? 「蕪庵」の俳人たちについて知りたい。

【回答】

蕪庵は18世紀後半から19世紀にかけて活躍した俳人五味可都里(現若草町)の号で、その後8世150年にわたって引き継がれた。2世は甥の蟹守で、蟹守からは、小尾守彦(現高根町)に引き継がれ、以後高根の俳人たちが継承した。4世清水彦貫−5世植松田彦(守彦次男)−6世小尾四友(守彦三男)−7世雨山無畏−8世浅川荊洲。8世荊洲は1931(昭和6)年に亡くなった。

【調査過程】
■俳人ということなので、まずは文学館の図録にあたってみようと思い、『山梨の文学−開館記念』(山梨県立文学館 1989)にあたる。「五味可都里の周辺」の項に記述あり。8世まで150年続いたことがわかる。また、同書を追っていくと、4世までの名前が判明。
■『山梨百科事典』増補改訂(山梨日日新聞社 1989)で蕪庵4世までの名前「五味可都里」「五味蟹守」「小尾守彦」「清水彦貫」で検索する。小尾守彦、清水彦貫の項目なし。
■『甲斐志料集成』7巻「史伝・文芸」(萩原頼平編 歴史と図書社復刻 1981)に掲載の「峡中俳家列伝」(佐藤二葉、松本守拙著)で「小尾守彦」「清水彦貫」を引くと、項目あり。二人とも「甲村」の人だということがわかる。
■『角川日本地名大辞典』19巻「山梨県」(角川書店 1984)で「甲村」を検索。現在の高根町であることが判明。
■文学館の図録で、北巨摩を取り扱った『龍之介・牧水・普羅と八ヶ岳−北巨摩の文学』(山梨県立文学館 1996)を見る。「近世の俳人たち」の項目で蕪庵を取り上げ、また「八ヶ岳南麓の俳諧」(白倉一由著)のコラムもあった。
■『高根町誌』通史編下巻(高根町 1989)で俳諧に関する項目を探す。第5章第1節「俳文芸」に小尾守彦以降の蕪庵の宗匠に関する記述あり。
■1世と2世は現若草町の人なので、『若草町誌』(若草町 1990)を見る。五味可都里と蟹守について若干記述があった。

【キーワード】
■蕪庵(カブラアン)■俳諧■五味可都里(ゴミカツリ)■高根町

【参考資料】
◆『高根町誌』通史編下巻(高根町 1989)
◆『龍之介・牧水・普羅と八ヶ岳−北巨摩の文学』(山梨県立文学館 1996)

【調査にあたって】
文学館や美術館、郷土資料館といった博物館施設で発行した図録は、それぞれの持つ専門分野に関係する調査に非常に有効である。写真図版が豊富で、それぞれの資料の所蔵が明確に記されており、解説が的確でわかりやすい。個人的に気に入ってつい使ってしまうツールである。「峡中俳家列伝」の原本は、俳人松本守拙の口述を佐藤二葉が記録して「甲斐新聞」に連載し、それをまとめて1906(明治39)年に太古庵発行された資料。江戸から明治にかけての甲州の俳人を調べるのには欠かせない。

作成日:1997/10/15