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館長ギャラリー

 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第6回講義を行いました。第6回のテーマは、『落ち穂拾い』でした。
 
 講義では、「冬の寒さにはモモヒキがありがたい…」と始め、百人一首100番「百敷や…」(順徳院)の歌を、ユーモアを交えて紹介しました。「百敷」は石を敷き詰めた立派な屋敷、宮廷を指しており、宮廷の軒端に生えるしのび草からかつての宮の盛りを思い出す…という内容。承久の乱で配流された順徳院ですが、同じく配流された後鳥羽院(99番作者)の歌とともに百人一首の最後に選ばれているのは、定家の二人の歌へのリスペクトがあったからではないかと語りました。



話をする館長の様子(話をする館長の様子)

 
 
 また、紀貫之によって書かれた「古今和歌集序」を取り上げました。「古今和歌集序」には、和歌は天地の初めからありましたが、神の世では文字が定まっていなかったとあり、人の世になり、スサノヲノミコトが初めて31字の和歌を詠んだとしています。館長は、スサノオの歌「夜久毛多都…」を挙げ、日本語の音を文字で表現する、仮名の歴史に触れました。特に、古事記を書き上げるにあたり、従来使われていた漢文では日本人の心までは伝わらないとし、仮名により日本語の音を伝えようとした太安万侶への感動を語りました。
講義の終わりには、クリエーションの大切さを語り、受講者にも挑んでほしいと話しました。
 


会場の様子
(会場の様子)
 
 終了後、全6回出席者に修了証書と館長のメッセージ入りサイン色紙が授与されました。
 
 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第5回講義を行いました。第5回のテーマは、『四季を考える』でした。
 
 講義では、近日の大寒波などに触れ、逃れられない四季の辛さとよろこびを語りました。四季の変化は生活していくには時に切ないものですが、文化の発達した国でこれほど四季の区別がはっきりしている国はめずらしく、逃れられない以上、日本人はこの四季をよろこびとしてよいのでは、また、よろこびとしていかねばならないと語りました。
 四季が国民性に与える影響は大きく、日本人の多彩な色彩感覚が庶民にまで及んでいたことを話しました。また、四季、自然が変化していくことが、うつろいゆくことへの寛大さ、あるいは諦観(あきらめ)と関連する語り、諦観文学は世界中に見られますが、日本においても根深く存在すると話しました。

話をする館長の様子(話をする館長の様子)

 
 
 和歌文学においても、この特徴が反映されており、小倉百人一首の一般的な分類において恋の歌に次いで四季の歌が多く選ばれています。万葉集の和歌は、自然に自分の思いを詠みましたが、古今和歌集、新古今和歌集では文学的な考え方が変わり、技巧的になっていったとともに、恋の歌においてフィクションが入ってきたと語りました。例えば、97番「来ぬ人を…」は定家の歌ですが、定家自身が女性を待つ時の歌ではなく、恋人を待つ女性の気持ちをイマジネーションして詠んでいます。しかしながら、四季の歌は依然としてリアリズム傾向が強く、四季の実際の様子を美しく、多彩に享受する習慣があったと話しました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 
 講座の後半では、小倉百人一首の中から、春から秋の歌を取り上げ、解説しました。
 また、生活の中でクリエーションの心を持ってほしいと受講者に呼びかけ、自身は俳句を作りませんが、「歳時記」を愛読し創作のヒントとすることもあると話し、四季ごとの季語をまとめた「歳時記」があること自体が国民性だと語りました。
 
 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第4回講義を行いました。第4回のテーマは、『文学と恋』でした。
 
 講義では、文学とはまず初めに詩歌があり、詩歌が民衆の支えであったと話しました。詩歌に踊りが入り、役割が生まれ、物語的になることで、演劇となりました。日本でも、万葉集などの短い歌があり、猿楽や能、そして歌舞伎が生まれました。小説の誕生は、それよりずっと後、文字を読む力、紙、印刷技術の発達が伴うことで生まれたと話しました。現代小説は19~20世紀のフランスがリードしていましたが、これには17世紀のルイ王朝時に成熟したフランス古典劇があったことが関わるとし、三(時、場、筋)一致の法則を守る、その法則を破る、あるいはまったく次元を異にするクリエーションの方法があると語りました。

話をする館長の様子

(話をする館長の様子)
 
 
 日本の歌は、まず万葉集に見られるような日常を自然に詠む詩歌がありました。これが、宮廷社会でどう変わっていったかについて、館長はイマジネーションの変化があったと語りました。「こうなったらどうだろう」というようなフィクションが古今和歌集で生まれ、新古今和歌集のころにはっきりしてきたと話しました。貴族社会の洗練されたイマジネーションは、武士社会で衰退し、日常を真っ直ぐに見つめて詠む俳句が栄えたことを挙げ、俳句が短詩系日本文学の中で「次元を異にする」クリエーションとなったのではないかと語りました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 
 百人一首の一般的な分類では、恋の歌と秋の歌が多いとし、88番「難波江の…」や、19番「難波潟…」、54番「忘れ路の…」を挙げ恋の歌について語りました。また、恋の幸福と恋の美学について語りました。恋愛は長くは続かず、素敵な恋が素敵な結婚にはならぬようであり、異質の幸福を求めていく必要があるのではと話し、恋の美学は「恋として素晴らしかった」と過去形で語られるべきだと語りました。
 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第3回講義を行いました。第3回のテーマは、『待つことと文学性』でした。
 
 まず、百人一首に選ばれた女性の歌詠みたちとその歌について語りました。
小式部内侍の歌については、和歌の名人であった母・和泉式部が夫の赴任に伴い京を離れた際に歌会が催される時のこと、年上の恋人であった藤原定頼に「和泉式部がおらず(歌を代わりに詠んでもらえず)心細いでしょう」とい冷やかされたときに詠んでみせた歌であると語りました。大弐三位、小野小町、藤原道綱母らの歌にも触れ、日本語の音が他の言語と比べ少ないからこそ、かけ言葉などの妙が生まれたと話し、栄華を極めた藤原北家についても語りました。

話をする館長の様子

(話をする館長の様子)
 
 
 今回のテーマである「待つこと」については、まず芥川龍之介の「尾生の信」について語りました。「尾生の信」は、もとは中国の故事で、尾生という男が橋の下で女を待ち続け、川の水があふれて死んでしまう物語。芥川は、尾生の魂が流転し己の身に宿ったために、夢見がちに、何か来きたるべき不可思議なものばかりを待っていると記しました。館長は、何かを待つ間に広がる想像の大きさ、思いの深さを語り、待つことは大きな意味を持つと話しました。平安期の女性にとって「会う」ということは、その人を「待つ」ということであり、藤原定家の「来ぬ人を…」、素性法師の「今こむと…」の歌は、詠み手は男性ですが、いずれも女性の気持ちを詠っていると語りました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 
 「待つ」ことを取り上げた文学として、S.ベケットの戯曲「ゴトーを待ちながら」を挙げ、クリエーションの方法について語りました。18世紀フランスの演劇界では、三(時、場、筋)一致の法則が提唱され、ラシーヌらはこれを守って作品を作り上げ、19世紀にユーゴーらがこの法則を破り、さらに20世紀半ばからどちらにも属さないベケットらのようなアンチテアトルが生まれたと話し、権威、それに対するもの、それらの次元を異とするものというクリエーションの方法があると話しました。
 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第2回講義を行いました。第2回のテーマは、『女性たちの嘆き』でした。
 
 講義では、古くから今日にいたるまで、社会の構造が女性を幸福にしてこなかったことを語り、きらびやかな平安時代の宮廷においても決して幸福ではなかったと話しました。万葉集では素朴で明るい歌もありましたが、平安期の歌は貴族社会のもとで男性が支配する社会で生きた女性の嘆きがありました。清少納言や、小野小町など栄華を誇ったとされる女性たちであっても、寂しく哀しい最期であったと話しました。

話をする館長の様子

(話をする館長の様子)
 
 
 今回の講義では、特に和泉式部について語りました。 「紫式部日記」中の、和泉式部、匡衡衛門(赤染衛門)、清少納言の3人の評価の比較を取り上げました。紫式部は、和泉式部の和歌についてちょっとした表現にも色つやがあり、本格的ではないものの、必ず魅力ある一点があるとしました。館長は、詩人として大切なことは、学術的に、「歌とはこうあるべき」というような点で優れるよりも、和泉式部が持つこのような面であり、時代を貫き評価される所以だと話しました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 
 また、和泉式部の歌「あらざらむ…」を取り上げました。一般に「あらざらむ」は、「この世」にかかるとされ、和歌の端書にもあるように、病にかかって死が迫るわが身を表すとされています。しかし、館長は「あらざらむ」ということばが、「この世」「この世のほか」「この世のほかの思い出」の三つのことばそれぞれかかる読み方が出来ると話し、「この世の他の思い出」が無くても、この世のものが一切なくても、一つの真実としてあなたに会えたら良いのにと詠っているようにも読めると語りました。また、和歌から着想を得てストーリーを広げた小説作品として、自身の「めぐりあひて」や、中川与一著「天の夕顔」を挙げました。

 2017年11月4日(土) 山梨市立図書館で館長出張トークを行いました。同図書館のリニューアル一周年を記念しての講演会でした。
 約60名の市民を前に「読書の楽しみ、図書館の役割」と題して講演を行いました。少年期に父親の蔵書(落語全集、芥川龍之介の小説など)を読み、読書の楽しみを覚えた経験、そうした若い頃の読書が自分の生涯に与えた影響について話されました。
 また、読書の習慣は孤独に耐える糧となることにも言及されました。
 大人が子どもに本を贈ってもらいたい、それが子どもの喜びとなること、県では、今、本を贈るという習慣を広める事業を行っていることも紹介してくださいました。 

話をする館長の様子

(話をする館長の様子)

 

会場の様子(会場の様子)


 館長連続講座「小倉百人一首を楽しく」の第1回講義を行いました。第1回のテーマは、『「小倉百人一首」の成立とあらまし』でした。受講に際して、知識を増やすことに加え創造性(クリエイティビティ)をぜひ培っていただきたいと語りました。
 
 講義では、かつて文字を持たなかった日本人が、中国文化を基に仮名を開発したことを話しました。また、公の文書は全て漢文で書かれていた中、日本人独自のものを表すためにひらがながあったと語り、五七調のやかけ言葉など早くから言葉で楽しむ文化があったと話しました。

話をする館長の様子
(話をする館長の様子)
 
 
 小倉百人一首については、藤原定家が小倉山の山荘の障子に張る色紙のため万葉時代の天智天皇から順徳院までの秀歌を選んだものと語り、今回は特に紫式部の歌を取り上げました。
 紫式部の歌「めぐりあひて…」は、古くからの友人を偶然見かけた時に詠まれた歌だと添書きがありますが、友人ではなくかつての恋人であり、恋多き人ではなかった紫式部の偉大なる千年の嘘ではないかと語りました。また、文学は作家の手を離れれば鑑賞する人に鑑賞の権利があり、直感でどう感じるかによって読書が深くなると話しました。  清少納言の歌にも触れ、孟嘗君の函谷関のエピソードを基にした教養あるやりとりを紹介しました。
 

会場の様子
(会場の様子)
 

約450名の生徒を前に、自身の読書体験、高校時代の記憶に残る授業や先生のエピソード、作家人生の端緒について語り、読書の習慣を身に付けることの重要性、楽しさを強調しました。
物事をきちっと深く考えるには、関係する本を1ページから最後のページまで著者と対話する気持ちで真剣に読んでみることを勧めました。

 

話をする館長の様子1話をする館長の様子2

(話をする館長の様子)

 

記念品を受け取る館長の様子

(記念品を受け取る館長の様子)

約800名の全校生徒を前に「若い日の読書」と題して講演を行いました。 少年期の様々な本との出会いを通して読書の楽しさを発見したこと、また、本の余白に感想を書き(マージナリア)、著者と対話しながら本を理解することの大切さを強調しました。

 

(講演を行う館長の様子)

 

(会場の様子)

7月30日(日曜)、「戦後72年市民の記憶を語り伝える会」(都留市まちづくり交流センター)において、「戦争と平和、図書館と私~“疎開した40万冊の図書”を語る」と題し、講演を行いました。

 

講演を行う館長の様子(講演を行う館長の様子)

 

会場の様子

(会場の様子)