? 「気比丸」触雷沈没事故はいつのことか。

【回答】

昭和16(1941)年11月5日、午後10時すぎに事故は発生した。

【調査過程】
"■『国史大辞典』『日本史大事典』など日本史に関する辞典類や、百科事典を調べるが記載されていない。
■触雷(艦船が機雷に接触すること)という言葉から、戦前または戦時中に起こった事故ではないだろうかと『20世紀年表』を調べるが記載なし。同様に『大正ニュース事典』『昭和ニュース事典』『昭和災害史事典』『昭和・平成史年表』にも載っていない。
■『最新昭和史事典』(毎日新聞社 1986)に記載があった。これによると、「昭和16(1941)年11月5日午後10時過ぎ、北朝鮮航路の日本海汽船「気比丸(けひまる)」が、清津港を出て約170キロの日本海上で左舷に触雷、同39分「この波ではだめだ」の無電を最後に消息を絶った。乗客347人、乗組員89人、計436人中280人は救助されたが、156人が死亡・行方不明となった。同船は・・・(中略)・・・流線型の船体は優美で“日本海の女王”と呼ばれていた」とある。
■「東京日日新聞」(現:毎日新聞)のマイクロフィルムを見ると、昭和16年11月7日づけに大きく記事が掲載されていた。記事には、気比丸(4,522トン)は敦賀へ向かう途中の5日午後10時13分、清津から85マイル、北緯40度40分、東経131度の海上で、ソ連製らしい機雷に触れ沈没、「乗船全員救助の見込み」と書かれていた。"

【キーワード】
■気比丸(ケヒマル)■海難事故■機雷■船舶

【参考資料】
◆『最新昭和史事典』(毎日新聞社 1986)

【調査にあたって】
新聞にはあれほど大きな記事が載っていたのだが、事典類になかなか見つからず、調査した中では1冊の事典にしか記載がなかった。それも事件・事故やニュースに関する事典ではなく、風俗や・流行や発明、冒険談など、幅広いジャンルを扱った小さな事典だったので、大変意外であった。なお、東京日日新聞のその後何日間分かを見ると、事故の経緯や詳細などがさらに記載されている。

作成日:2001/1/17