【回答】
【調査過程】
■自館システムで「ジュウナナサイノノート」を、山梨県図書館情報ネットワークシステム、国立国会図書館による総合目録データベースで「十七歳のノート」を書名検索するが、ヒットせず。
■『日本近代文学大事典』1巻(日本近代文学館編 講談社 1977)を見るが「太田治子」の項目なし。
■『現代女性文学辞典』(村松定孝,渡辺澄子編 東京堂出版 1990)で「太田治子」の項を見ると、「高校二年の時、瀬戸内寂聴の勧めで、両親の事などを書いた『手記』(昭42、新潮社)などの随筆で話題となる」と記載あり。
■『現代女性人名録』(日外アソシエーツ編・発行 1996)で「太田治子」の項を見ると「高校2年の時に書いた手記「十七歳のノート」が話題となる」と記載あり。
■自館システムで「シュキ」を書名検索し、『手記』(太田治子著 新潮社 1967)の所蔵を確認。『手記』を見ると初出が雑誌「新潮」(新潮社)昭和40年4月であるとの記載あり。
■初出である雑誌「新潮」昭和40年4月号について自館システムで検索し、所蔵を確認。
■自館システムで「オオタ ハルコ」を辞書(人名)検索して、ヒットしたうちの『空色のアルバム』(太田治子著 構想社 1979)を見ると、「十七歳のノート」の掲載があり、末尾に「(昭和四〇・四『手記』改題)」と記載。巻末のあとがきに簡単な解説あり。
【キーワード】
■太田治子■「十七歳のノート」■「手記」
【参考資料】
◆『空色のアルバム』(太田治子著 構想社 1979)
◆「新潮」昭和40年4月号
◆『手記』(太田治子著新潮社 1967)
【調査にあたって】
「十七歳のノート」は、原題が「手記」であり、改題後はエッセイ集の中に収められていたため、検索システムで見つけられなかった。『現代女性人名録』の「太田治子」の項には「高校2年の時に書いた手記「十七歳のノート」が話題となる」と記載されているが、これは誤記であろう。レファレンスをしていて時々ツールの誤記・誤植を発見することがある。事実照会などの回答には、できれば複数の資料を用いた方が良い。
作成日:1999/1/13
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