1894)所収の「七十一番歌合」に、職人の絵の掲載あり。
キーワード
■室町時代■職人■職人歌合■職人尽絵
調査過程
- ■「NDC210 日本史」の書架に行き、室町時代に関する本を見るが、職人についての記載なし。
- ■自館システムで「シヨクニン-レキシ」を辞書(件名)検索する。『ヴィジュアル史料日本職人史』1巻 職人の誕生[古代・中世編](遠藤元男著 雄山閣出版 1991)という本があるとわかる。
- ■『ヴィジュアル史料日本職人史』1巻を見る。「職人歌合絵」や「絵巻物」などから収録した職人(手工業者)の絵が掲載され、また古代・中世期の職人や「職人歌合絵」についての解説あり。また、今日に知られる職人歌合絵は「東北院歌合」、「鶴岡放生会歌合」、「三十二番歌合」、「七十一番歌合」の4つであるとの記載あり。
- ■4つの歌合絵の中で室町時代ものである「三十二番歌合」、「七十一番歌合」ついて、『国書総目録(補訂版)』(岩波書店 1989)で活字本の有無を確認すると、「群書類従 雑部」にあることがわかる。
- ■『群書類従』18巻(塙保己一編 経済雑誌社 1894)を見る。「三十二番歌合」、「七十一番歌合」ともに所収だが「三十二番歌合」には絵は収録されていない。
参考資料
- ◆『ヴィジュアル史料日本職人史』1巻 職人の誕生[古代・中世編](遠藤元男著雄山閣出版 1991)
- ◆『群書類従』18巻(塙保己一編 経済雑誌社 1894)
調査にあたって
子ども室で女子高校生からの依頼。当初、日本史の本のカラー図版に絵巻物などからとった職人の絵が掲載されているのではないかと思ったが、室町時代については「下剋上」や「一揆」についての記載はあるが、当時の職人についての記載はなかった。そこで件名検索をしたところ、職人史の本が数冊所蔵されていることがわかり、「絵を」ということなのでタイトルに「ヴィジュアル」と付いている本を選択した。「職人歌合絵」というものがあるとわかり、それらを探すこととした。『中世史用語事典』(佐藤和彦編著 新人物往来社 1991)の「職人尽絵」の項には、各種職人の風俗・生態を描いたものとしては他に、風俗画「職人尽絵屏風」(室町時代)があるという記載があるが、依頼者が「これ(「七十一番歌合」)でいいです。」ということだったので、これ以上は調査しなかった。
作成日:1998年3月27日
洋画家・黒田清輝と、「湖畔」のモデルになった夫人の年齢差は何歳か。
回答
年齢差は8歳。
キーワード
■黒田清輝■「湖畔」■画家
調査過程
- ■『近代日本美術事典』(講談社 1989)の「黒田清輝」の項を見る。「湖畔」の絵の掲載あり。
- ■『日本美術館』(小学館 1997)の「黒田清輝と白馬会」の項を見る。「湖畔」のカラー写真と「芦ノ湖畔に座る夫人をモデルに、下絵もなしにとりかかって完成させた」などと解説あり。
- ■自館システムで「クロダ キヨテル」を辞書(著者)検索。『現代日本美術全集』16巻 浅井忠・黒田清輝(座右宝刊行会編集 集英社 1973)を見ると、「湖畔」の解説に、1897年の夏に描かれた作品であることや、「後年夫人は、この作品を前にして「あれは、私の二三歳の時で......。」とこの作品の制作の模様を私の問いに答えてくれた。」という記述あり。また、年譜より、この年黒田清輝は31歳であることがわかる。したがって二人の年齢差は、8歳である。
参考資料
- ◆『現代日本美術全集』16巻 浅井忠・黒田清輝(座右宝刊行会編集 集英社 1973)
調査にあたって
夫人の経歴はおそらく出てこないだろうと思った。美術事典を見ると、「湖畔」は黒田の代表作の一つのようなので、画集を見れば作品と詳しい解説があるのではないかと思った。『現代日本美術全集』には巻末に年譜があるので、画家の詳しい経歴を知るのに役立った。
作成日:1998年4月2日
恋愛結婚と見合い結婚の比率を知りたい。
回答
国立社会保障・人口問題研究所の「第11回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」(平成9(1997)年6月調査)によると、恋愛結婚87.1%、見合い結婚9.9%、その他・不詳3.0%である(この調査では、夫婦の知り合ったきっかけに関する設問で、「見合いで」「結婚相談所で」と答えたものを見合い結婚とし、それ以外の「学校で」「職場で」などを恋愛結婚と分類した)。この調査は5年ごとに行われ、調査結果の報告書は、『第11回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)第1報告書日本人の結婚と出産』(国立社会保障・人口問題研究所編 厚生統計協会 1998)がある。また、国立社会保障・人口問題研究所のインターネットのホームページ(http://www.ipss.go.jp/)でも結果概要を公開している。
キーワード
■恋愛結婚■見合い結婚■結婚■統計
調査過程
- ■『若者ライフスタイル資料集』'99(食品流通情報センター 1999)の「結婚に関するデータ」を見るが該当なし。『アンケート調査年鑑』'99(並木書房 1999)の総索引で「見合い結婚」「恋愛結婚」を引き、それぞれの該当ページを見ると、「20~50代既婚女性の恋愛意識調査」(オーエムエムジー)には、出会いのきっかけの13.5%がお見合いだとある。また、「夫婦ペアで見たミドル世代の夫婦関係」(サントリー不易流行研究所)によると、ミドル夫婦では見合い結婚21%、恋愛結婚74%で、30代夫婦では見合い6%、恋愛92%であることがわかる。
- ■『統計情報インデックス』1999(総務庁統計局 1999)の「キーワード索引」の「結婚」「婚姻」の項を見る。該当の調査については「結婚」の項にある「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)第1報告書 日本人の結婚出産」が一番近いようだ。「書誌情報」でこの調査報告書について見るが、該当の調査があるかは不明。「統計標題一覧」で見ると、「夫婦数:結婚年,結婚の恋愛性,知り合いのきっかけ(結婚形態別)」などの項目がある。
- ■『出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)第1報告書 日本人の結婚出産』を自館システムで検索するが所蔵なし。
- ■インターネットの検索エンジン「Yahoo! Japan」(http://www.yahoo.co.jp/)で、「国立社会保障・人口問題研究所」を開き、「第11回出生動向基本調査「結婚と出産に関する全国調査(夫婦調査の結果概要)」」を見ると、「結婚年次別にみた恋愛結婚・見合い結婚構成の推移」のグラフ、「結婚年次別にみた恋愛結婚・見合い結婚の構成」や「調査別にみた夫婦が出会ったきっかけの構成」などの表があり。
参考資料
- ◆『アンケート調査年鑑』'99(並木書房 1999)
調査にあたって
「どこかで調べているはず」とは思ったが、調査の当初は、結婚相談所などのアンケート調査しかないのではないかと思った。しかし、「ただなんとなくどのくらいか知りたい」というのではなく、レポートを書く学生からの質問なので、公的な機関の調査があればと思い探してみると、「出生動向基本調査」の中で行われていることが確認できた。人口問題の調査として行われていることに驚いたが、少子化・晩婚化という観点から考えれば、知り合いのきっかけ(配偶者選択の機会)に関する調査もこれにあてはまるのだろう。国立社会保障・人口問題研究所(〒100-0013 東京都千代田区霞ヶ関1-2-3 TEL.03-3595-2984)は、厚生省人口問題研究所と特殊法人社会保障研究所が統合されて平成8(1996)年に発足し、将来推計人口、社会保障給付費推計等の調査研究事業を行っている。最近は、統計類に関する問い合わせが増えてきている。主要な統計であれば、『日本統計年鑑』(総務庁統計局編 日本統計協会 年刊)などに掲載がある。それ以外の各省庁、政府関係機関などで行っている統計を探すには、『統計情報インデックス』などの統計索引で、どんな統計書に掲載されているかを調べることができる。『統計情報インデックス』は、同内容の検索システムが、総務庁統計局によりインターネットでも公開されている(「統計情報インデックス」(http://www2.stat.go.jp/toukeiindex99/default.asp))。
作成日:1999年12月10日
"グランド・クロス"についての天文学的な資料があるか。
回答
"グランド・クロス"は占星術などの用語で、天文学用語ではない。また、惑星の配置も無理に見れば十字形に見えないこともないが、天文学的には、意味のあるものではない。
キーワード
■グランド・クロス■占星術■惑星■ミカエル・ノストラダムス
調査過程
- ■依頼者によると"グランド・クロス"は、ノストラダムスの予言の中に出てくる言葉で、太陽系の惑星が地球を中心に十字形に並ぶ現象である。また、天文学の資料はいくつかあたったが、該当の記載はなかったとのこと。
- ■『占星術大全』(ジャン・カレルズ著 阿部秀典訳 青土社 1996)にある「占星術と天文の事典」を見ると、「グランド・クロス(大十字)」の項があり、「めずらしい占星術上の星位」などの解説あり。
- ■『天文学辞典』改訂増補版(鈴木敬信著 地人書館 1991)などの天文学事典の索引で、"グランド・クロス"を探すがなし。また、「太陽系」「惑星」などの項目も見るが、このような内容の事柄の記載なし。また、この現象は平成11年の8月とのことなので、『天文観測年表』1999年版(天文観測年表編集委員会編 地人書館 1999)、『天文年鑑』1999年版(天文年鑑編集委員会編 誠文堂新光社 1998)を見るが、記載なし。
- ■自館システムで「タイヨウケイ」を辞書(件名)検索すると、『太陽系なんでも入門』(斉田博著 小学館 1982)がヒットし、内容を確認すると、「地球は破めつするか?」の項に、「一九九九年に、惑星が十字かの形にならぶ(これをグランド・クロスというのだそうです)ので地球が破めつするというおそろしい話があります」、しかし惑星が十字架に並んでも意味はない、などの若干の説明がある。「著者紹介」を見ると、著者は日本天文学会などで活躍している学者のようだ。
- ■山梨県立科学館(〒400-0023 甲府市愛宕町358-1 TEL.055-254-8151)に電話で問い合わせると、「"グランド・クロス"は占星術や一部の宗教などで用いている言葉だが、天文学的には根拠がない」とのことで、国立天文台のインターネットのホームページ中の「国立天文台・天文ニュース」を紹介される。
- ■インターネットの検索エンジン「Yahoo!Japan」(http://www.yahoo.co.jp/)で「国立天文台」を検索し、「文部省国立天文台」(http://www.nao.ac.jp/)の「国立天文台・天文ニュース」No.282(1999年8月12日)を見ると、「グランド・クロスは、天文学で定められた用語ではなく」、また「この時期の惑星の配置を見ると、無理に見れば、十字形に見えないこともありません」などの解説あり。
参考資料
- ◆『太陽系なんでも入門』(斉田博著 小学館 1982)
調査にあたって
「"グランド・クロス"は天文学用語ではない」という回答であるが、「ない」ということを証明するための資料がなく、平成10年7月にオープンした山梨県立科学館に問い合わせた。すると、この時期、同様の質問が多く寄せられているとのこと。紹介していただいた国立天文台のホームページにも、このような質問が多く寄せられ「多大な迷惑をこうむっています」とあった。この時期、インターネットの検索エンジンで「グランドクロス」を検索すると、「他の惑星からの引力の影響を受ける」とか「洪水が起きるから高い場所に避難するように」とか多種多様な情報がヒットした。膨大な量の情報の中から、正しい情報を選択する力も必要な時代だと思う。
作成日:1999年8月19日
ギリシアのことわざだったと思うが「人は経験によって学ぶ」という言葉の出典を知りたい。
回答
出典はタキトゥスの『同時代史』で、「それを採集する方法は、他の技と同様に経験が教えたのである」。
キーワード
■経験■名言■タキトゥス ■「同時代史」
調査過程
- ■ギリシアという言葉を頭の隅に置きながら、『世界引用句事典』(梶山健編 明治書院 1979)、『世界名言事典』(梶山健編 明治書院 1972)、『世界の名文句引用事典』(自由国民社 1980)などを、「経験」をキーワードに引いてみる。それらしいものは出てこない。
- ■『ギリシア・ラテン引用語辞典』(田中秀央 落合太郎共編著 岩波書店 1937)を引く。ギリシア語を当たってみたが出てこない。試みにラテン語の方も見てみる。「経験」はexperientia。利用者の質問の文に一番近いのは「experientia docet(docuit) 経験は教ふ(教へたり)(Tac.Hist. V,6)」である。Tac.はtacitus(タキトゥス)、Hist.はHistoria(「歴史」もしくは「同時代史」)の略。
- ■『同時代史』(タキトゥス著 国原吉之助訳 筑摩書房 1996)で該当部分を確認。p272の1行目に「それを採集する方法は、他の技と同様に経験が教えたのである」とある。
- ■文がそのまま同じではないし、タキトゥスはローマの歴史家なのでどうかと思ったが、依頼者に問い合わせてみると、「多分それではないか」とのこと。
参考資料
- ◆『同時代史』(タキトゥス著 国原吉之助訳 筑摩書房 1996)
調査にあたって
このレファレンスは「至急」ということで、限られた時間のなかで行われた。「確か○○だったと思うが」の○○が違っていた場合、思わぬ遠回りになることもある。
作成日:2000年3月31日
"天鑑私無"の読み方と出典を知りたい。
回答
読みは「テンカンワタクシナシ」。出典は『天草版金句集』。
キーワード
■天鑑私無(テンカンワタクシナシ)■「天草版金句集」■名言
調査過程
- ■『四字熟語活用辞典』(石本道明編 創拓社 1993)、『格言大辞典』(芳賀矢一ほか編 東出版 1995)、『中国古典名言事典』(諸橋轍次著 講談社 1972)、『漢詩漢文名言辞典』(鈴木修次編著 東京書籍 1985)、『中国故事成語大辞典』(和泉新,佐藤保共編 東京堂出版 1992)、『中国成語辞典』(牛島徳次著 東方書店 1994)等には記載なし。
- ■『大漢語林』(鎌田正,米山寅太郎共著 大修館書店 1992)に「テンカン」の項があり、「天鑑」と「天監」の2種類の漢字表記がされている。
- ■『日本国語大辞典』14巻(小学館 1975)の「テンカン」の項では、「天鑑」の表記はないが、「天監」についての記述あり。用例の中に「日葡辞書 Tencan(テンカン)ワタクシナシ」と記されている。
- ■『邦訳日葡辞書』(土井忠生ほか編訳 岩波書店 1980)で、「Tencan テンカン(天鑑)」の項を見る。「Tencan vatacuxinaxi(天鑑私なし)」の用例があり、「デウス(Deos 神)は、人によって分けへだてすることなく、公正に万事を御覧になる」と説明されている。『天草版金句集』(1593年)のp541と出典が記載。
参考資料
- ◆『邦訳日葡辞書』(土井忠生ほか編訳 岩波書店 1980)
調査にあたって
おそらく中国起源の故事成語、格言だろうと思って調べてみたところ出てこない。あれっと思って「天鑑私無」を眺めていると、もし漢文だったらこのような語順にならないのではないかと気づいた。まず「天鑑」という言葉の使われ方を確認してみようと、漢和、国語辞典をあたったところ、用例から出典にたどり着くことができた。しかし、「天鑑私無」という字の並びから、キリスト教の神が出てくることは全く想像していなかったので、『天草版金句集』の名前が出てきたときには驚かされた。
作成日:2000年3月31日
芭蕉の句「もろもろの心柳に任すべし」と「旅人とわが名呼ばれん初時雨」の出典を知りたい。
回答
「旅人とわが名呼ばれん初時雨」は『笈の小文』が出典。「もろもろの心柳に任すべし」は、芭蕉の句とする資料もあるが、涼菟(りょうと)の句で「水薦刈(みすずかり)」「姨捨(おばすて)とはず草」が出典であるとするものもある。
キーワード
■松尾芭蕉■岩田涼菟(イワタリヨウト)■もろもろの ■旅人と■俳句
調査過程
- ■依頼者によると、この2句は、芭蕉の句として句碑にもなっているもので、それぞれの出典を知りたいとのこと。『芭蕉・蕪村発句総索引本文索引篇』(道本武彦 谷地快一共編集 角川書店 1983)により「旅人とわが名呼ばれん初時雨」は『笈の小文』が出典であることが確認できる。
- ■ところが、本書によると「もろもろの......」の句は『もとの水』、『一串抄』収録とされるが誤伝であり、蕉門の俳人涼菟の作で、『水薦刈』、『姨捨とはず草』に収録されていると記載あり。
- ■『近世俳句大索引』(安藤英方編 明治書院 1959)を見てみると、芭蕉の句とされ、『もとの水』『一葉集』収録となっている。
- ■『もとの水』、『一串抄』、『一葉集』について調べる。『俳諧大辞典』(伊地知鉄男ほか編 明治書院 1957)によると、『もとの水』収録作品の中で確かな作品は11句で、80句は存疑、2句は誤伝とされている。『総合芭蕉事典』(尾形仂ほか編集 雄山閣出版 1982)によると『一葉集』は他人の作品の混入が欠点とされている。『一串抄』については記載なし。
- ■偽作と誤伝を除いた全発句が掲載(存疑も掲載)されている『芭蕉全句集』(桜楓社 1976)と、『校本芭蕉全集』2巻(角川書店 1963)で「もろもろの......」の句を確認すると、これらには収録されていない。
参考資料
- ◆『芭蕉・蕪村発句総索引本文索引篇』(道本武彦 谷地快一共編集 角川書店 1983)
- ◆『近世俳句大索引』(安藤英方編 明治書院 1959)
- ◆『芭蕉全句集』(桜楓社 1976)
- ◆『校本芭蕉全集』2巻(角川書店 1963)
調査にあたって
古い資料では芭蕉の作とされていたものが、研究の成果によって存疑・誤伝とされる場合があり、色々な資料を比較、検討して回答した。以前にも同じような依頼があって調べたところ、芭蕉の作とされている句碑が、4つともそうではなかったということもあった。
作成日:2000年3月31日
テレビドラマ「元禄繚乱」に出てきた「一向二裏(いっこうにり)」という言葉の意味を知りたい。
回答
「一向二裏(の備)」は、兵法の陣立ての一つで、一軍を敵の正面に向かわせ、もう一軍を敵の後陣の裏に回らせて敵を討つ陣形。
キーワード
■一向二裏の備(イツコウニリノソナエ)■兵法■陣形
調査過程
- ■『新明解四字熟語辞典』(三省堂 1998)を見るが記載なし。「一向所感」という言葉があり、「仏教語」と記載。
- ■『仏教四文字熟語事辞典上巻(須藤隆仙著 新人物往来社 1998)を見る。「一向専修」という言葉はあるが「一向二裏」は記載なし。
- ■『日本国語大辞典』2巻(小学館 1973)を見ると、「一向二裏備」の項があり、「陣立ての名称......」などと記載あり。また、用例として「古事類苑・兵事二」「武教全書 二・練 陣」が挙げられている。
- ■『古事類苑』43巻「兵事部」(吉川弘文館 1968)を確認すると、「兵事部二・陣法」の「雑陣」として、「一向二裏の備の事」がある。また、自館システムで「ブキヨウゼンシヨ」を書名検索すると、『山鹿素行集』2巻(目黒書店 1943)がヒット。内容を確認すると、「武教全書巻之二・練陣」に「一向二裏の事」があり。
- ■『大漢和辞典(修訂版)』1巻(諸橋轍次著 大修館書店 1984)、『広辞苑』第5版(新村出編 岩波書店 1989)を見るが、これらには記載なし。
参考資料
- ◆『古事類苑』43巻「兵事部」(吉川弘文館 1968)
- ◆『日本国語大辞典』2巻(小学館 1973)
- ◆『山鹿素行集』2巻(目黒書店 1943)
調査にあたって
自分もその番組を見ていたのだが、どんな場面で使われていたのかはすっかり忘れていた。依頼者の方も同様で、二人して四字熟語かと勘違いしてしまい、「一向」を使った仏教の言葉があったので、更に仏教用語かと勘違いしてしまった。基本に戻って『日本国語大辞典』を見ると、兵法の言葉だった。NHK大河ドラマの「元禄繚乱」(平成11年1月~12月放映)はいわゆる「忠臣蔵」の物語で、「一向二裏」という言葉は、赤穂藩士が教えを受けていた山鹿素行の「武教全書」の中にも出てくることがわかった。
作成日:1999年11月26日
赤飯にナンテンの葉を入れるのはなぜか。
回答
赤飯を贈るときにナンテンの葉を敷く風習は、江戸時代にはあった。赤飯にナンテンの葉を敷くのは、1.ナンテンを難転(難を転ずる)の意とする、2.ナンテンの葉の薬効により食物の腐敗を防ぐ、3.青精飯(せいせいはん)との関連による、などの説がある。
キーワード
■赤飯■ナンテン
調査過程
- ■『世界大百科事典』(平凡社 1988)で「赤飯」を引くが、ナンテンについては記載がない。「ナンテン」「強飯(こわめし)」の項を見るが記載なし。
- ■『日本民俗大辞典』上(吉川弘文館 1999)で「赤飯」「強飯」を引くが、ナンテンの葉については記載なし。この時、まだ下巻は発行されていず、「ナンテン」については未調査。
- ■『図説江戸時代食生活事典』(日本風俗史学会編 雄山閣出版 1978)の総索引で「赤飯」を引き、「小豆」の項を見ると、「江戸期の学者によると......。吉事や祝儀に用い、ナンテンの葉を敷くのがならわしであった」とあるが、その理由は記載されていない。
- ■『古事類苑』植物部一(吉川弘文館 1971)で「南天燭」の項を見るが、関連の記載なし。『広文庫』第14巻(物集高見著 広文庫刊行会 1919)で「南天燭」の項を見ると、「......又仙方に南燭の汁にて飯を製する方ありて、其の名を青精飯という、其の色瑠璃のごとくにてめでたき薬なり、今時人の許に飯を送るに南天の葉を敷くも此の縁なるべし」(「夜光璧」)、「今の俗、赤豆飯を贈るに、南天の葉を志くハ、青精飯の遺意なるべし」(「乗穂録」)とある。また、「......又夏日食物を貯へておくに、南天の葉を掩ひ、下にも葉を志けバ、食物腐る事なく味変ぜず......」(「故実叢書安齋随筆」)などの記載あり。
- ■「青精飯」について調べる。『大漢和辞典(修訂版)』12巻(諸橋轍次著 大修館書店 1986)によると「青精」は南燭の異称で、青精飯は「......四月八日、南天の枝葉を採って搗いた汁に米を浸し、蒸して乾燥したもの。久しく服用すれば顔色を好くし寿を増すといふ」とある。
- ■植物事典で「ナンテン」の項を見る。『図説草木辞苑』(柏書房 1988)には用途として「装飾(折敷など)、魔除け」などとある。『図説花と樹の大事典』(柏書房 1996)には、「赤飯の重箱や魚を贈るのに掻敷きとしてナンテンの葉を敷くが、これは葉の薬用性からきているとも考えられる」などの記載あり。
- ■薬草の事典にあたる。『本草図譜総合解説』4巻(同朋社出版 1991)の「南燭」の項には「葉を食物の上に載せて進物とする風習はナンテンを難転と解し、食あたりの難を転ずるまじないである」とある。『薬用植物画譜』(刈米達夫解説 武田薬品工業 1971)には、「南天燭の葉は本草綱目に「気力を益し、眼を明らかにし、白髪を黒くし、老を防ぐ」とあり、葉を浸した水で米を炊くと飯に光沢を添え、能く陽気をけるとある。わが国で赤飯に南天の葉を添えるのもこの古事によるのであろうか」とし、更に「本草綱目に南天燭の別名として鳥飯草、墨飯草などをあげているが、これは牧野博士説のシャジャンボの方かと思われる」と記載あり。
参考資料
- ◆『広文庫』第14巻(物集高見著 広文庫刊行会 1919)
- ◆『本草図譜総合解説』4巻(同朋社出版 1991)
- ◆『図説花と樹の大事典』(柏書房 1996)
- ◆『薬用植物画譜』(刈米達夫解説 武田薬品工業 1971)
調査にあたって
ナンテン=難転だろうと考えて調査を始めた。最初に引いた百科事典の「赤飯」の項に、「赤飯は祝儀に使うことが多いので、アズキの皮の破れるのを腹切りに結びつけて忌み、皮の破れにくいササゲを使うことも多い」「ゴマ塩は黒ゴマを用い、これも〈切る〉〈する〉を忌んで切りゴマ、すりゴマを避け、いっただけのゴマに塩を合わせて用いる」とあり、縁起をかつぐ意味の昔からの風習であれば、民俗学の事典で簡単にわかると思ったのだが、「これでわかるだろう」と思った資料が全くはずれてしまった。『広文庫』によると、南天の葉は昔から食物の腐敗を防ぐとされており、薬草としても利用されているらしいので、植物事典や薬草の事典をあたることにした。一見縁起かつぎのような昔からの風習や言い伝えには、科学的な理由があることが多いが、実際にナンテンには食物の腐敗を防ぐような成分が含まれているようだ。しかし、その成分については確認できなかった。
作成日:1999年11月26日
福助人形のモデルについて知りたい。
回答
モデルには異説がある。1.摂津の百姓、佐五郎右衛門の子・佐太郎は、身長2尺にも満たない大頭の小人だったが、これが幸いして幸運に恵まれた人生を送ったことから、彼にあやかろうと「叶福助」の人形が享和年間流行した。2.京都の大文字屋という大きな呉服店に頭の大きな小男の主人がいて、一代で大福長者となったが、町の貧民に施しをして助けたので、貧民たちが彼の像を造って恩返ししたのが福助人形の始め。3.滋賀県伊吹山のふもとのもぐさや亀屋にいた番頭・福助は、よく働き商売繁盛して主人に気に入られ、人形が作られるようになった。
キーワード
■福助■徳助■人形■縁起
調査過程
- ■『世界大百科事典』24巻(平凡社 1988)で「福助」の項を見ると、モデルについては摂津の佐太郎と、京都の呉服店主の2説が記載。
- ■『大日本百科事典』15巻(小学館 1978)で「福助」の項を見ると、モデルについては「享和年間(一八〇一~四)に江戸で大流行したことから、実在の人物のようにいう者もあるが、元禄年間(一六八八~一七〇四)にすでに福助の名称は知られていた」と記載あり。
- ■『江馬務著作集』普及版11巻「風俗史事典」(中央公論社 1988)で「福助」を引くと「→ 徳助・お福」とあり、「徳助・お福」の項を見ると、モデルは京の呉服店主だとしている。
- ■自館システムで「フクスケ」を辞書(件名)検索するが未ヒット。「フクスケ」を単語検索すると、『公告図像の伝説-フクスケもカルピスも名作!』(荒俣宏著 平凡社 1999)がヒット。「福神マーク 好運は店先に訪れる」の章があり、モデルについては摂津の佐太郎と、京都の呉服店主の他に、滋賀県のもぐさや亀屋の番頭という説があり。
参考資料
- ◆『世界大百科事典』24巻(平凡社 1988)
- ◆『大日本百科事典』15巻(小学館 1978)
- ◆『江馬務著作集』普及版11巻「風俗史事典」(中央公論社 1988)
- ◆『公告図像の伝説-フクスケもカルピスも名作!』(荒俣宏著 平凡社 1999)
調査にあたって
現在では、足袋や靴下を製造しているメーカーの商標のイメージの方が強い福助は、縁起人形の一種で、童顔の大頭に裃をつけて座った人形。徳助ともいい、お福(お多福)と一対とされる。事典類を提供したところ、「今日はとても忙しくて時間がないので、何か借りられる本を」とのことで、システムで検索できる範囲で資料を提供したが、モデルについてはこれ以外にもあるようだ。『江馬務著作集(普及版)』11巻は、1~10巻までとは別に、参考書扱いしている。この本は、「くつろいだ読み物の事典としたかったため」(巻末の「解説」より)五十音順ではなく、イロハ順で項目が立ててある。イロハは最初から唱えないと順番がわからないので、英語の事典を引くよりも時間がかかってしまった。明治時代以前の事典にはイロハ順のものが多い。イロハ順でも速く引けるようになることは課題のひとつだ。
作成日:1999年12月11日
江戸時代の文書は、漢字・平仮名・片仮名で書かれているが、平仮名と片仮名はどのように使い分けられていたのか知りたい。
回答
和漢混淆文である近世文書では、ふつうの仮名書きの部分は平仮名・変体仮名が用いられ、助詞、動詞・形容詞の活用語尾、副詞の送り仮名など、漢文の送り仮名にあたる部分を、漢文同様に片仮名で書く。
キーワード
■古文書■仮名■江戸時代
調査過程
- ■『世界大百科事典』5巻(平凡社 1988)で「かな」の項を引くと、平仮名と片仮名の歴史について記述があり、片仮名は漢文のヨミを記入するために使用されたものであることなどがわかる。
- ■自館システムで「カナ」を辞書(件名)検索。ヒットした資料のうちの『江戸のかな-おもしろ古文書館-』(樋口政則著 名著出版 1991)を見ると、山田俊雄著「近代・現代の文字」(『講座国語史』2巻「音韻史・文学史」(中田祝夫編 大修館書店 1972)収載)では、「柳多留」の片仮名を分析し、片仮名は「(一)活用語尾を示す、(二)捨てがなとして用いて読み方を明らかにするというふたつの性格に帰する」と記載あり。この資料の所蔵について自館システムで検索すると、所蔵しており内容を確認。
- ■「NDC210.02 日本史、歴史補助学」の書架に行き、古文書を読むための入門書を探す。『用字・用語古文書の読み方』(若尾俊平著 柏書房 1980)を見ると、「仮名」という項目の「平仮名」「片仮名」の項に、それぞれの使われかたについての解説あり。
参考資料
- ◆『江戸のかな-おもしろ古文書館-』(樋口政則著 名著出版 1991)
- ◆『講座国語史』2巻「音韻史・文学史」(中田祝夫編 大修館書店 1972)
- ◆『用字・用語古文書の読み方』(若尾俊平著 柏書房 1980)
調査にあたって
当初は平仮名や片仮名の歴史に関係があるのかと思い、「文字」という方向からアプローチした。『江戸のかな-おもしろ古文書館-』は、言語の分類が付与されている本だが、平仮名で書かれた古文書を読むという内容の本だった。そこで、「古文書解読」という観点からも探した方がよいだろうと判断した。昨年度、甲州文庫の電子化事業の作業の中で近世文書を扱った。和風の漢文で書かれた文中には、ヨミの補助のような形で片仮名が使われていた。その時は特に疑問も持たずに、こういうものなのかと思っていたのだが、質問を受けて初めて、そう言われれば不思議だと思った。明治時代までは公式な文書は全て漢文で書かれたそうだが、現代では漢文を書くこともなくなり、片仮名は外来語や擬音語などを書くときに用いている。現代の感覚で考えるととても不思議な江戸時代の文書だが、歴史的な経緯を見ると「なるほど」と思えた。
作成日:1999年6月9日
GHQが行った出版物の検閲について知りたい。特に、文学作品に対する検閲について書かれた資料がほしい。
回答
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ、SCAP)による検閲は、民間諜報局(CIS)に属する民間検閲支隊(CCD)が行い、情報メディアについてはその中の出版・演芸・放送課(PPB)が担当し、東京・大阪・福岡に検閲所があった。GHQは情報メディア別に指令を発し、出版に対しては1945(昭和20)年9月19日付けの「プレス・コード(SCAPIN33)」で、「ニュースは厳格に真実に符合しなければならない」など10項目からなる準則を示した。「プレス・コード」の違反の範囲については、「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」(検閲指針)としてまとめられていた。違反した場合、事前検閲では発表禁止・削除のような処分がなされた。GHQによる検閲は、1949(昭和24)年10月まで続けられた。文学作品の検閲は、原爆に関する文学作品等の出版検閲についての資料として、『原爆表現と検閲-日本人はどう対応したか-』(堀場清子著 朝日新聞社 1995)、『禁じられた原爆体験』(堀場清子著 岩波書店 1995)を所蔵している。
キーワード
■出版検閲■検閲■GHQ■プレス・コード
調査過程
- ■『日本近代文学大事典』(日本近代文学館編 講談社 1977)の索引で「検閲」を引き、4巻の「発売禁止」の項をみるが、日本政府による検閲・発禁についての記載のみ。
- ■『戦後史大事典』増補縮刷版(三省堂 1995)で「検閲」の項を引くと、新聞・雑誌・書籍の出版検閲は、GHQが表現内容の審査のための基準を、「プレス・コード(SCAPIN33)」として、日本政府と各メディアに示したことなどがわかる。同書の「プレス・コード」の項を確認。
- ■『GHQ指令総集成』2巻(エムティ出版 1993)で「Press Cord for Japan(SCAPIN33)」を確認。『日本占領・外交関係資料集』第1巻(柏書房 1991)掲載の「新聞ラヂオ等ニ対スル取締ニツイテ」で「プレス・コード」の日本語訳を確認。
- ■自館システムで「検閲」を辞書(件名)検索。その中から該当のものをピックアップする。『閉ざされた言語空間』(江藤淳著 文芸春秋 1989)を見ると、「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」などの記載あり。また、原爆に関する出版物の検閲についての資料の所蔵あり。
参考資料
- ◆『戦後史大事典』増補縮刷版(三省堂 1995)
- ◆『GHQ指令総集成』2巻(エムティ出版 1993)
- ◆『日本占領・外交関係資料集』第1巻(柏書房 1991)
- ◆『閉ざされた言語空間』(江藤淳著 文芸春秋 1989)
- ◆『原爆表現と検閲-日本人はどう対応したか-』(堀場清子著 朝日新聞社 1995)
- ◆禁じられた原爆体験』(堀場清子著 岩波書店 1995)
調査にあたって
「文学作品に対する検閲について」という依頼だったので、近代文学の事典からあたったが、明治から戦前の筆禍に関することが主で、GHQによる検閲については記載がなかった。そこで、近代史の事典からあたり直すことにした。自館システムで「検閲」という件名で検索すると、太平洋戦争中の日本政府による検閲に関する資料もヒットしてしまう。自分の専門分野以外の質問や初めての質問では、まず事典などで基本的な事項を押さえてから調査に取りかかることにしている。その方が、あちこち色々とひっくり返すよりは結果的には速くできるように思うのだが、ダイレクトに回答資料に行かないと、「大丈夫なのか」と不安になる利用者の方もいて、こんなときには自分の守備範囲の狭さを痛感させられる。
作成日:1999年12月11日
『海潮音』所収のカール・ブッセの詩「山のあなた」の原文があるか。
回答
「山のあなた」の原詩「Uber den Bergen」は『英語対照独逸語入門』(小柳篤二著 第三書房 1950)に掲載あり。「Uber den Bergen,weit zu wandern,/sagen die Leute,wohnt das Gluck./Ach,und ich ging im Schwarme der andern,/kam mit verweinten Augen zuruch,/uber den Bergen,weit,weit druben,/sagen die Leute,wohnt das Gluck......」
キーワード
■「山のあなた」■「Uber den Bergen」■カール・ブッセ■詩
調査過程
- ■自館システムで「ブッセ カール」「BUSSE KARL」を辞書(人名・件名)検索するがヒットせず。
- ■自館システムで「シ(ドイツ)-シシユウ」を辞書(件名)検索し、ヒットした資料を見る。対訳で原文の記載がある『ドイツ名詩選』(生野幸吉,檜山哲彦編 岩波書店 1993)を見るが、該当の詩は記載なし。
- ■『ドイツ名句事典』(池内紀ほか編 大修館書店 1996)を見ると、「山のあなた(Uber den Bergen)」の原文が、最初の2行のみ掲載あり。
- ■自館システムのレファレンス・データベースで「ヤマノアナタ」を検索すると、「「山のあなた」という詩を見たい」がヒット。回答資料として入力されている『上田敏全訳詩集(岩波文庫)』(岩波書店 1969)、『定本 上田敏全集』1巻(教育出版センター 1978)、『日本の詩歌』28巻(中央公論社 1969)を見るが、原文の記載はない。『日本の詩歌』の解説に「原詩をドイツ語の教科書で学んだ人も多いだろう」との記載あり。
- ■「NDC850 ドイツ語」の書架で、ドイツ語の学習書にあたる。『英語対照独逸語入門』に原文の掲載あり。
参考資料
- ◆『英語対照独逸語入門』(小柳篤二著 第三書房 1950)
調査にあたって
依頼者は、すでに他の図書館でも色々と調べたのだが、ブッセの詩や詩集が、ドイツ語、日本語訳とも見付からないとのこと。詩集を探すのはあきらめ、参考としてどこかに載っているようなものを探すことにした。ドイツ語の学習書にあたったのは、『日本の詩歌』の解説に「原詩をドイツ語の教科書で......」という記述があったため。偶然、所蔵している古い学習書に掲載されていた。しかし、古いものなので原文は"ひげ文字(fraktur)"で表記されている。合理的な検索手段のない調査については、レファレンスの範囲なのかどうかも疑問のあるところだし、どんなに時間をかけても回答が見付けられないことも多いが、一生懸命に調べている人を見ると、なんとかして応えたい。今回のように、ねばり強く探した結果運良く見付けられると、書庫の中で眠っている古ぼけた本たちが、俄然宝の山のように光り輝いて見える。
作成日:1999年11月25日
郵便局の制服が緑色なのはなぜか知りたい。
回答
郵便局の制服が緑色なのは、絶対的な理由があったわけではない。緑・紺・グレーの3候補のなかで、最も人気のあった緑が採用されたのである。
キーワード
■郵便局■制服
調査過程
- ■現在の制服は確かに緑色だ。が、いまの色に変わったのはそう昔ではなかった気がする。自館システムの辞書(件名)検索で「ユウビン-レキシ」をひく。『郵政百年史資料』(郵政省編 吉川弘文館 1970)では古すぎる。『郵便創業120年の歴史』(郵政省編 ぎょうせい 1991)ではどうか。現在の制服の写真は出てくるが、それについての記述はなく、いつ変更になったのかすら出てこない。『制服の文化史-郵便とファッションと』(小林正義著 ぎょうせい 1982)という一見格好の資料も、現在の制服より前のものしか扱っていない。
- ■インターネット「Yahoo! Japan」(http://www.yahoo.co.jp/)の検索エンジンで「You Net ゆうびんホームページ」(http://www.postal.mpt.go.jp/)と「郵政省ホームページ」(http://www.mpt.go.jp/)を見てみるが、このような問いに答えてくれるようなページは発見できず。
- ■つぎに「goo」(http://www.goo.ne.jp/)で、「郵便局」「制服」の複合検索をして、"ていぱーく(逓信総合博物館)"の「デジタルパーク郵政館」(http:/www.iptp.go.jp/museum/)のなかの「通信と郵便局の歴史」に「制服の移り変わり」のページを発見。「昭和63年(1998)秋から、ブルーとグリーンのミックス調の色でブレザー型のスタイルに一新しました」とあるが、その理由は書かれていなかった。郵政研究所などほかのホームページも覗いてみるが、これ以上の収穫はなかった。
- ■地元の郵便局にわかることがないか問い合わせてみる。すると、郵政省の下に郵政局があり、そこに尋ねてくれるとのこと。郵政局のユニフォーム課より返答。「昭和63年7月25日に変更され、候補が緑・紺・グレーの3パターンあった。一般も含めたアンケートにより緑に決定した」そうである。
参考資料
調査にあたって
解答のないレファレンスである。今回の場合は「解答(理由)がない」ことを説明できたから、「あるはずの解答(理由)」を求めてさらなる迷走をせずに済んだ。"ていぱーく(逓信総合博物館)"は、郵政省・NTT・NHK・KDDの共同運営による日本で唯一の「情報通信関係の総合博物館」。1902(明治35)年に誕生した「郵便博物館」の流れを汲んで、1964(昭和39)年に現在地(東京都千代田区大手町)に開館した。
作成日:2000年3月31日
黒田の献上帯の5色とは何色か。
回答
紫・赤・黄・紺・青である。
キーワード
■博多織■献上■黒田氏■独鈷華皿(トッコハナザラ)
調査過程
- ■依頼者は、着物の着付けの勉強をしており、その試験に出たとのこと。『きもの用語大辞典』(主婦と生活社 1979)を「黒田」で引くが出てこず。
- ■「黒田」とは「黒田氏」か「黒田藩」か。『国史大辞典』5巻(吉川弘文館 1984)を「黒田氏」で引いてみる「福岡藩主」という記述あり。福岡といえば博多、博多といえば博多織ではないだろうか。
- ■前掲書第11巻で「博多織」を引いてみる。「紫・赤・黄・紺・青」との記述あり。
- ■念のため、書庫のほかの資料にもあたってみる。『服装大百科事典』下巻(被服文化協会編 文化出版局 1971)で「博多織」の項目を見る。「献上」の参照項目があり、同上巻のそれを見ると色について同じ記述がある。江戸時代に福岡の黒田藩から幕府に献上された独鈷華皿 の柄の博多帯を「献上」と呼ぶことが分かる。
- ■『日本史大事典』5巻(平凡社 1993)、『世界大百科事典』22巻(平凡社 1988)にも「博多織」の項目に記述あり。
参考資料
- ◆『国史大辞典』11巻(吉川弘文館 1990)
- ◆『服装大百科事典』上巻(被服文化協会編 文化出版局 1971)
- ◆『日本史大事典』5巻(平凡社 1993)
- ◆『世界大百科事典』22巻(平凡社 1988)
調査にあたって
依頼者にも黒田の献上帯=博多織との認識がなかった。「献上」が固有名詞だとは思わなかったので、「黒田」から「博多織」へとたどり着いた。開架の参考図書では「献上」から色の記述が出てこないので、結果的にはよかったと思っている。
作成日:2000年2月20日
かぐや姫がうぐいすの卵から生まれたという話を読みたい。
回答
『語られざるかぐやひめ』に『今昔物語集』の竹取説話、『海道記』の竹取説話、『古今和歌集序聞書三流抄』の竹取説話の3種類が紹介されている。
キーワード
■かぐや姫■鴬姫■「竹取物語」■卵
調査過程
- ■『日本昔話事典』(稲田浩二ほか編 弘文堂 1977)を見るが、「竹取物語」「竹姫」の項には記載なし。「鶯」の項に、"かぐや姫の異伝に「鶯姫」の伝承がある"と書かれている。自館システムで「ウグイスヒメ」で検索し、資料にあたってみるが、かぐや姫の話ではない。
- ■『日本説話伝説大事典』(勉誠出版 2000)には記載がない。『日本伝奇伝説大事典』(角川書店 1986)の「かぐや姫」「竹取説話」の項、『上代説話事典』(雄山閣出版 1993)の「卵生説話」の項に、『海道記』に鶯の卵から生まれたかぐや姫の話が収められているとある。
- ■『新編日本古典文学全集』48「中世日記紀行集」(小学館 1994)の「海道記」にあり。また『日本伝奇伝説大事典』「竹取説話」の項の参考文献に『定本柳田国男集』26(筑摩書房 1979)があったのでこれにあたってみると、「鶯姫」の話が載っていた。
- ■『語られざるかぐやひめ』(高橋宣勝著 大修館書店 1996)を見てみると、「竹取説話と『竹取物語』」という部分に、『今昔物語集』の竹取説話、『海道記』の竹取説話、『古今和歌集序聞書三流抄』の竹取説話の3種類が紹介されている。
参考資料
- ◆『新編日本古典文学全集』48「中世日記紀行集」(小学館 1994)
- ◆『語られざるかぐやひめ』(高橋宣勝著 大修館書店 1996)
- ◆『定本柳田国男集』26(筑摩書房 1979)
調査にあたって
『日本昔話事典』「鶯」の項に「見るなの座敷」を参照、と書かれていた。この項を読んでみると、自館システムで「ウグイスヒメ」を検索しヒットした紙芝居「うぐいすひめ」の話とよく似ている。かぐや姫を鶯姫とも言い、鶯姫が出てくる話は竹取物語の他にもあるということで、調べながら混乱してしまった。昔話の奥深さを改めて実感し、同時に柳田国男の研究にも感心させられた事例だった。
作成日:2001年3月11日
高峰三枝子の唄った「湖畔の宿」の舞台になった場所はどこか知りたい。
回答
群馬県榛名湖にある「湖畔亭」が舞台である。「湖畔の宿」は1940(昭和15)年に、佐藤惣之助作詞、服部良一作曲で作られ、高峰三枝子が唄った。感傷的な詩とメロディーゆえに戦時体制下にふさわしくないと、いったん発売中止になったが、前線の兵隊たちの間で愛唱されて流行った。舞台は、諏訪湖、浜名湖、山中湖など諸説があったが、佐藤惣之助の手紙が見つかり榛名湖と明らかになった。このことについては、1989(平成元)年1月28日の夕刊フジに紹介されている。
キーワード
■「湖畔の宿」■高峰三枝子■流行歌■佐藤惣之助
調査過程
- ■『歌暦五十年』(丘十四夫著 全音楽譜出版社 1954)で「湖畔の宿」を検索する。佐藤惣之助作詞、服部良一作曲、昭和15年発売等の記載はあるが、舞台についてはなし。
- ■『日本流行歌史』(古茂田信男ほか著 社会思想社 1970)で「湖畔の宿」を検索するがやはり上記以上の記載がない。
- ■『日本のうた 流行歌編』(丘灯至夫著 雪華社 1968)で「湖畔の宿」を検索するが舞台については記載なし。
- ■インターネットの検索エンジン「Google」で「湖畔の宿」と「佐藤惣之助」のキーワードで検索すると数件あり。その中の「湖畔亭」という旅館のホームページに作詞者の手紙およびそのことについての新聞の紹介記事あり。
参考資料
調査にあたって
日本の流行歌に関しての質問がたまにあるが、クラッシックミュージックやポピュラーミュージックなどと違い事典類などもなく以外と探しにくい。今回の質問も、当館所蔵の音楽や流行歌史に関する資料にはなく、インターネットの検索エンジンから実在の旅館「湖畔亭」のホームページを見つけ、回答を得た。インターネットで得られた情報の場合、趣味や個人的意見などで掲載している情報もあるので、事実か確認をとってから利用者に提供したほうが良いと思われる。今回の場合は、確認はとれなかったが作詞者の手紙と新聞紹介記事がホームページに紹介されていたので、その旨利用者に回答した。
作成日:2001年8月12日
龍の体は何色ですか。
回答
龍の体色は五色で、色別に、黄龍、青龍(蒼龍)、赤龍、白龍、黒龍と種類わけできる。これは、五行説の五色によったものである。『十二支巧』によると、『管子』、『隋書』、『南史』に、龍は五つの色を持っていると書かれており、『宋史』には、虹のように分明であったり、とかげのように変化して、黄・青・赤・白・黒の五色が一体となっている場合もあると説明されている。
キーワード
■龍■体色
調査過程
- ■自館システムで、「リュウ」で件名(主題)検索をし、民俗学系の図書『龍の百科』(池上正治著 新潮社 2000)にあたると、「黄龍」、「青龍」についての話が記載されていた。また、「ミャオ族には「龍を迎える」習慣があり、東から青龍、南から赤龍、西から白龍、北から黒龍、中央から黄龍を呼び出す呪文を唱える」という記述もあった。
- ■さらに、『龍の伝説』(水野拓著 光栄 1996)にあたるが、龍の形態については体の部位ごとに詳しく記載されていたが、体の色についての記載は見つからなかった。
- ■『龍の起源』(荒俣紘著 紀伊国屋書店 1996)、『龍伝説』(林義勝著 日本放送出版協会 1999)、『龍のファンタジー』(カール・シューカー著 東洋書林 1999)等の図書にもあたるが、記載されていなかった。
- ■次に、『龍百態』(文人画研究所編 日貿出版社 1987)等の龍の絵画にあたるが、墨絵のようなものがほとんどで、色について判明するようなものは見つからなかった。
- ■基本に戻り、百科事典類や『幻想動物事典』(草野巧著 新紀元社 1997)にあたるが、体についての説明のみで、色については書かれていない。
- ■龍(辰)は十二支のひとつであることから、この関係の図書にあたってみる。『十二支攷』第3巻(前尾繁三郎著 前尾繁三郎先生遺稿集出版刊行会 2000)に龍の体色についての記述があった。この図書によると、『管子』水地篇には「竜は水に生じ、五色を被りて泳ぐ。故に神なり」とあると、記載されていたので、『新釈漢文大系』管子(明治書院 1989)にあたり、記述を確認した。
参考資料
- ◆『新釈漢文大系』管子(明治書院 1989)
- ◆『十二支攷』第3巻(前尾繁三郎著 前尾繁三郎先生遺稿集出版刊行会 2000)
調査にあたって
作成日:2003年9月21日
正岡子規『竹の里歌』にある甲州一五坊とは誰か知りたい。
回答
「一五坊」は子規門俳人である新免一五坊(1879~1941)のこと。一五坊は、山梨県在住中には白雛会に属して後進を指導した。
キーワード
■正岡子規■新免一五坊(しんめんいちごぼう)■「竹乃里歌」■俳人
調査過程
- ■依頼者に出典を確認。正岡子規の歌集『竹乃里歌』の明治35年の長歌の詞書にあるとのこと。
- ■自館システムで「タケノサトウタ」を書名検索し、『子規全集』6巻(正岡子規著 講談社 1977)を見ると、「竹乃里歌拾遺」の「おくられものくさぐさ」に「やまめ(川魚)三尾は甲州の一五坊より」とある。「一五坊」についての注はないが、地名ではなく人名(イチゴボウという俳号)だと判断する。
- ■『子規全集』22巻の年譜で明治35年を見ると、8月16日の部分に「やまめ三尾(新免一五坊より)」の記載あり。同書の「子規門俳人略伝」を見ていくと「新免一五坊」は岡山県出身だが、山梨県にもいた旨の記述あり。
- ■『詩歌人名事典』(日外アソシエーツ 1993)などで「新免一五坊」を探すが記載なし。
- ■『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社 1994)に「新免一五坊」の記載あり。
参考資料
- ◆『子規全集』22巻(正岡子規著 講談社 1978)
- ◆『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社 1994)
調査にあたって
依頼者は「地名だと思い『角川日本地名大辞典』を見たが載っていなかった」とのこと。そこで、「竹乃里歌拾遺」のこの部分を見ると、子規晩年の病床で、お見舞いにもらった品々に対して長歌を作ったもので、「やまべ(川魚)やまと芋は節より」(長塚節より)という記述があることから、「一五坊」についても同様に人名であるだろうと判断した。このように、調査に取りかかる時、まず最初にその質問の出典をあたると回答のヒントが得られることがよくある。専門家による解説や注を見ればわかるだろうと思ったが、該当部分については注などがなかった。しかし年譜により新免一五坊という人物であることがわかった。また、「子規門俳人略伝」の項により、山梨県にいたことが確認できた。更に名前の読み等を確認するために人名事典を用いた。『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社 1994)は古代から現代に至る5,100人を収録している地域人名事典。岡山県については、このほかに『岡山県大百科事典』全2巻(山陽新聞社 1979)もある。このような各県ごとの事典は、中央では活躍しなかった地方の文化人を調べる場合などにとても便利である。
作成日:1998年7月14日
甲府空襲のときに使われた油脂焼夷弾の構造を知りたい。
回答
1942(昭和17)年、米軍は日本本土攻撃用として、新しい油脂焼夷弾を開発した。それは石油工業の副産物であるナフサネートとヤシ油などの油脂に水素を添加して作ったパーム油、それに亜鉛、鉛、燐、ガソリンなどを配合してゼリー状油脂とし、これを六角形の金属筒に充填したものである。これは、主材のナフサネートの頭文字とパーム油をとってナパーム焼夷弾と呼ばれた。(『東京大空襲・戦災誌』3巻より)詳しい構造図は、『東京大空襲・戦災誌』3巻の他、『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)、『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)に掲載あり。
キーワード
■ナパーム弾■焼夷弾■甲府空襲■空襲
調査過程
- ■依頼者が油脂焼夷弾について知ったという『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)を見ると、「投下した焼夷弾の種類は、おもに二・八キロ油脂焼夷弾と若干の一・八キロエレクトロン焼夷弾と五〇キロ級油脂焼夷弾の混用だった」と記載あり。
- ■『甲府空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編 甲府市 1974)を見ると「第三編(資料編)」の「米国側の甲府空襲に関する資料」の項に「東京空襲を記録する会提供」と記載あり。
- ■自館システムで「トウキョウ クウシュウ」を辞書検索し、『東京大空襲・戦災誌』3巻(東京空襲を記録する会 1974)を見ると、「M69集束焼夷弾分解図」の掲載あり。
- ■「NDC210.75 日本史(太平洋戦争)」の書架に行き、日本の空襲について書かれた本で図版のあるものを探す。『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)、『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)などに構造図の掲載あり。
参考資料
- ◆『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)
- ◆『東京大空襲・戦災誌』3巻(東京空襲を記録する会 1974)
- ◆『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)
- ◆『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)
調査にあたって
「甲府空襲に使われた」ということだったので、どのようなものか確認するために郷土資料室で『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)と『甲府空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編 甲府市 1974)を見た。甲府に落とされた焼夷弾の構造について書かれている資料は見付けられなかったが、『甲府空襲の記録』には東京空襲の記録資料を引用しており、甲府の空襲も東京の空襲もほぼ同じものが使われていた(攻撃地域による区別はなかった)と判断した。そこで、甲府空襲から離れ、太平洋戦争中の日本への空襲の資料を見ることにした。
作成日:1998年10月24日
色で「希望」を表すとしたら何色か。
回答
『色彩いろいろ事典』(河原英介著 ビジネス社 1984)『日本色彩事典』(武井邦彦著 笠間書院 1978)によると「黄」は、古代ローマや中国では帝王の色とされ、我が国でも皇太子の服は黄丹で、価値高い色であった。しかし、キリスト教の社会では、ユダの着物の色から、裏切りの色として嫌われていた。一般的には「黄」は、黄金色に輝く太陽のイメージから歓喜、快活、光明、希望、発展を表している。しかし、「黄色」を使った言葉には、ねたみ、嫉妬、陰気、臆病などあまり良い意味のものがないという、極端な二面性を持っている色である。また、『花物語』(蟹江敏著 文芸社 1998)の「花言葉」では「緑」が希望を表す色として紹介されている。
キーワード
■色■希望■黄色■緑色
調査過程
- ■『日本国語大辞典』第2版(小学館国語辞典編集部編 小学館 2001)、『広辞苑』第5版(新村出編 岩波書店 1998)等で「希望」を調べるが、色についての記載なし。
- ■次に色彩関係資料で「希望」を調べるが、『色彩上手』(布矢千春著 はまの出版 1996)、『原色色彩語事典』(香川勇編著 黎明書房 1988)等には記載がない。
- ■『色彩いろいろ事典』(河原英介著 ビジネス社 1984)で調べると黄色の項目に表記がある。他の色の項目には「希望」はなし。
- ■『日本色彩事典』(武井邦彦著 笠間書院 1978)で「黄」を検索すると、歓喜・快活・希望などを表すが、花言葉においては、黄色い花は不吉・不安などの意味を持つとあり。
- ■『花物語』(蟹江敏著 文芸社 1998)にあたると、花言葉は、色の法則によって成り立っており、「黄」は喜び・幸福、「緑」は希望の感情を表すとあった。
参考資料
- ◆『色彩いろいろ事典』(河原英介著 ビジネス社 1984)
- ◆『日本色彩事典』(武井邦彦著 笠間書院 1978)
- ◆『花物語』(蟹江敏著 文芸社 1998)
調査にあたって
この質問に対しては、「色」「希望」「イメージ」「花言葉」などのキーワードから資料を検索した。しかし、回答は「色」がイメージする「言葉」という抽象的なものなので非常にむずかしかった。
作成日:2002年2月10日