? 日野春駅の信玄旗掛松の枯死に関する裁判について知りたい。

【回答】

信玄旗掛松は武田信玄が軍旗を立て掛けたという伝説をもつ松であったが、明治37年中央線が開通し、日野春駅線路すぐそばにあった松は汽車の煤煙・蒸気・振動によって枯死してしまった。そのことに対して、大正6年、甲村(現高根町)清水倫茂は国(鉄道院)を相手取り損害賠償請求訴訟を起こした。この事件は日本最初の公害裁判判例として有名である。

【調査過程】
■『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)で「信玄旗掛松」「日野春駅」を検索するが、項目なし。
■『長坂町誌』(長坂町 1990)で「信玄旗掛松」「日野春駅」を検索する。上巻巻頭に信玄旗掛松の枯死前の写真、下巻の第八編第一章「交通」第一節「鉄道」に「日野春駅」の項目あるが、詳細な記述はなし。
■自館システムの逐次刊行物の内容書名検索で「ハタカケ」を探す。「甲斐路」74号(山梨郷土研究会 1992.8.1)に「歴史と伝説の間─「信玄旗掛松」その他」(影山政美著)の論文があることがわかる。論文中に、信玄旗掛松事件の経緯を詳しく知る資料として『甲斐路の夜明け』の紹介あり。
■自館システムの書名検索で「カイジノヨアケ」を検索する。所蔵があり『甲斐路の夜明け−「信玄旗掛松事件」とその社会的背景−』(新藤東洋男著 創研出版 1990)であることがわかる。

【キーワード】
■信玄旗掛松■日野春駅■中央線■公害裁判

【参考資料】
◆『甲斐路の夜明け−「信玄旗掛松事件」とその社会的背景−』(新藤東洋男著 創研出版 1990)

【調査にあたって】
当初まとまった研究書はないと考え、『山梨百科事典』や『長坂町誌』をあたっていたが、詳細な情報を得られなかった。「甲斐路」は郷土に関するさまざまな分野を網羅する研究雑誌で、論文検索を可能にしてあったため、今回の調査で役に立った。『甲斐路の夜明け』には参考文献も詳しく掲載があり、関連する別の資料にもあたることができた。

作成日:1997/6/11