甲斐の蚕糸業は、江戸時代、郡内地方と国中地方東部の諸村で盛んに営まれました。これらの村々では多くの農家が養蚕に従事し、女性たちの「農間稼ぎ」(農業の間の内職的な作業)として糸の生産が行われました。こうした糸は「登せ糸(のぼせいと)」として、京都の糸問屋へ送られました。このような蚕糸業は、江戸時代の中・後期以降、幕府の殖産政策によって両地域以外への普及が図られるようになりました。この資料は、天保11年(1840)甲府代官所から出された蚕業の奨励に関する達(触れ・通知)に対する西青沼村(甲府市)の請書(うけしょ)といわれるものです。
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