? 大田司令官が大本営にあてた最後の電文の内容を知りたい。

【回答】

大田実海軍中将が、1945年6月6日に、海軍次官にあてた電文。その内容は、「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ」で始まり、「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結ばれている。この電文にはこれまでの決別電の典型であった「天皇陛下万歳」や「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」という文言は皆無であった。

【調査過程】
■まずは、大田司令官がどのような人物かを調査することから始めた。『日本陸海軍事典』(原剛,安岡昭男共編 新人物往来社 1997)には、大田という人物の記載なし。『陸海軍将官人事総覧』海軍編(外山操編 芙蓉書房 1981)から、大田実(佐世保警備隊司令官・沖縄方面根拠地司令官)という人物がいたことが判明する。
■『日本陸海軍人名辞典』(福川秀樹編著 芙蓉書房出版 1999)を調べると、太田藤太郎(浦和連隊区司令官)、太田米雄(旅順要塞司令官)という人物がいることも判明するが、大田実氏についての説明文の中に、「圧倒的な戦力の違いにも臆せず米軍に挑み奮戦、力尽きて自決。この直前に沖縄県民の心情を吐露するような電文を海軍次官あてに発信」という一文があった。
■次に、海軍次官について調べてみた。『海軍』(外山三郎著 近藤出版社 1991)の「海軍機構図(昭和20年8月終戦時)」から、海軍大臣の下に位置し、大本営海軍部に所属していたことが判明した。
■以上の調査結果から、大田実司令長官が大本営にあてた最後の電文は、海軍次官あてに発信したものと判明した。大田実司令官は昭和20年6月13日に自決しているのでその直前の状況が分かる資料を探したところ、『沖縄方面海軍作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968)に、電文の全文が掲載されていた。

【キーワード】
■大田実■大本営■電文■沖縄戦

【参考資料】
◆『沖縄方面海軍作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968)

【調査にあたって】
人物の特定をすることから始まったレファレンスだった。「オオタ」という司令官が複数存在したため、一人に特定する作業が必要になった。周囲の状況・情報から必要条件を満たしているか確認していく作業の重要性を再認識させられた。

作成日:2000/12/15