? 玉幡飛行場について知りたい。また、写真があったら見たい。

【回答】

昭和7(1932)年、山梨航空研究会(梅沢義三会長)が玉幡村(現・竜王町)に玉幡競馬場を含む用地を買収して開設、昭和11(1936)年山梨飛行場として認可された。昭和14(1939)年には山梨航空技術学校が認可された。昭和15年には熊谷陸軍飛行学校も開設され、軍民共用飛行場となった。終戦により閉鎖され、敷地は農林高校、警察学校、日立製作所甲府工場などに払い下げられた。写真は『航空教育60年』(日本航空学園 1992)、『目で見る韮崎・巨摩の100年』(郷土出版社 1990)に掲載あり。

【調査過程】
■『山梨百科事典』増補改訂(山梨日日新聞社 1989)で「玉幡飛行場」を引くが、記載なし。
■『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1972)で「玉幡飛行場」を引く。項目あり。
■『竜王町史』(竜王町 1976)で「玉幡飛行場」を検索する。「飛行学校」の項に記述あり。創設者梅沢義三が戦後「日本航空工業学校」を建設したとの記述あり。
■『竜王町史』の記述から、日本航空学園の記念誌を探す。『航空教育60年』(日本航空学園 1992)に「?T草創期−昭和7年〜昭和20年」の章に、記述、写真資料あり。
■『目で見る韮崎・巨摩の100年』(郷土出版社 1990)で、「玉幡飛行場」を検索する。「陸軍飛行学校生徒」、「“赤トンボ”を背に立つ教官」、「玉幡飛行場での訓練風景」の写真あり。
■山梨日日新聞記事データベースで関連記事があるか探す。「飛行場」「玉幡」のアンド検索で数件ヒットする。「山梨百二十年ふるさとを歩く 41 飛行場物語」(1992年6月10日付)の記事あり。

【キーワード】
■飛行場■玉幡飛行場(タマハタヒコウジョウ)■山梨飛行場■梅沢義三(ウメザワヨシゾウ)

【参考資料】
◆『航空教育60年』(日本航空学園 1992)
◆『目で見る韮崎・巨摩の100年』(郷土出版社 1990)
◆『山梨百科事典』(山梨日日新聞社 1972)
◆『竜王町史』(竜王町 1976)

【調査にあたって】
『山梨百科事典』では旧版と増補改訂版で項目名が違っていた。旧版で見た後、「山梨飛行場」で増補改訂版を引き直すと、項目が見つかった。利用者が写真資料を求めていたので写真集も参考にしたが、『航空教育60年』が最も豊富に掲載されていた。

作成日:1998/7/30