? 太宰治夫人・津島美知子が教師をしていたのは何年のことか。

【回答】

津島(旧姓・石原)美知子は、1933(昭和8)年8月4日に都留高等女学校に着任。地歴の教諭として教壇に立ち、学級主任・排球部の副顧問・寄宿舎の舎監を務めた。1938(昭和13)年9月18日太宰と見合いし、同年12月24日付けで退職した。

【調査過程】
■『現代日本女性人名録』(日外アソシエーツ 1996)などの現代人名辞典を見るが、「津島美知子」の記載なし。
■自館システムで「ツシマ ミチコ」を辞書(著者)検索し、著書『回想の太宰治』増補改訂版(人文書院 1997)を見るが、年譜や略歴の記載なし。また、本文にも教師をしていた旨の記述なし。
■山梨日日新聞データベースで「津島美知子」を検索。1997(平成9)年2月2日に「訃報 太宰治の妻、甲府出身津島美知子さん死去」の記事があり、内容を確認したところ、「甲府高女、東京女高師を卒業。都留高女(現都留高)の教師となった。」との記載あり。
■郷土資料閲覧室に行き都留高校の記念誌を探す。『同窓−都留高のあゆみ』(山梨日日新聞社 1983)の目次に「都留高等女学校・教諭集め」の項あり。「教諭集め」の項には「つつましやか太宰夫人」の副題があり、内容を確認すると、着任日及び退職日の記載あり。

【キーワード】
■津島美知子■太宰治■都留高等女学校

【参考資料】
◆『同窓−都留高のあゆみ』(山梨日日新聞社 1983)

【調査にあたって】
著書があるので人名辞典に記載があるかと思ったが、見付けられなかった。近年亡くなったことがわかっていたので、山梨日日新聞データベースで新聞記事を見ることにしたが、詳しい経歴の記載はなかった。しかし、新聞記事により教師をしていたのが都留高等女学校だとわかったので、何か手がかりがあればと思い都留高校の記念誌を見たが、予想以上に記述が多く、教師としての彼女の様子がよくわかる興味深い内容だった。

作成日:1998/6/14