? 菅徳長という人物について知りたい。

【回答】

「菅徳長」は東坊城徳長だと考えられる。東坊城徳長は、歌人・子爵。幼名信丸。明治2(1869)年、京都生まれ。明治天皇御製臨時編纂部員を命ぜられ、また御歌所参候となり、しばしば歌会始奉行を拝命した。大正11(1922)年、54歳で没。

【調査過程】
■依頼者側の調査では、姓の「菅」を「かん」と読むのか「すが」と読むのかは不明、人名事典を調べたが見付けられなかったとのこと。出典を確認すると、「絹本(掛け軸を作る以前の状態のもの)に書かれていた書に「菅徳長」と落款があった。またこの絹本は近世後期のものと推測される」とのこと。
■『名前から引く人名辞典』(日外アソシエーツ 1988)で「徳長」を引くと、「東坊城(ひがしぼうじょう)徳長」の記載あり。
■『大人名事典』5巻(平凡社 1954)で「東坊城徳長」を引くと、解説あり。
■『公卿人名大事典』(野島寿三郎編 日外アソシエーツ 1994)で「東坊城家」を引くと、「菅原家の支流」と記載あり。また、『姓氏・地名・家紋事典』(丹羽基二著 新人物往来社 1995)で「菅原」を引くと、「菅原氏は大和国添下郡菅原庄発祥の大族、道真を出した菅家が宗族」と記載あり。
■『落款花押大辞典』2巻(淡交社 1982)を見るが「東坊城徳長」の記載なし。同じ菅原家の「東坊城和長」の落款は、「菅原和長」となっていることを確認。

【キーワード】
■東坊城徳長(ヒガシボウジョウトクナガ)■菅徳長(カントクナガ)■菅原家■落款

【参考資料】
◆『大人名事典』5巻(平凡社 1954)
◆『公卿人名大事典』(野島寿三郎編 日外アソシエーツ 1994)

【調査にあたって】
FAXでの依頼で、最初は日本人なのかどうかも判断できなかった。電話で確認すると、出典は書の落款で、依頼者側で「かんとくなが」、「すがとくなが」の両方の名前で人名事典類は調査済みとのことだったので、姓から探さずに、名前から探すことにした。『名前から引く人名辞典』(日外アソシエーツ 1988)を見ると「徳長」という名は「東坊城徳長」しか記載がなく、この人物について調査していくと、東坊城家が菅原氏の分家であることがわかり、落款では「菅原徳長」、「菅徳長」と書かれる可能性があることがわかった。確認するために『落款花押大辞典』(淡交社 1982)を見ると、徳長より12代前の和長しか記載がなかったが、和長の落款が「菅原和長」であることがわかり、「菅徳長」は「東坊城徳長」だと考えられた。また、当館で古文書の整理をしている郷土資料の担当者に聞いたところ「間違いないだろう」との回答を得たが、文献での調査はこれ以上はできなかった。

作成日:1998/11/5