? 甲府空襲のときに使われた油脂焼夷弾の構造を知りたい。

【回答】

1942(昭和17)年、米軍は日本本土攻撃用として、新しい油脂焼夷弾を開発した。それは石油工業の副産物であるナフサネートとヤシ油などの油脂に水素を添加して作ったパーム油、それに亜鉛、鉛、燐、ガソリンなどを配合してゼリー状油脂とし、これを六角形の金属筒に充填したものである。これは、主材のナフサネートの頭文字とパーム油をとってナパーム焼夷弾と呼ばれた。(『東京大空襲・戦災誌』3巻より)詳しい構造図は、『東京大空襲・戦災誌』3巻の他、『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)、『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)に掲載あり。

【調査過程】
■依頼者が油脂焼夷弾について知ったという『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)を見ると、「投下した焼夷弾の種類は、おもに二・八キロ油脂焼夷弾と若干の一・八キロエレクトロン焼夷弾と五〇キロ級油脂焼夷弾の混用だった」と記載あり。
■『甲府空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編 甲府市 1974)を見ると「第三編(資料編)」の「米国側の甲府空襲に関する資料」の項に「東京空襲を記録する会提供」と記載あり。
■自館システムで「トウキョウ クウシュウ」を辞書検索し、『東京大空襲・戦災誌』3巻(東京空襲を記録する会 1974)を見ると、「M69集束焼夷弾分解図」の掲載あり。
■「NDC210.75 日本史(太平洋戦争)」の書架に行き、日本の空襲について書かれた本で図版のあるものを探す。『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)、『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)などに構造図の掲載あり。

【キーワード】
■ナパーム弾■焼夷弾■甲府空襲■空襲

【参考資料】
◆『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)
◆『東京大空襲・戦災誌』3巻(東京空襲を記録する会 1974)
◆『日本大空襲』(朝日新聞社編 原書房 1985)
◆『米軍が記録した日本空襲』(平塚柾緒編著 草思社 1995)

【調査にあたって】
「甲府空襲に使われた」ということだったので、どのようなものか確認するために郷土資料室で『甲府市史』通史編 3巻(甲府市史編さん委員会編 甲府市役所 1990)と『甲府空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編 甲府市 1974)を見た。甲府に落とされた焼夷弾の構造について書かれている資料は見付けられなかったが、『甲府空襲の記録』には東京空襲の記録資料を引用しており、甲府の空襲も東京の空襲もほぼ同じものが使われていた(攻撃地域による区別はなかった)と判断した。そこで、甲府空襲から離れ、太平洋戦争中の日本への空襲の資料を見ることにした。

作成日:1998/10/24