【回答】
【調査過程】
■『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)で「有朋義塾」を検索、項目あり。
■前記資料の記述に「山梨英和女学校」名があったことから『山梨英和学院八十年史』(山梨英和学院 1969)で「有朋義塾」の記述を探す。「“はかま”の着用、卒業旅行、校歌、有朋義塾」の項あり。
■『山梨百科事典』で「小野善太郎」を引く。項目があり、「甲府教会」名が見える。
■自館システムの辞書検索で「コウフ キヨウカイ」を検索する。『日本基督教団甲府教会百年史』(日本基督教団甲府教会 1979)があることがわかる。
■『日本基督教団甲府教会百年史』で「有朋義塾」を探す。第三章二節に有朋義塾の設立と活動、三節に有朋義塾の閉校に関する記述がある。
■前項の資料の記述にあった雑誌「峡中文壇」を自館システムの逐刊検索でさがす。甲州文庫に第1巻1号(明治30年1月)から第2巻1号(明治31年2月)の所蔵あり。
■『日本基督教団甲府教会百年史』で「小野善太郎」を検索する。有朋義塾、第13、16代牧師時代、死亡に関する記述あり。
■「K19(キリスト教)」の書棚を見ると、『笛吹川にそそがれた恩寵−日本キリスト教団日下部教会伝道100年・設立80年』(日本キリスト教団日下部教会 1979)があり、第4章に小野善太郎に関する記述あり。
■自館システムの辞書検索で「オノ ゼンタロウ」をひくと、著書『甲斐よりパレステナへ』(甲府教会出版委員会 1958)があることがわかる。
【キーワード】
■有朋義塾(ユウホウギジユク)■小野善太郎■キリスト教■峡中文壇
【参考資料】
◆『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1989)
◆『山梨英和学院八十年史』(山梨英和学院 1969)
◆『日本基督教団甲府教会百年史』(日本基督教団甲府教会 1979)
【調査にあたって】
今回は記念誌として発刊されていたものが調査の助けとなった。雑誌「峡中文壇」は「峡中文壇社」の発行となっていて、データ検索では出てこない。現物に直接当たると住所の中に「有朋義塾内」の文字が見え、履歴が分かった。
作成日:1998/1/11
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