? 小野善太郎の履歴と、彼がかかわっていた有朋義塾について知りたい。

【回答】

有朋義塾は日本メソジスト教会が開いた男子キリスト主義教育機関で、明治27年11月15日に創立、明治42年10月廃止された。塾生には農・商業の子弟が多く、英・漢・数を教授した。「峡中文壇」は有朋義塾の生徒と教師が協力し発刊したもの。小野善太郎は日本メソジスト教会の重鎮。明治8年生まれ、福島県二本松藩士の長男。有朋義塾の2代塾長として明治35年に甲府に赴任。その後日下部教会、甲府教会などの牧師を務め、山梨県での伝道は約60年に及んだ。昭和40年没。

【調査過程】
■『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)で「有朋義塾」を検索、項目あり。
■前記資料の記述に「山梨英和女学校」名があったことから『山梨英和学院八十年史』(山梨英和学院 1969)で「有朋義塾」の記述を探す。「“はかま”の着用、卒業旅行、校歌、有朋義塾」の項あり。
■『山梨百科事典』で「小野善太郎」を引く。項目があり、「甲府教会」名が見える。
■自館システムの辞書検索で「コウフ キヨウカイ」を検索する。『日本基督教団甲府教会百年史』(日本基督教団甲府教会 1979)があることがわかる。
■『日本基督教団甲府教会百年史』で「有朋義塾」を探す。第三章二節に有朋義塾の設立と活動、三節に有朋義塾の閉校に関する記述がある。
■前項の資料の記述にあった雑誌「峡中文壇」を自館システムの逐刊検索でさがす。甲州文庫に第1巻1号(明治30年1月)から第2巻1号(明治31年2月)の所蔵あり。
■『日本基督教団甲府教会百年史』で「小野善太郎」を検索する。有朋義塾、第13、16代牧師時代、死亡に関する記述あり。
■「K19(キリスト教)」の書棚を見ると、『笛吹川にそそがれた恩寵−日本キリスト教団日下部教会伝道100年・設立80年』(日本キリスト教団日下部教会 1979)があり、第4章に小野善太郎に関する記述あり。
■自館システムの辞書検索で「オノ ゼンタロウ」をひくと、著書『甲斐よりパレステナへ』(甲府教会出版委員会 1958)があることがわかる。

【キーワード】
■有朋義塾(ユウホウギジユク)■小野善太郎■キリスト教■峡中文壇

【参考資料】
◆『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)
◆『山梨英和学院八十年史』(山梨英和学院 1969)
◆『日本基督教団甲府教会百年史』(日本基督教団甲府教会 1979)

【調査にあたって】
今回は記念誌として発刊されていたものが調査の助けとなった。雑誌「峡中文壇」は「峡中文壇社」の発行となっていて、データ検索では出てこない。現物に直接当たると住所の中に「有朋義塾内」の文字が見え、履歴が分かった。

作成日:1998/1/11