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芝居の話

[紹介資料]上下府中町触れ御用留帳芝居番付鸚鵡石甲斐の手振り


 甲府における芝居の起源ははっきりしていない。
『甲州文庫』資料の、正徳三年(1713)の「上下府中町触れ」(資料1−ア)、「御用留帳(享保15年)」(資料1−イ、1−ウ ) から推察すると、江戸時代多くの民衆に楽しまれ、育まれた歌舞伎芝居は、この時期の甲府城下でも盛んだったと思われる。

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上下府中町触れ」(資料1−ア)

 

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「 御用留帳」(資料1−イ)

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同(資料1−ウ)


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 これ以降、江戸時代中後期にかけてますます盛んになった。背景としては、享保九年(1724)以降幕府領となり、甲府城下は勤番支配が置かれ、勤番士が江戸から赴任して来るようになり、江戸の文化・風俗の流入が進んだ。その影響からか、甲府で行われた歌舞伎芝居には、江戸役者の名前が多く見られる。
 この頃はお寺の境内で芝居興行が行われていた。
明和元年(1764)になると、富裕な町人であった亀屋与兵衛が光沢寺境内に芝居小屋建設の願い出をし、翌年、金手町教安寺境内に移って小屋が建設された。享和三年(1803)二度目の火災に見舞われた後、西一条町に劇場が建設され、亀屋座と称し盛況を博した。(資料2)  後に、若松座と改称された。

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「芝居番付」(資料2)

 

明治に入ると、魚問屋の三井与平が三井座を創設、亀屋座と対抗した。三井座は後に櫻座と改称された。(資料3)

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「芝居番付」(資料3)

資料2、3は「芝居番付」と呼ばれた興行案内チラシである。

 歌舞伎の名台詞を抜書きした小冊子までも発行された。「鸚鵡石(おうむせき)」 と呼ばれた。(資料4-ア、4-イ)

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「鸚鵡石」(資料4-ア)
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同(資料4-イ)
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なお,嘉永三年(1850)に 成立した勤番士宮本定正の見聞書である「甲斐の手振り」
(『甲斐志料集成』巻十二 甲斐志料刊行会1935)によると、繭から糸をとる仕事をしていた女性達の芝居への思い入れは、その賃金を「府の夏芝居にすつ」(資料5-ア、5-イ)というほどであった。

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「甲斐の手振り」(資料5-ア)
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同(資料5-イ)
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