? 「あの人は燈籠佛のような人だ」とはどういう意味か。

【回答】

善光寺を建てた時、信玄が信濃から借りた金仏をなかなか返さなかったことから、人より物を借用した時、または人の申し出に対し、色々ともったいをつけて応じない人間、または頑固一点張りで融通の利かない人間のことを「あれは燈籠佛だ」というようになった。意味はほぼ同じだが、豊臣秀吉と浅野長政の話が由来とする説もある。

【調査過程】
■この調査を依頼されたとき甲府の善光寺で「燈籠佛展」を行っていたので、善光寺など寺社関係の資料を調査したが、記載なし。
■善光寺の所在地である甲府市に関係する資料『甲府市史』などを見たが、こちらにも記載されていなかった。
■民俗関係の資料を探すと、『甲斐昔話集』続(土橋里木著 郷土研究社 1936)の中に、信玄由来の上記のような記述があったので、質問者に回答した。
■その後『《燈籠佛》の研究』(吉原浩人編 至文堂 2000)が発行されたので内容を確認すると、「維新後の《燈籠佛》伝説」の部分に詳しい記述があった。これには、『甲斐昔話集』続の中に書かれている由来と意味のほかに、『甲州善光寺如来』(日向鉄城著 朝日老人大学出版部 1968)に書かれている“甲府に燈籠佛という方言があり、これは「分からずや」「わからんじん」の意味で、昔秀吉が甲斐国主浅野長政に「善光寺如来を京都に迎えよ」と命じたが、善光寺の住職は拒否し、急遽偽仏をつくり、真仏は大屋根の四隅に下げてある燈籠の一つに閉じ込め、見ても触れてもいけないと申し渡した”という由来も合わせて紹介されていた。

【キーワード】
■燈籠佛■善光寺■武田信玄■豊臣秀吉

【参考資料】
◆『甲斐昔話集』続(土橋里木著 郷土研究社 1936)
◆『《燈籠佛》の研究』(吉原浩人編 至文堂 2000)
◆『甲州善光寺如来』(日向鉄城著 朝日老人大学出版部 1968)

【調査にあたって】
『甲州善光寺如来』は当館で所蔵していたにも関わらず、宗教・寺関係の分類中心に検索していたため「論文集」に分類されていたこの資料には気がつかなかった。自館システムなどで丁寧に探せば見つかったかもしれない。また、すでに回答済みのレファレンスでも、関連の新しい研究書に目を通しておくことが大切だと実感した。

作成日:2000/12/17