? 江戸期に庄内地方(山形県)で活躍した荒川村(現・甲府市)出身の心学者「五味長治郎道秀」について知りたい。

【回答】

五味長治郎道秀は、荒川村(現・甲府市)の出身で、寛政期から文化期にかけて、師の北条玄養とともに奥州・庄内地方へ心学の教化活動のために赴いている。

【調査過程】
■『山梨百科事典』にあたると、石門心学の学舎である甲府の洗心舎を創設した「五味安兵衛道久」という荒川村出身の心学者の名が見つかるが、長次郎道秀との関わりなどは書かれていない。
■『角川日本姓氏歴史人物大辞典』19山梨(角川書店 1989)『甲斐国志』『甲府市史』ほか、山梨県の人物資料や江戸期の甲州に関する資料を調査すると、『人づくり風土記』19山梨(農山漁村文化協会 1997)に甲州の心学者が教化活動のため諸国に赴いている旨の記載があったが、五味長治郎については書かれていない。
■一般の人名事典類に当たるが記述なし。また、『国書総目録』(岩波書店 1991)の著者索引にもない。
■山形県の歴史関係の資料にあたる。『人づくり風土記』6山形(農山漁村文化協会 1991)に心学のことが詳しく載っていたが、五味長治郎道秀については記載なし。
■心学関係の資料にあたると、『石門心学史の研究』(石川謙著 岩波書店 1938)の中に「『御高札寫心学歌聞書』(鶴岡市図書館所蔵)の覚書を見ると同じ荒川村に五味長治郎道秀という心学者があって・・」との記述がみつかる。

【キーワード】
■五味長治郎■五味道秀■心学■石門心学

【参考資料】
◆『石門心学史の研究』(石川謙著 岩波書店 1938)
◆『甲斐路』36号(山梨郷土研究会)

【調査にあたって】
後日、山梨郷土研究会で発行されている『甲斐路』36号に、「甲斐における石門心学」(野沢昌康著)の論文があるのを見つけた。そこに長治郎道秀は安兵衛道久の弟との記述があったのでその旨も利用者に回答した。県出身者といえども、県内で活躍していないと郷土資料の中には出てこないことが多い。一般の資料を重点的に調査するほうが手がかりを見つける近道になることもある。

作成日:2001/9/11