? 福助人形のモデルについて知りたい。

【回答】

モデルには異説がある。1.摂津の百姓、佐五郎右衛門の子・佐太郎は、身長2尺にも満たない大頭の小人だったが、これが幸いして幸運に恵まれた人生を送ったことから、彼にあやかろうと「叶福助」の人形が享和年間流行した。2.京都の大文字屋という大きな呉服店に頭の大きな小男の主人がいて、一代で大福長者となったが、町の貧民に施しをして助けたので、貧民たちが彼の像を造って恩返ししたのが福助人形の始め。3.滋賀県伊吹山のふもとのもぐさや亀屋にいた番頭・福助は、よく働き商売繁盛して主人に気に入られ、人形が作られるようになった。

【調査過程】
■『世界大百科事典』24巻(平凡社 1988)で「福助」の項を見ると、モデルについては摂津の佐太郎と、京都の呉服店主の2説が記載。
■『大日本百科事典』15巻(小学館 1978)で「福助」の項を見ると、モデルについては「享和年間(一八〇一〜四)に江戸で大流行したことから、実在の人物のようにいう者もあるが、元禄年間(一六八八〜一七〇四)にすでに福助の名称は知られていた」と記載あり。
■『江馬務著作集』普及版11巻「風俗史事典」(中央公論社 1988)で「福助」を引くと「→ 徳助・お福」とあり、「徳助・お福」の項を見ると、モデルは京の呉服店主だとしている。
■自館システムで「フクスケ」を辞書(件名)検索するが未ヒット。「フクスケ」を単語検索すると、『公告図像の伝説−フクスケもカルピスも名作!』(荒俣宏著 平凡社 1999)がヒット。「福神マーク 好運は店先に訪れる」の章があり、モデルについては摂津の佐太郎と、京都の呉服店主の他に、滋賀県のもぐさや亀屋の番頭という説があり。

【キーワード】
■福助■徳助■人形■縁起

【参考資料】
◆『世界大百科事典』24巻(平凡社 1988)
◆『大日本百科事典』15巻(小学館 1978)
◆『江馬務著作集』普及版11巻「風俗史事典」(中央公論社 1988)
◆『公告図像の伝説−フクスケもカルピスも名作!』(荒俣宏著 平凡社 1999)

【調査にあたって】
現在では、足袋や靴下を製造しているメーカーの商標のイメージの方が強い福助は、縁起人形の一種で、童顔の大頭に裃をつけて座った人形。徳助ともいい、お福(お多福)と一対とされる。事典類を提供したところ、「今日はとても忙しくて時間がないので、何か借りられる本を」とのことで、システムで検索できる範囲で資料を提供したが、モデルについてはこれ以外にもあるようだ。『江馬務著作集(普及版)』11巻は、1〜10巻までとは別に、参考書扱いしている。この本は、「くつろいだ読み物の事典としたかったため」(巻末の「解説」より)五十音順ではなく、イロハ順で項目が立ててある。イロハは最初から唱えないと順番がわからないので、英語の事典を引くよりも時間がかかってしまった。明治時代以前の事典にはイロハ順のものが多い。イロハ順でも速く引けるようになることは課題のひとつだ。

作成日:1999/12/11