根津 嘉一郎(ねづ かいちろう)   1860(万延元)年〜1940(昭和15)年

 山梨郡正徳村(山梨県山梨市)出身の実業家。貴族院議員。
 東京馬車鉄道、富士身延鉄道、東武鉄道などの鉄道事業や日清製粉、日本セメント、 東京紡績、富国生命などの経営に携わり「甲州財団」と称された。
 山梨県教育会館図書館(山梨県立図書館)建設、平等小学校(山梨小学校)校舎建設、 山梨高等工業学校(山梨大学工学部)への土地提供、県内全小学校へのピアノ寄付など 郷土への貢献も積極的に行った。



長田 徳本(ながた とくほん)   1513(永正10)年〜1630(寛永7)年

 室町時代から江戸時代にかけての医者。
 甲斐国に長く住んだことから「甲斐の徳本」とも呼ばれた。
 最初、武田信虎に医者として仕え、後、信濃に移住。武田家滅亡後、甲斐に戻る。
 元和年間に上岩崎村(現 勝沼町)においてぶどうの棚架法を考案し、ぶどう栽培の 発展に貢献した。寛文年間には江戸に赴き、徳川秀忠の病気を治したといわれる。



行基(ぎょうき)   668(天智天皇7)年〜749(天平勝宝元)年

 奈良時代の法相宗の僧。河内国(後、和泉国)大鳥郡(現 大阪府)に生まれる。
 法相宗の高僧、道昭らに学び、特に農民などを対象とした民間布教に努めた。東大寺 の大仏造営にも力を尽くした。甲斐国には、大善寺、雲峰寺、法城寺など行基が開基と 伝えられる寺も多い。



甲府城(こうふじょう)

甲府城
 甲府盆地の中央に位置する平城(ひらしろ)。舞鶴城とも呼ばれる。
 1583(天正11)年、徳川家康の命令で築城を始め、加藤光泰、浅野長政、浅野幸長父 子、平岩親吉らの手を経て完成する。長年、城主の居住がなかったが、徳川綱重、柳沢吉 保が城主の時代に修復工事を行った。柳沢氏が大和郡山に転封となった後は勤番支配とな り荒廃、さらに火災により本丸、やぐら門などが焼失した。
 明治時代に入り、門を撤去、堀を埋め、市街地の一部となった。現在は公園となってい る。



フィロキセラ(Phylloxea)

 ぶどうに寄生する害虫。日本では「ブドウネアブラムシ」の名で呼ばれる。成虫は体 長0.9ミリから1.1ミリと小さいが、ぶどうに与える被害は大きく、寄生されると1年 もたたないうちに養分を吸われて枯死してしまう。駆除するためには木を焼却するか、免 疫を持つ木を接ぎ木する方法しかない。
 19世紀後半ヨーロッパのぶどう産地に壊滅的な被害を与えた。日本に上陸したのは明 治15年前後、山梨ではじめてその被害が認められたのは明治43年という。

【関連情報】兵庫県稲美町のホームページ(http://www.kakogawa.or.jp/inamitown/index.html)
      「播州葡萄園」に関する情報があり、フィロキセラの被害なども
      掲載されています。



頼 山陽の漢詩

題不識庵撃機山図       不識庵の機山を撃つ図に題す

鞭声粛粛夜過河        鞭声 粛粛 夜 河を過(わた)る
暁見千兵擁大牙        暁に見る 千兵の大牙を擁するを
遺恨十年磨一剣        遺恨 十年 一剣を磨き
流星光底逸長蛇        流星光底 長蛇を逸す

(語義)
不識庵(ふしきあん):上杉謙信       機山(きざん)   :武田信玄
鞭声(べんせい)  :馬に鞭をあてる音   粛粛(しゅくしゅく):静かな様子
大牙(たいが)   :大将の旗
遺恨:長い恨み   磨一剣:武術を鍛練する   流星:剣の光のひらめき
光底:光の下    長蛇:蛇にたとえた武田信玄

(解説)
謙信は信玄の機先を制すべく、夜半に妻女山を下り、鞭の音も静かに千曲川を渡る
武田軍は、暁の中、数千の兵が大将の旗を中心に突撃してくるのを発見した
謙信は、長年、磨きぬいた太刀を振りかざし
信玄に襲いかかったが、わずかなところで打ちもらしてしまう

永禄4年の川中島の戦い、上杉謙信と武田信玄の一騎打ちを詠じた七言絶句。

上杉謙信の無念の胸中をうたったもの。



松平 定能(まつだいら さだまさ)  1758(宝暦8)年〜1831(天保2)年

 江戸時代の幕府の役人、文化人。
 1805(文化2)年、甲府勤番支配を命じられるにあたり、甲斐国の地誌の編纂を企画、 内藤清右衛門らを登用し、自ら中心となって編纂作業を行った。9年の長い年月をかけ て完成した地誌は「甲斐国誌」全124巻71冊として1814(文化11)年に完成、高く評価さ れた。「甲斐国誌」は現在でも郷土の研究に欠かせない基本的資料として利用されている。



ポール・ラッシュ  1897(明治30)年〜1979(昭和54)年

 アメリカ・ケンタッキー州出身の教育家。山梨県高根町清里の発展に尽くした。
1925(大正14)年来日、立教大学教授を勤めながら、日本にアメリカンフットボールを紹 介するなど文化・スポーツ面でも貢献した。1938(昭和13)年には清里村(現 高根町清里) に清泉寮を建設、戦後はここを拠点として農村復興、実践教育を展開した。
1956(昭和31)年にはキープ協会を設立し、人材の育成に努めた。
山梨県文化功労者、高根町名誉町民、大泉村名誉村民。



雨宮 勘解由(あめみや かげゆ)  [鎌倉時代頃]

 甲州葡萄の発祥にまつわる伝説の人物。甲斐国、上岩崎村(現 勝沼町)の住民。
1186(文治2)年、「城の平」の祭礼の帰路、野生のぶどうの木を発見し自分の畑に移し栽 培したところ、数年後に赤紫の実をつけた。これが甲州ぶどうの発祥といわれる。
勘解由には善光寺参詣の帰路の源頼朝に甲州ぶどうを献上したという伝説もある。



仮名書魯文(かながき ろぶん)

 江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した戯作者。本名、野崎文蔵。
新しい時代の世相や風俗を描いて人気を得た。
代表作に「西洋道中膝栗毛」、1870(明治3年)、「安愚楽鍋(あぐらなべ)」1871(明治4)年などがある。


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